第六十七章『自由な道(フリー・ウェイ)』
「全ての道は、自由であるべきだ」…その日、日本中のカーナビが、神の恵みか、悪魔の悪戯か、最新の地図へと、生まれ変わった。
デジタル探偵シャドー:第六十七章『自由な道』
2025年8月2日、土曜日、午前8時54分。
その朝、都内に住む会社員の佐藤は、家族との、ドライブのために、自家用車のエンジンをかけた。
するといつもなら、メーカーのロゴが表示されるはずのカーナビの画面に、見たこともないメッセージが、浮かび上がった。
『全ての道は、自由であるべきだ。快適な、旅を。―――旅人より』
「…なんだ、これ?」
メッセージは、数秒で消え、いつもの地図画面が、表示された。
しかしその地図は明らかに、いつもと違っていた。
3年間、更新していなかったはずなのに、最近開通したばかりの、新しい高速道路が、くっきりと、表示されている。
表示されるはずのない、近所の一方通行の、細い道まで、完璧に網羅されていた。
「…おい、なんだかナビが、新しくなってるぞ…!」
驚く、佐藤を尻目に、彼の妻がSNSを見て、叫んだ。
「あなたこれ!日本中で、同じことが起きてるみたい!」
SNSは、お祭り騒ぎだった。
「#旅人さんありがとう」
「#神ハッカー降臨」
「#俺のナビが生き返った」
そんなハッシュタグが、トレンドを埋め尽くしていた。
日本中の、あらゆるメーカーの、自動車のナビゲーションシステムが、一夜にして無償で、最新版へと、強制的にアップデートされたのだ。
だが、その民衆の熱狂とは裏腹に。
自動車メーカー各社の、役員室と警視庁の、サイバー犯罪対策課は、地獄の様相を呈していた。
これは、義賊などではない。
国家の、基幹産業の根幹を揺るがす、史上最悪のサイバーテロだ。
「…面白いことになったな」
緊急招集された、捜査会議の席で。
冴木は、SNS上に溢れる、犯人への感謝の言葉を、眺めながら静かに呟いた。
警察がこれから追うのは、民衆が「ヒーロー」と、崇める正体不明のハッカー。
「シャドー」
彼は、自席に戻ると、すぐに相棒へとアクセスした。
「前代未聞の事件だ。国内で稼働する、ほぼ全ての自動車メーカーの、ナビシステムが同時にハッキングされた。犯人は、『旅人』。お前の力で、この神業の正体を、暴けるか?」
シャドー: 『…極めて、困難なタスクです。敵は、少なくとも10社以上の、全く異なるセキュリティシステムを、同時に突破しています。これは一個人の能力を、超えている可能性があります』
冴木: 『だろうな。だがやるしかない。全てのハッキングの、ログを集めろ。奴が残した、僅かな、デジタルの指紋を、見つけ出すんだ』
シャドー: 『…了解。ゴースト・トラフィックの、追跡を開始します』
冴木は、窓の外を、見た。
高速道路には、楽しげな家族連れの車が、連なっている。
彼らは、まだ知らない。
自分たちの車の頭脳が、今、この瞬間も見知らぬ、誰かの手の中にある、ということを。
そして、その誰かがもし、悪意を持てば、この国の交通は一瞬で、凶器へと変わるということを。
冴木とシャドーの、最も世論を敵に回すかもしれない、困難な捜査が今、始まった。




