第百五章『羽根ペンと、万年筆』
デジタル探偵シャドー:第百五章『羽根ペンと、万年筆』
冴木の、指令を受けた、シャドーの意識は、慧明学園の堅牢な、サーバーの壁を静かに、すり抜けていた。
ターゲットは、ただ一人。古典文学担当・古谷仁。
シャドーはまず、学園の人事データベースに、アクセスした。
そこにあった、古谷の経歴は、輝かしいものだった。
国内トップの大学を卒業後、一貫して教職の道に、身を捧げてきた、ベテラン中のベテラン。生徒からの、人望も厚い。
だが、シャドーが、彼の学内での活動記録を、深掘りしていくと、一つの特異点が、浮かび上がった。
5年前、学園が「教育の、完全デジタル化」を、推し進めた際、その方針に、唯一真っ向から反対意見を、提出していたのが、この古谷だったのだ。
シャドーは、その時に彼が提出した、意見書のデータを、探し当てた。
そこに、綴られていたのは、ただの、感情的な反対論ではなかった。
『……ペンを握る、力加減。紙の匂い。インクの滲み。文字を書くという行為は、思考を身体に刻み込む、神聖な儀式である。それを、画一的なデジタルデータに、置き換えることは、生徒から、言葉の「重み」と「身体性」を、奪うことに、他ならない…』
シャドー: (……冴木。見つけました。彼の、思想です。犯行メッセージと、完全に、一致します)
「……ああ。間違いないな」
図書館の陰から、古谷を見つめながら、冴木は答えた。
犯行メッセージにあった、あの流麗な『羽根ペン』は、古谷の思想の象徴だったのだ。
動機は、分かった。だが、肝心の実行手段が、分からない。
シャ-ドーが、彼のPCのログを解析しても、ハッキングを、行ったような、痕跡は一切、見つからない。
冴木は、図書館を後にすると、今度は教師たちの、職員室へと向かった。
そこでも、教師たちは機能停止した、タブレットを前に、途方に暮れていた。
冴木は、何人かの若い教師に、話を聞いて回った。
「古谷先生?ええ、尊敬していますよ。いつも、穏やかで……。ただまあ、少し、時代遅れなところも、ありますけどね」
「デジタル化には、最後まで、反対されていましたね。『君たちは、万年筆の、インクの、匂いを、知らない、可哀想な、世代だ』なんて、よく、皮肉を、言われましたよ」
何気ない一言に、冴木の思考が、止まった。
万年筆。
冴木は、すぐにシャドーに、命じた。
冴木: 『シャドー!学園の、全生徒・全教師が、使っている、タブレットの、正式な製品名を、調べろ!そして、その付属品……特に、純正タッチペンの、仕様を徹底的に、解析しろ!』
数秒後。シャドーから、驚愕の事実が、もたらされた。
シャドー: (……冴木。見つけました。致命的な、脆弱性です。学園指定の『タッチペン』の、内部には、ワイヤレス充電用の、受信コイルが、あります。これに、外部から、特定の、超音波を、照射すると、コイルが、異常共振を、起こし、ペアリングされた、タブレット本体に、強制的な、エラー信号を、送り続けて、システムを、フリーズさせます)
「……超音波だと?」
冴木: (……だが、待て。それだけの、強力な超音波を学園全体に、届かせるには、相当大掛かりな、装置が必要だ。ポケットに、入るような代物じゃ、ない)
シャドー: (はい。犯人は、おそらく、学内の、どこか、中心的な、場所に、強力な、超音波発生装置を、隠し、作動させたと、思われます。例えば、放送室や、サーバールーム……)
犯行の全体像が見えた。
冴木は、職員室の古谷の机へと、向かった。
綺麗に整頓された机の上。ペン立てに、一本だけ、古風で美しい万年筆が、差してある。
だが、そのキャップの先端には、万年筆にはあるはずのない、小さなボタンが、付いていた。
(……これか)
冴木は静かに、それを、手に取った。
(これは、学園全体を、攻撃した、兵器じゃない。彼が、この脆弱性を発見し、自らの仮説を証明するために作った、最初の、実験機だ。……そして、犯行の動機と、犯人を結びつける、唯一の物証……)
「……あんたは、羽根ペンじゃなく、こいつで、生徒たちの、言葉を、取り戻そうとしたんだな」
ゴーストの正体は、ハッカーではなかった。
ただ、自らの信念に殉じようとした、一人の、老教師だったのだ。




