第五十章『感情のビッグデータ』
デジタル探偵シャドー:第五十章『感情のビッグデータ』
シャドーにとって、冴木からの指令は、過去最も、奇妙なものだった。
殺人事件の、物証を探すのでもなければ、サイバーテロの、発信源を追うのでもない。
ただ、漠然とした、「喜び」と「郷愁」という、人間の感情を、インターネットの海から探し出せ、というのだ。
だが、シャドーは、その非論理的な命令を、忠実に実行を開始した。
SNS、ブログ、ニュースサイトのコメント欄…。東京中の人々が、この異常事態について発した、リアルタイムの「感情」が、シャドーの元へと、流れ込んでくる。
シャドー: 『…感情データの、収集を開始。「嬉しい」「楽しい」「最高」といった、ポジティブなキーワードと、昆虫の名前を、関連付け』
シャドー: 『…次に、「懐かしい」「子供の頃」「昔を思い出す」といった、郷愁を示すキーワードと、昆虫の名前を、関連付け』
それは、まさに感情の、ビッグデータ解析。
数時間後。シャドーは、その膨大な感情のデータの中に、一つの、奇妙な「特異点」を発見した。
シャドー: 『…冴木。興味深いパターンを、検出しました』
冴木: 『なんだ?』
シャドー: 『今回、都心で大量に、発見されている昆虫。そのほとんどが、ごくありふれた種類です。しかし、その中に数種類だけ、極めて生息域が限定される、珍しい、「特定の亜種」が、含まれています』
画面に、数匹の昆虫の画像が表示された。一見すると、普通のカブトムシや、トンボに見える。
シャドー: 『そして、その珍しい亜種の昆虫について、「懐かしい」「昔、よく捕まえた」と、言及している、高齢者の投稿が、特定のエリアに、集中しています。東京・多摩地区の、かつて里山だった、エリアです』
冴木: 『…その、エリアに、何か、あるのか』
シャドー: 『はい。その、珍しい亜種の昆虫の生態について、過去最も詳細な、研究論文を発表していた、一人の昆虫学者が、そのエリアに、長年住んでいました。…いえ、今も住んでいます』
ウィンドウに、一人の白髪の老人の、プロフィールが、映し出された。
表示された情報:
・氏名: 天野 博士
・経歴: 元・東都大学 教授。専門は、都市開発と、昆虫の生態系への影響。
・特記事項: 10年前、「里山の生態系を、人工的に、都市部に再現する」という、壮大な研究を提唱。しかし、学会からは「非現実的」「予算の無駄」と一蹴され、失意のうちに、大学を定年前に、退官した。
「…ビンゴだ」
冴木は、静かに呟いた。
彼こそが、『虫の使徒』。
学会に否定された、自らの研究の、正しさを。
そして、失われゆく、里山の美しさを、証明するために。
たった一人で、この壮大な、そして哀しい「実験」を、行ったのだ。
冴木の、超直感による捜査。
それは、犯人の物理的な、足跡ではなく。
犯人の「魂」が、共鳴する人々の「感情」を、辿ることで、見事にその正体を、突き止めてみせた。
冴木: 『天野博士の、自宅を特定しろ。おそらく、そこが全ての、始まりの場所だ』
シャドー: 『…特定完了。多摩地区の、広大な雑木林に隣接する、一軒家です。航空写真から、敷地内に巨大な温室が、確認できます』
冴木は、立ち上がった。
向かうべき、場所はわかった。
あとは、この哀しい「福音」を、どう終わらせるか、だけだった。




