第七十七章『二つの追跡』
デジタル探偵シャドー:第七十七章『二つの追跡』
冴木は、シャドーに最後の指令を叩き込んだ。
冴木: 『硯遼太郎、15年前の退職金及び、全資産の金の流れを追え。金の終着点が、彼が潜伏を始めた場所だ。同時に、彼が編集長を務めていた文芸誌「蒼星」の全寄稿者をリストアップ。その中に、今回のハッキングを実行可能な、共犯者がいるはずだ』
シャドー: 『…了解。二つの追跡を開始します』
シャドーが、デジタルの奔流の中へと潜っていく。その応答を待つ間、冴木は、警視庁の地下にある、古びた資料室にいた。目の前には、15年以上前の、黄ばんだ文芸誌「蒼星」のバックナンバーが、山のように積まれている。
彼は、その一冊を、手に取った。
ページをめくると、インクの匂いと共に、硯遼太郎の「美学」が、香り立つようだった。彼が書いた巻頭言は、他のどの文字よりも、力強く、美しい筆跡で記されている。まるで、一流の書道家のような、気品と、揺るぎない信念を感じさせる文字だ。
冴木は、硯の文章を、食い入るように読み進めていく。彼が賞賛する小説、彼が批判する言葉。その一つ一つから、硯遼太郎という人間の「魂の輪郭」を、プロファイリングしていく。
(…この男、繰り返し「静寂」と「墨の香り」について書いている。彼が理想とするのは、ただ古いだけの場所じゃない。知性が、静寂の中で熟成されていくような場所…)
その時、冴木のスマートフォンが、静かに震えた。シャドーからの、第一報だった。
シャドー: 『金の流れの、終着点を特定。15年前、硯遼太郎の全資産は、ある投資信託会社を経由し、奈良県の人里離れた山中にある、一つの土地と、古民家の購入に充てられています。登記上の名義は、架空の法人です』
奈良。古都。
冴木の脳内で、何かが繋がった。硯の文章の中に、何度も、奈良の古い寺や、和紙、墨工房を賛美する記述があったことを、彼は思い出していた。
続けて、シャドーからの第二報が表示される。
シャドー: 『共犯者の可能性が高い人物を、一名特定。文芸誌「蒼星」に、プログラミング言語の美しさについての評論を寄稿していた、若き天才プログラマーです。彼もまた、15年前に、硯とほぼ同時期に、社会的な活動を停止しています』
「…役者は、揃ったな」
デジタルな金の流れが示した、物理的な場所。
人間の美学が示した、精神的な場所。
その二つが、奈良の山中にある、一点の「古民家」で、完璧に重なった。
そこが、硯遼太郎の聖域。
そして、彼が作り上げたAI『リラ』が生まれた、敵の本拠地。
「見つけたぜ、文豪先生」
冴木は、不敵に笑った。
「あんたが作り上げた、静かで美しい図書館も、もうすぐ、閉館の時間だ」
彼は、資料室を出ると、部下たちに、短い指令を飛ばした。
「奈良へ飛ぶぞ。古都に潜む、幽霊退治だ」




