第百七章『鬼の見る夢』
夜空に浮かぶ、巨大な『鬼』。それは、街の視線を独占し、国宝を盗み出すための、壮大な舞台装置。デジタル怪盗が仕掛ける、日本全土を盤上に、見立てた、美しきゲームの序曲。
デジタル探偵シャドー:第百七章『鬼の見る夢』
2025年10月11日、土曜日、午後8時59分。
愛知県豊橋市・豊橋公園。
「……すごい、熱気だな」
人混みの中で、たこ焼きを頬張りながら、冴木は呆れたように、呟いた。
数日間に及んだ、植物工場の事件の報告書を書き終え、彼は週末をこの街で、過ごすことにしたのだ。
そして、偶然にもその夜は、街が一年で最も熱狂する「豊橋まつり」の、クライマックスだった。
やがて、祭りのフィナーレを告げる、アナウンスが響き渡る。
会場の照明が、一斉に落とされ、人々の期待が、最高潮に、達したその時。
夜空を舞台に、数百機のドローンが、光の帯を描きながら、舞い上がった。
最新技術を駆使した、壮大なドローン・ライトショーの、始まりだ。
色とりどりの、光が音楽に合わせて、複雑な模様を、描いていく。
観客から、歓声が上がる。
冴木も思わず、その美しさに、目を奪われていた。
……異変が起きたのは、ショーが始まって、3分後のことだった。
突如音楽が途絶え、華やかだった、光の模様が、ぐにゃりと歪んだ。
そして、全てのドローンの光が、一度漆黒の闇に、吸い込まれたかと思うと、次の瞬間。
夜空に、巨大な真っ赤な『鬼』の顔が、浮かび上がった。
それは憎悪と嘲笑が、入り混じったような、見る者を畏怖させる、圧倒的な迫力。
ざわめきと悲鳴が、観客席を支配する。
「なんだ、あれ……」
「演出……じゃないよな?」
冴木だけが、冷静だった。
彼は、空の鬼を見上げ、そして、すぐに周囲の人々の、顔を見渡した。
老人も、子供も、カップルも、警察官ですら、誰もが空に、釘付けになっている。
(……これだ)
冴木の、脳内で警報が、鳴り響いた。
(これは、ただのイタズラじゃない。街中の人間の視線を、たった5分間、完全に空へと独占するための、完璧な舞台装置……!)
鬼の顔が、不意に消え、ドローンが力なく、墜落を始める。
パニックと混乱が、地上を支配する、その真っ只中で。
冴木のポケットのスマホが、けたたましく鳴った。市内に、発令された、緊急警報だ。
画面には、ただ一行。
『豊橋市美術博物館にて、国宝『赤鬼面』盗難発生』
冴木は、墜落していくドローンの、残光を見上げながら、静かにシャドーに、命じた。
「シャドー。聞こえるか。……どうやら、祭りの本当の主役は、空の上じゃなかったらしい。美術館のサーバーに、侵入しろ。……ショーは、これからだ」




