第百六章『最後の、授業』
デジタル探偵シャドー:第百六章『最後の、授業』
冴木は、改造された万年筆を、静かにポケットに、しまうと、再び図書館へと、向かった。
広い館内の、一番奥。
古谷は、先ほどと、全く同じ姿勢で、静かに本を、読んでいた。
まるで、これから訪れる運命を、全て知っているかのように。
冴木は、彼の向かいの椅子に、静かに腰を下ろした。
その気配に、古谷はゆっくりと、顔を上げる。
「……もう、見つかりましたか」
それは、問いかけではなかった。穏やかな、確認だった。
冴木は、何も言わず、ポケットから、あの万年筆を取り出し、テーブルの上に、置いた。
古谷は、愛おしそうに、その万年筆を見つめ、そして、諦めたように微笑んだ。
「……やはり、あなたには、敵いませんな」
「なぜ、こんなことを?」
冴木の問いに、古谷は読んでいた、本を静かに、閉じた。
「……刑事さん。今の子供たちが、羨ましいと、思いますかな?」
「……どういう、意味です?」
「彼らはもはや、自分の頭で、考えることを、やめてしまった」
と、古谷は静かに、言った。
「分からないことがあれば、すぐに検索する。友人と、議論するでもなく、ただ画面に、表示された、薄っぺらい『正解』を、鵜呑みにする。……彼らのノートは、皆同じフォントの、同じ言葉で、埋め尽くされている。そこに個性も、魂も、ない」
彼は、フリーズしたタブレットに表示された、あの「空白の、ノート」に、思いを馳せるように、目を細めた。
「私はただ、彼らに思い出させて、あげたかっただけなのです。自分の手で、自分の言葉を、紡ぎ出すことの、素晴らしさを。……何も、書かれていない、真っ白なノートを、前にした時の、あの胸のときめきを。……私のやったことは、授業の一環なのですよ。……少し、手荒なやり方でしたがね」
その言葉は、罪の告白であると同時に、一人の教育者としての、最後の「授業」でもあった。
冴木は、静かに、立ち上がった。
「……古谷仁。あなたを、威力業務妨害の容疑で、逮捕します」
「……承知、しました」
古谷は、静かに、頷いた。
彼が差し出した、老いた手に、冴木が手錠を、かけようとした、その時。
図書館の入口が、少し騒がしくなった。
何人かの生徒たちが、そこに立っていた。
彼らの手には、いつもの、タブレットではなく、家の物置から、引っ張り出してきたような、古い紙のノートと、鉛筆が握られていた。
そして彼らは、戸惑いながらも、自分たちの、言葉で何かを、話し合いノートに、書き留めようとしていた。
その光景を見た、古谷の目元が、ほんの少しだけ、優しく緩んだ。
彼の最後の授業は、確かに何人かの生徒の心に、届いたのかもしれない。




