第十一章『デジタル・ストーム』
デジタル探偵シャドー:第十一章『デジタル・ストーム』
警視庁の喧騒の中、冴木は一人、端末の前に座り続けていた。
彼がシャドーに指令を送ってから、すでに10分が経過している。人間にとっては永遠にも思える時間。だが、インターネットの全トラフィックを解析するという、常軌を逸したタスクにとっては、瞬きにも等しい。
その沈黙は、突如として破られた。
シャドー: 『解析を開始。日本国内の主要IXを通過する全パケットデータをリアルタイムでスキャン。午前9時00分前後に、Google Nestデバイスへ向けて送信された、異常なAPIコールを特定。現在、その発信源を逆探知中』
シャドーのウィンドウに、日本地図のホログラムが浮かび上がった。無数の光の線が、都市から都市へと神経網のように伸びている。その上を、まるで台風のように、赤く表示された巨大なデータの奔流が渦を巻いていた。
午前9時に発生した、「マブイ」による命令の痕跡――デジタル・ストームだ。
シャドー: 『…発信源は、高度に分散化、匿名化されている。複数の海外サーバー、ボットネット、無数のプロキシを経由。通常の逆探知では、痕跡が蒸発するまで、推定72時間』
「72時間も待てるか!」
冴木は思わず声を荒げた。
「犯人は、今もこの状況を見て笑ってるんだぞ」
シャドー: 『…計算。解決への最短経路を再設定。別の解析アプローチを試みます』
地図のホログラムが切り替わる。
今度は、嵐の中心部、その「目」へと、猛烈なスピードでズームインしていく。
シャドーは、膨大なデータを一つ一つ追うのではなく、全てのデータが持つ、僅かな「揺らぎ」に注目していた。
シャドー: 『攻撃用パケットには、共通の「署名」が付与されています。それは、特定の暗号化キーによって生成された、極小のタイムスタンプ。人間の目には見えず、通常のプログラムではノイズとして処理される、微細な歪みです』
「犯人の、クセのようなものか」
シャドー: 『はい。この「署名」のパターンは、過去に一件だけ、別の事案で検出されています』
ウィンドウに、新たな情報が表示された。
表示された情報:
・事案名: 3年前、南米の小国で起きた、全国規模のブラックアウト(大停電)事件。
・犯人: 不明。しかし、電力システムの制御プログラムに、今回と99.8%一致する「署名」が残されていた。
・関連情報: 当時、その国の電力システムのAI制御アドバイザーを務めていたのは、当時最先端の技術を誇っていた日本の新興IT企業『TELOS』でした。
「テロス…?」
聞いたことのない企業名だった。冴木がシャドーにさらに尋ねようとした、その時だった。
シャドー: 『警告。犯人「マブイ」が、こちらの解析に気づきました。彼らは、自らの痕跡を消去するプログラムを作動させています。デジタル・ストームは、急速に消滅を開始。完全消滅まで、残り180秒』
日本地図の上に渦巻いていた赤い嵐が、端から急速に透明になっていく。犯人は、自分たちの「署名」が特定されたことに気づき、全ての証拠を消し去ろうとしているのだ。
冴木: 『テロス社について、現時点でわかる全ての情報を表示しろ!急げ!』
シャドー: 『…了解。株式会社TELOS。3年前に南米の事件の後、事実上解散。当時の役員、主要な開発者のリストを表示します。しかし、リスト内のほとんどの人物は、現在…』
シャドーの言葉が、再び途切れる。
ウィンドウに表示された開発者リストの、ほとんどの名前に、赤い文字で一つの単語が付記されていた。
【DECEASED(死亡)】
リストに並んだ、夥しい数の死亡者たち。
そして、その中で唯一、その文字が付記されていない、一人の天才プログラマーの名前を、冴木の目は捉えていた。




