第二十三章『聖域への突入』
デジタル探偵シャドー:第二十三章『聖域への突入』
夜明け前の、和歌山県の山中。
霧が立ち込める静寂の中を、数台の車両が音もなく進んでいた。警視庁の精鋭で固められた、冴木率いる特別捜査班だ。
彼らの目的地は、山の奥深くにある、小さな共同体『新生学舎』。思想的犯罪組織『ブランク・キャンバス』の聖域である。
「これより、突入する」
冴木の短い号令と共に、部隊は息を殺して学舎の敷地へと侵入した。
古びた木造の校舎、鶏の鳴き声が聞こえる小屋、そして丁寧に手入れされた畑。
どこからどう見てもそれは、俗世を離れた人々が静かに暮らす、平和な共同体にしか見えなかった。
しかし、母屋に突入した彼らを迎えたのは、予想だにしない光景だった。
リビングに集っていた十数人の信者たちは、武装した警官隊を見ても、一切動じなかった。
彼らはただ静かに座り穏やかな、しかし、どこか虚無的な笑みを浮かべて、こちらを見ているだけだった。
「長谷川乾はどこだ!」
冴木が怒鳴っても、彼らは答えない。まるで自分たちは、この世界の理の外にいるとでも言うように、静寂を保っている。
隊員たちが、信者たちを無抵抗のまま確保していく。その間冴木は、家の中を鋭い目つきで観察していた。
この「アナログな生活」の空間に、彼の直感は、強烈な違和感を覚えていた。
(…不自然すぎる)
全ての家具は木製。照明は、最低限の裸電球。デジタルな機器が、一つも見当たらない。徹底されすぎている。これは擬態だ。
冴木の視線が、リビングの隅にある、大きな木製の書棚に止まった。何かおかしい。その書棚だけが、他の家具と違い埃一つなく、異様な存在感を放っている。冴木が書棚に近づき、その背板に手をかけると、僅かに動いた。
「…見つけた」
書棚は、隠し扉だった。
その向こう側には、地下へと続く冷たいコンクリートの階段が、口を開けていた。
階段を下りた先で、捜査官たちは息を呑んだ。
そこにあったのは、木の温もりあふれる地上の光景とは、全くの別世界。
ステンレスの壁に囲まれた、巨大なサーバールームと、最新鋭の機材が並ぶ、ハイテクなコマンドセンターだった。
何十台ものモニターには、日本各地に散らばる「ドッペルゲンガー」たちの生活が、リアルタイムで監視されている。
彼らの生体情報、行動パターン、会話ログ…。『ブランク・キャンバス』は、ここで、彼らが創り出した「新たな生」を、神のように、管理・観察していたのだ。
そして、その中央。
巨大なモニターを背にして、一人の男が、静かに椅子に座っていた。
痩身で白衣をまとった、学者然とした男。10年前から、時を止めたかのような姿の、長谷川乾だった。
「…ようこそ、冴木刑事」
長谷川は、ゆっくりと振り返ると、穏やかな笑みを浮かべた。
「君が、私の『作品』たちを乗り越え、ここまでたどり着くことは、計算通りだよ」
その手元には一つの、不気味なスイッチが置かれていた。
「君は、ドッペルゲンガーの秘密を探りに来たのだろう?いいだろう、見せてあげよう。私の芸術の最終段階を」
長谷川が、そのスイッチに指をかけた、その時。
冴木の背後で、確保されていたはずの、あの虚無的な笑みを浮かべた信者たちが、一斉に、ゆっくりと立ち上がった。彼らの目はもはや、冴木たちを見てはいなかった。
ただ、長谷川の指先だけを、恍惚とした表情で見つめていた。
まるで、救済の瞬間を待ち望むかのように。




