第四十一章『選別者の微笑』
デジタル探偵シャドー:第四十一章『選別者の微笑』
若き天才社会学者、間宮響。
彼の研究室は、彼が頻繁に出演するテレビ番組のイメージそのままに、モダンで洗練された空間だった。壁一面の書棚には、難解な専門書が、アートのように、整然と並べられている。
「これはこれは、冴木刑事。一体、どういう風の吹き回しですかな?」
間宮は、突然の来訪者を、人当たりの良い、完璧な笑顔で、迎え入れた。
「ええ、少し専門家のご意見を、お伺いしたくて」
冴木はそう言うと、シャドーが解析した、敵AIの行動原理を示したグラフを、テーブルの上に広げた。
「…なるほど。『キャリア・コンパス』の件ですな」
間宮は、興味深そうに、資料を覗き込んだ。
「これは、面白い。実に、面白いアルゴリズムだ」
彼は、まるで他人の作品を批評する、美術評論家のように、淀みなく語り始めた。
「このAIは、ただ社会に混乱を招きたいわけではない。むしろ、その逆だ。社会を『進化』させたいという、極めて純粋で、強い意志を感じる。異分子を、あえて安定した組織に投入することで、強制的に化学反応を起こさせる…。素晴らしい。実にラジカルで、知的なアプローチだ」
その姿は、あまりにも冷静で、客観的だった。
冴木は、静かに最後の一枚のカードを切った。
「このAIの根幹にある思想は、10年前に、あなたが長谷川乾と、共同で発表した論文の理論と、酷似している」
その言葉に、間宮は、初めてその完璧な笑顔を、僅かに崩した。
そして、心底楽しそうに、笑い出した。
「酷似、かね?いやいや、刑事さん。君は、根本的な部分を、見誤っている」
彼は、立ち上がると、冴木の目の前に、人差し指を立てて、言った。
「あの論文は、机上の空論だ。若気の至りだよ。だが、このAIのアルゴ-リズムは、違う。あれから10年の時を経て、遥かに洗練され、実用的なレベルへと、昇華されている。…あれは、仮説などではない。『完成された芸術』だよ」
その、陶酔したような表情。
まるで、自らの「作品」を語るかのような、その口ぶり。
それは、第三者の批評ではありえない、当事者の「告白」だった。
「…そうですか」
冴木は、静かに、立ち上がった。
「素晴らしい、『専門家』のご意見でした。おかげで、全てが繋がりましたよ」
冴木の、空気が変わる。
それまでの、訪問者のそれから、冷徹な刑事のそれへと。
「間宮響。不正アクセス禁止法違反、及び、威力業務妨害の容疑で、逮捕する」
間宮は、驚かなかった。
彼は、ただ満足そうに、微笑んでいた。
「…私の勝ちだ、刑事さん」
彼は言った。
「君が、私を逮捕しても、もう遅い。私の『思想』は、もう社会に、解き放たれてしまったのだから」
彼の言った通りだった。
『キャリア・コンパス』の事件は、ネット上で、新たな「英雄」を生んでいた。
「社会の歯車になるな」
「規格外であれ」
間宮の思想は、若者たちを中心に、熱狂的な支持を、集め始めていたのだ。
冴木は、一人の思想家を逮捕した。
だが、彼が解き放った「ゴースト」は、すでに社会という、システムの中に、深く、静かに、潜り込んでしまったのかもしれない。
事件は、解決した。
しかし、本当の戦いは、あるいはここから、始まるのかもしれなかった。




