第六十一章『夢の跡地』
デジタル探偵シャドー:第六十一章『夢の跡地』
2025年7月30日、水曜日、午前4時10分。
神奈川県、川崎市。
生田の丘陵地帯に、その廃墟は静かに佇んでいた。
かつて、数多のヒーローと、怪人が生まれ、そして、消えていった、伝説のテレビスタジオ。
今はただ、月光だけが、そのコンクリートの壁を、白く照らしている。
その、夢の跡地を、数台の覆面パトカーが、音もなく包囲した。
先頭の車両から降り立った冴木が、短い指令を出す。
「…突入する」
部隊は、錆びついたスタジオの扉を破り、中へと雪崩れ込んだ。
内部は、埃と、カビの匂いが充満していた。廊下には、往年の人気番組のポスターが、色褪せたまま残されている。
まるで、一つの時代が丸ごと、ここに閉じ込められているかのようだった。
冴木は、かすかな機械の作動音を頼りに、一つの部屋の前で、足を止めた。
『第3サブコントロール室』
そのプレートが、かろうじて読み取れる部屋。
ドアを開けると、そこは別世界だった。
無数のモニターと機材が、青白い光を放ち、今も静かに、稼働している。古いアナログの調整卓と、最新のハイスペックなサーバーが、歪に同居する、秘密基地。
ここが、あの狂った番組が、生まれた場所。
そして、その中央。
ディレクター用の椅子に、深く腰掛け、煙草を燻らせている、一人の老人がいた。
金城大悟だった。
彼は、突入してきた警官隊を一瞥すると、面倒くさそうに言った。
「…なんだ、もう終わりか。もう少し、この余韻に、浸っていたかったんだがな」
その顔に、驚きや恐怖は、ない。
ただ、最高の仕事を終えたテレビマンの、疲労と満足感だけが、あった。
「金城大悟。あなたを電波法違反、及び、威力業務妨害の容疑で、逮捕する」
冴木のその言葉に、金城はゆっくりと、立ち上がった。
「…刑事さん。昨夜の、俺の、番組。どうだった?」
彼は、手錠をかけられながら、悪戯っぽく笑った。
「昔の、テレビも、捨てたもんじゃないだろう?」
「ええ」
冴木は、静かに答えた。
「最高に面白くて、そして最低に迷惑な、番組でしたよ」
「ハッ、最高の褒め言葉だ」
金城は、満足そうに頷いた。
彼は、最後に一度だけ、コントロール室を見渡した。
まるで、長年連れ添った我が子に、別れを告げるように。
そして、一言だけ呟いた。
「…よし。カット。お疲れさん」
それは、誰に言うでもない、彼一人だけのクランクアップの合図だった。
伝説のテレビマンの人生を賭けた、最後の「番組」が、今、本当に終わった。
冴木は、一人部屋に残った。
テーブルの上には、手書きの分厚い台本が、一冊、置かれている。
その表紙には、こう書かれていた。
『ザ・テレビマンショー』
それは、滑稽なほど熱く、そして、どうしようもなく、哀しい一人の男の、夢の残骸だった。




