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『デジタル探偵シャドー』  作者: さらん
第八十七の事件『蜃気楼の案内人(ミラージュ・ガイド)』

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第二百八十九章『見えないレールと迷子のVIP』


デジタル探偵シャドー:第二百八十九章『見えないレールと迷子のVIP』


2026年5月9日(土) 14:00

東京都江東区、東京湾岸・廃倉庫街


初夏の強い日差しが、ひび割れたアスファルトを容赦なく照りつけている。

海風が吹き抜ける人気のない廃倉庫街の真ん中に、まるで宇宙船のような流線型の白い車両が、ぽつんと停まっていた。


「……運転手もいないのに、ご丁寧にきっちり路肩に寄せて停まってるな」


冴木閃は、立ち入り禁止の黄色いテープをくぐり抜けながら、その奇妙な光景を前に呆れたように呟いた。


車両の側面には『Auto-Cabオートキャブ - 次世代モビリティ』という青いロゴが刻まれている。ハンドルも、アクセルペダルも、運転席すら存在しない、完全自動運転のレベル5を達成した試験車両だ。


「冴木さん、遅いですよ。サイバーの連中はもうとっくに匙を投げかけてます」


顔馴染みの所轄の刑事が、汗を拭いながら駆け寄ってきた。


「要人の無事は確認されたのか?」

「ええ。乗っていたのは、このオートキャブのシステムを開発したIT企業の役員です。怪我はありませんでしたが、かなりお怒りでしたよ。『ハッキングされた! 会社へのテロだ!』って」


刑事の説明によれば、役員を乗せた車両は都心のオフィスを出発し、湾岸エリアのタワーマンションへ向かうはずだった。しかし、途中の交差点で突如として予定ルートを外れ、およそ3キロ離れたこの廃倉庫街まで一直線に走り、ここで「安全に」停止したという。


ドアのロックも解除されたため、乗客は無事に外へ出られたが、無人タクシーの完璧な神話は脆くも崩れ去った。


冴木は胸ポケットからスマートフォンを取り出し、画面をタップした。


冴木:『シャドー、状況はどうだ。天下の自動運転AIが、ただの迷子になったのか? それともサイバー犯罪対策課が騒いでいるように、GPSスプーフィング(偽装)か外部からの遠隔操作か』


暗号化されたチャットルームに、数秒の間を置いてシャドーの無機質な回答が並ぶ。


シャドー:『システムログの一次解析完了。……結論から述べます。外部からのネットワーク侵入、遠隔操作、およびGPS信号の偽装痕跡は一切検出されません。車両の制御システムは、終始「正常」に稼働していました』

「正常だと? じゃあなんで、予定ルートを外れてこんな行き止まりのゴミ溜めに迷い込んだんだ」

シャドー:『ログによれば、AIは交差点において「予定ルートの車線が工事等で封鎖されている」と視覚的に判断。ナビゲーションの安全プロトコルに従い、迂回ルートを再検索しました。その後も、AIは「道路の白線」および「交通ルール」を完璧に遵守し、この地点を『安全な停車可能エリア』と認識して停止しています』

「……AIは、道路のルール通りに走っただけだって言うのか」


冴木は目を細め、車両のフロントバンパーに埋め込まれたLiDARレーザーセンサーと、ルーフに取り付けられた高解像度カメラを見上げた。


システムは狂っていない。ハッキングもされていない。

デジタルな「脳」と「目」は、極めて論理的に周囲の状況を判断し、この場所へと車を導いたのだ。


「だが、現実を見ろ」


冴木は周囲を見渡した。

車が通ってきたはずの廃倉庫街への進入路には、白線など一本も引かれていない。それどころか、アスファルトはひび割れ、雑草が生い茂っている。どんなにポンコツのAIでも、ここを「正規の車線」だと誤認するはずがない。


「……ハッカーの仕業じゃないな」


冴木は車両から視線を外し、車が辿ってきたであろうわだちのないアスファルトへと視線を落とした。


初夏の強い日差しに熱せられた路面から、陽炎かげろうが揺らめいている。

その熱気の中に、冴木の「超直感」が、場違いなものを嗅ぎ取っていた。


(……水の匂い?)

雨など数日降っていない。海が近いとはいえ、この照りつける太陽の下で、路面に水分が残っているはずがない。


だが、車両の後方に続くアスファルトの表面には、等間隔で「何かの液体が急激に蒸発したような、極めて微かな変色」が、点線のように続いていた。


「デジタルの地図が正常なら、書き換えられたのは『現実の道』の方だ」


冴木は、完全に乾ききろうとしているアスファルトの染みの上にしゃがみ込み、その表面を指でなぞった。


デジタルの目だけを騙し、用が済めば太陽の熱と共に消え去る、幻のレール。


「シャドー、サイバーの連中には『ネットワークの監視に戻れ』と伝えろ。相手はキーボードを叩くハッカーじゃない。……アスファルトに魔法をかける、アナログの幻術師だ」


熱を帯びた路面の上で、冴木の直感が、デジタルの死角を正確に捉え始めていた。


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