第三十二章『音楽室のゴースト』
夜の音楽室で、ピアノを奏でるのは、10年前に死んだはずの天才少女。これは怪談か、それとも彼女が遺した、デジタルな「魂」の奇跡か。
デジタル探偵シャドー:第三十二章『音楽室のゴースト』
その怪談は、SNSの波に乗り瞬く間に、都市伝説となった。
都内有数の進学校、私立蒼葉学院。その旧校舎の音楽室で、夜な夜な誰もいないはずのピアノが、美しい旋律を奏でるという。
ありふれた噂話が、本物の「事件」へと変わったのは、数人の生徒が、その「演奏」の録音に成功してからだった。
『#ゴーストソナタ』
そのハッシュタグと共に、動画は拡散された。暗闇の中から、切なく、そして、人間業とは思えないほど、完璧なタッチで奏でられるピアノの旋律。それは、聴く者の心を、強く揺さぶった。
音楽大学の教授が、
「リストか、ラフマニノフの未発表曲か」
と唸り、プロのピアニストが、
「この技巧を再現するのは、不可能に近い」
と、匙を投げた。
やがて、心霊マニアや野次馬が、学校に忍び込む騒ぎへと発展し、蒼葉学院はついに、警視庁へと、この奇妙な事件の調査を依頼した。
「…幽霊退治、ですか」
警視庁の一室で冴木は、うんざりした顔で、学院の理事長から、説明を受けていた。
「いや、幽霊などと、非科学的なことを信じているわけではありませんよ」
理事長は、慌てて付け加えた。
「おそらくは、腕利きのハッカーと、ピアニストを気取った、悪質な悪戯でしょう。とにかく、これ以上、学校の品位を汚されるのは、我慢ならんのです」
冴木は、適当に相槌を打ちながら、自分のスマートフォンで、問題の『ゴースト・ソナタ』を聴いていた。安物のイヤホンから流れてくる、不鮮明な音源。
だが、そのメロディを聴いた瞬間、彼の表情から、退屈の色が消えた。
(…なんだ、この曲は)
それは、ただ美しいだけの曲ではなかった。
完璧な構成と、超絶技巧の中に、どうしようもないほどの、深い「哀しみ」と「焦がれるような想い」が、込められている。
まるで、言葉にならない叫びが、旋律となって、溢れ出しているかのようだった。
彼の直感が、告げていた。これは、ただの悪戯ではない。この音には魂がある。
理事長が部屋を出ていくと、冴木は、すぐにシャドーへとアクセスした。
冴木: 『私立蒼葉学院、旧校舎の音楽室で、夜な夜なピアノが鳴る事件。ネット上では「ゴースト・ソナタ」と呼ばれている。まずは、この音源を解析しろ。本当に、あの音楽室のピアノから、物理的に発せられている音か?音響トリックの可能性は?』
シャドー: 『…了解。音源の音響指紋を解析。現場のピアノの個体情報と照合します』
冴木: 『次に、このメロディそのものを解析しろ。過去に発表された、あらゆる楽曲データと照合。作曲者は? 楽譜は、存在するのか?』
シャドー: 『…了解。メロディの構造を分解し、既存の楽曲データベースとのパターンマッチングを開始』
シャドーが、デジタルの幽霊の正体を追う。
だが冴木は、それだけでは終わらせるつもりはなかった。
彼は、コートを羽織ると、部屋を出た。
「少し、現場を見てくる」
デジタルな神が、音の正体を暴いている間に自分は、この音に込められた「心」の正体を、探しに行く。
冴木は一人、全ての始まりの場所、蒼葉学院の、古い音楽室へと向かった。




