第五十五章『星降る夜のテロリスト』
広告に汚された、都市のスクリーン。そこに、犯人が映し出したのは、失われたはずの、美しい「光」。それはテロか、それとも贈り物か。
デジタル探偵シャドー:第五十五章『星降る夜のテロリスト』
2025年8月13日、水曜日、午後11時11分。
ペルセウス座流星群が、今まさに極大を迎えようとしていた、その夜。
冴木は非番を利用して、珍しく都心のジャズバーのカウンターに、一人座っていた。
その瞬間は、本当に突然訪れた。
BGMが途切れグラスを照らしていた、スポットライトが消える。
窓の外であれほど煌々と輝いていた、摩天楼の光が、まるで神がスイッチを切ったかのように、一斉に沈黙した。
停電。
店内に微かな悲鳴と、どよめきが広がる。
だが、冴木はすぐにこれが、ただの停電ではないことに気づいた。
バーの非常灯は、正常に点灯している。そして、遠くで微かに、サイレンの音が聞こえる。信号機や、病院など、生命線は生きているのだ。
彼は、他の客たちと一緒に、店の外へ出た。
そして、息を呑んだ。
そこにあったのは、彼が生まれて一度も、見たことのない「夜」だった。
全てのネオンが消え、街灯が沈黙し、家々の窓の明かりもない。
見渡す限りの闇。
そして、その闇のおかげで。
人々は、初めて自分たちの、頭上に広がっていた、本当の空の姿を知った。
「…うわぁ…」
誰かが、感嘆の声を漏らした。
そこには、天の川があった。
まるで、星屑の巨大な帯のように、夜空を横切る、淡い光の川。
そして、その夜空をキャンバスとして、今、まさに無数の流れ星が、光の矢のように、降り注いでいた。
携帯の明かりを頼りに、人々はビルの屋上へ、歩道橋の上へと登り始める。
恐怖の、対象だったはずの「闇」は、いつしか神々しいまでの、天体ショーを楽しむための最高の「舞台装置」へと変わっていた。
冴木もまた、その圧倒的な光景に、しばし言葉を失っていた。
だが、刑事としての彼の直感は、このありえないほど美しい「現象」の裏にある、一人の人間の「意志」を、感じ取っていた。
(…そうか。これが、あんたの『作品』か)
これは、テロではない。
これは、招待状だ。
犯人が、東京の全ての人々に、贈った一夜限りの、宇宙への招待状。
冴木は、自分のスマートフォンを取り出した。
かろうじて生きている、基地局の電波を拾い、シャドーへとアクセスする。
冴木: 『シャドー。聞こえるか。今、東京で起きている、大規模なブラックアウト。これは、事件だ。犯人は、自らを「星見」と、名乗ったらしい』
シャドー: 『…受信感度低下。ですが、指令は確認。電力系統へのハッキングの痕跡を、スキャンします』
冴木: 『ああ、頼む。…そして、教えてくれ。この、美しい夜空を俺たちから、奪っていた光の量を。…そして、この奇跡を俺たちに、プレゼントした、テロリストの正体を』
闇に包まれた、東京の片隅で。
冴木とシャドーの、最もロマンチックで、そして、最も壮大な捜査が、今、静かに始まった。




