第七十三章『声の、解剖』
デジタル探偵シャドー:第七十三章『声の、解剖』
2025年8月3日、日曜日、午前8時13分。
冴木は、スカイツリーの麓から、動かずにいた。
巨大な塔は沈黙したまま、ただそこに、そびえ立っている。
彼の耳のインカムの向こう側では、シャドーが、ラジオから、流れる「解放者」の声の解剖を続けていた。
数十分後。シャドーからの、第一報が入る。
シャドー: 『…声紋の、特定は不可能です。犯人は、高度なボイスチェンジャーを、使用しています。声の主を、直接特定することは、できません』
「…だろうな」
冴木は、呟いた。相手は、これだけの事件を起こした、天才だ。そんな、初歩的なミスは、犯さない。
シャドー: 『ですが、「話し方」には、消せない癖が、あります』
冴木: 『…詳しく、話せ』
シャドー: 『はい。彼の、スピーチには、現代の日本語では、ほとんど使われない、古い修辞技法が、多用されています。また、使用する単語の選択には、特定の社会学と、メディア論の専門用語が、頻繁に現れる。これは、単なる知識の披露ではない。彼の思考の根幹に、その学問があることを、示唆しています』
冴木: 『…その「話し方」の、指紋に一致する人物は、いるか?過去の大学の講義、講演会、ラジオ番組…音声データが、残っている、全ての学者、文化人をリストアップしろ』
シャドー: 『…検索、開始。…ヒットしました。99.7%の確率で、言語パターンが一致する、人物が、一人だけ存在します』
ウィンドウに、一人の老教授の顔写真が、表示された。
白髪で、柔和な笑みを浮かべた、その顔。
表示された情報:
・ 氏名: 鎮目 誠
・ 経歴: 元・有名私立大学の、社会学部教授。専門はメディア社会論。
・ 特記事項: 彼の「情報デトックス」を提唱する、講義は学生から、カリスマ的な人気を、博していた。しかし、5年前に大学と衝突し、退官。以来、公の場からは、姿を消している。
「…ビンゴだ」
冴木は、確信した。彼こそが、『解放者』。
自らの講義室を、東京という都市、そのものへと、拡大させたのだ。
冴木: 『奴の隠れ家は、どこだ?』
シャドー: 『…特定は困難です。しかし、もう一つ、ヒントが。放送の、音声には、極めて微弱な、反響音が含まれています。この反響パターンは、特異な形状の建物でなければ、発生しません。ドーム状、あるいは、パラボラ状の…。そして、鎮目誠は大学を、退官する前電波天文学の研究施設を、よく訪れていた、という記録が…』
その言葉で、冴木は全てを、悟った。
敵の本当の居場所を。
彼は運転席の部下に、新たな行き先を告げる。
「…進路変更だ。茨城県の鹿島宇宙技術センターへ。日本で最も巨大な、パラボラアンテナがある、場所だ」
犯人は、スカイツリーという、電波塔をジャックしながら。
自らは全く別の、そして今は、使われていない、巨大な「耳」の中から、世界に語りかけていたのだ。




