第三十四章『ゴーストの守護霊』
デジタル探探シャドー:第三十四章『ゴーストの守護霊』
『デジタル・ゴースト』
その、あまりにも示唆に富んだ論文のタイトルを、冴木は、スマートフォンの画面上で、何度もなぞった。
冴木: 『その論文を探し出せ。蒼葉学院の、過去のサーバーログ、アーカイブを全てスキャンしろ。同時に望月奏の、当時の人間関係をリストアップ。特に親しかった友人、教師、そして…彼女に特別な感情を抱いていた可能性のある人物を』
シャドー: 『…了解。ゴーストの「正体」と、ゴーストを「呼び覚ました者」の、同時捜査に移行します』
冴木は、音楽室のピアノの前に、静かに座っていた。まるで、次の演奏が始まるのを、待っているかのように。
やがて、シャドーからの報告が、届き始める。
シャドー: 『論文を発見。PDFデータとして保全。内容は…AIに、自らの作曲スタイル、音楽的癖を学習させ、未完成の楽曲を自動で補完、完成させるというもの。望月奏は、自らの死を予感していたかのように、自分の死後も、音楽を生み出し続ける方法を、研究していました』
なんと、哀しい研究だろうか。
彼女は、自らの才能が死によって、途絶えてしまうことを、何よりも恐れていたのだ。
シャドー: 『…ゴースト・プログラム本体も、発見しました。旧サーバーの、忘れ去られた領域に10年間、休眠状態で保存されていました。ログによると、プログラムが再起動したのは、1ヶ月前。きっかけは、サーバーの老朽化に伴う、データ移行作業のようです』
偶然、眠りから覚まされた、デジタルの幽霊。
だが、その幽霊がどうやって、音楽室のピアノと繋がった?誰かが意図的に、接続したはずだ。
シャドー: 『…人間関係リストとの、クロスチェックを開始。…該当者、一名。
現在蒼葉学院で、情報システム管理室の主任を務める、小林昭彦。
彼は10年前、望月奏の同級生でした』
冴木は、静かに席を立った。
向かう先は、旧校舎ではない。最新の設備が整った、新校舎の情報システム管理室だ。
ドアを開けると、そこには、一人の気弱そうな眼鏡の男性が、ヘッドフォンをして、PCの画面を、じっと見つめていた。画面には、複雑な楽譜が、表示されている。
「…小林さん」
冴木の声に、小林はビクリと、肩を震わせた。ヘッドフォンを外した彼の耳に、微かにあの『ゴースト・ソナタ』のメロディが、漏れ聞こえていた。
「…やはり、あなたでしたか」
小林は観念したように、全てを話し始めた。
彼は10年前、望月奏に、密かな恋心を抱いていた、ただの内気なパソコンオタクの少年だった。彼女の才能に、心から憧れていた。
一ヶ月前、古いサーバーの整理をしていた時、彼は偶然、彼女が遺した『デジタル・ゴースト』を発見する。
「…最初は、ただもう一度、彼女の曲が、聴きたかっただけなんです」
彼は、出来心でプログラムを起動させた。そして、音楽室のピアノに、小さな受信機を、こっそり取り付けた。
すると、ピアノは奏で始めた。彼女が遺した未完成のソナタの、続きを。彼女の「ゴースト」が、10年の時を超えて完成させた、最後の曲を。
「聴いてしまったら、もう、止められなかった。だって、あまりにも美しかったから…。彼女が本当に、そこにいるみたいで…」
彼は、誰にも言うつもりはなかった。ただ、自分だけが、夜の音楽室で、彼女の魂の演奏を、聴いていられれば、それで良かった。
まさか、生徒たちが録音し、SNSでこんな大騒ぎになるとは、思ってもいなかったのだ。
「…逮捕、されるんですよね」
小林は、おずおずと、冴木を見た。
冴木は、しばらく黙っていたが、やがて静かに、首を振った。
「…いいえ。ですが、理事長には全て、正直に話してください。そして、その『ゴースト』はもう、眠らせてあげなさい」
冴木は、そう言うと部屋を出た。
これは、犯罪ではない。
ただ、一人の天才少女が遺した、哀しい奇跡。
そして、その奇跡を10年間守り続けた、優しい守護霊の物語。
冴木は、空を見上げた。
今夜はもう、あのピアノが、鳴ることはないだろう。
だが、あの美しいメロディはきっと、人々の記憶の中で、永遠に鳴り続けるに、違いない。




