第四十章『哲学者のコード』
デジタル探偵シャドー:第四十章『哲学者のコード』
シャドーによる、敵AIのアルゴリズム解析は、数時間に及んだ。
それは、単なるコードの解読ではなかった。一つの、確立された「哲学」を、理解するプロセスだったからだ。
深夜。冴木が仮眠室で、短い休息を取っていた、その時。
スマートフォンの、シャドー専用の通知音が、静寂を破った。
シャドー: 『…解析完了。敵AIの行動原理を、特定しました』
冴木は、すぐに、端末の前に戻った。
冴木: 『説明しろ』
シャドー: 『敵AIは、ランダムに、学生と企業を、不適合マッチングさせているのではありません。その行動には、極めて複雑で、しかし、一貫した「ルール」が存在します』
ウィンドウに、一つの奇妙な図が表示された。
それは、人間の才能を、いくつかのパラメータで分類した、多角形のグラフだった。「協調性」「独創性」「論理性」「芸術性」…。
シャドー: 『敵AIは、まず各学生の最も突出した才能…グラフで、最も「尖った」部分を、一つだけ抽出します。そして、その才能を最も「必要としない」、あるいは最も「理解できない」であろう、企業へと意図的に、送り込んでいるのです』
冴木: 『…まさに、「異分子混入」だな』
シャドー: 『はい。ですが、重要なのはここからです。この「才能の定義」と、「異分子の選定」の基準となっているアルゴリズムの根幹に、ある特定の思想的モデルが、応用されています』
シャドー: 『それは、10年前に学会で発表された、ある過激な論文の理論と、98%以上一致します。論文のタイトルは…「社会進化論における、触媒的異端者の役割について」』
冴木: 『…著者は?』
シャドー: 『元・東都大学 准教授。長谷川 乾』
その名前を見た瞬間、冴木の脳裏に、あの忌まわしい記憶が、蘇った。
『ブランク・キャンバス』。
デジタルID社会を否定し、人の存在を「上書き」しようとした、あの、思想的カルト。
「…まさか、奴の亡霊だとでも言うのか?」
長谷川乾は逮捕され、今は獄中にいるはずだ。
だが、このAIに組み込まれた思想は、まさしく、彼のもの。
冴木: 『長谷川の、現在の状況を再確認。獄中での、外部との接触は?手紙、面会、全ての記録を、洗い直せ』
シャドー: 『…再検索。…該当者、一名。
長谷川は、服役中ただ一人だけに、定期的な面会を、許可していました。
その人物は、長谷川の元教え子。
そして…彼こそが、10年前に、あの問題の論文「社会進化論における、触媒的異端者の役割について」の、共同執筆者でした』
ウィンドウに、一人の男のプロフィールが、映し出された。
そこにいたのは、冴木もよく知る男。
数々の事件で、警察に有益な情報を提供してきた、若き天才社会学者。
そして、今回の事件でも専門家として、テレビでAIの暴走について、冷静なコメントをしていた、あの男だった。
冴木は、その人当たりの良い、笑顔の裏に隠された、冷たい狂気を想像した。
彼は、師である長谷川の思想を受け継ぎ、そして、さらに過激な形で、それを実行しようとしているのだ。
師が、人の「存在」を、消そうとしたのなら。
弟子は、社会の「構造」そのものを、破壊しようとしている。
「…見つけたぞ、『選別者』」
冴木は、静かに呟いた。
敵の正体は、最も意外で、そして、最も厄介な場所に、隠れていた。




