第百四章『沈黙の学舎』
デジタル探偵シャドー:第百四章『沈黙の学舎』
2025年10月13日、月曜日、午後1時。
冴木が、足を踏み入れた、私立・慧明学園は、まるで巨大な、美術館のような場所だった。
ガラスとコンクリートでできた、近代的な校舎。塵一つない廊下。そして何よりも、不気味なほどの「静寂」。
本来なら、生徒たちの活気に、満ちているはずの、昼休みの時間。だが校舎には、話し声一つ、響いていない。
デジタルという、神経を断たれた学園は、ただ静かに、沈黙していた。
校長室で冴木を出迎えたのは、校長というより、IT企業のCEOといった雰囲気の、壮年の男だった。
「……お待ちしていました、冴木刑事」
彼は、心労を隠しきれない、様子で言った。
「一刻も早い、解決を、お願いします。理事会も、保護者の方々も、黙っては、おりません」
彼の、口から語られるのは、システムの復旧、犯人への損害賠償、そして、地に落ちた学園の、名声についてばかり。
あの、タブレットに、表示された哲学的なメッセージに、心を痛めている様子は、微塵もなかった。
「捜査への協力は、惜しみません。サーバーへのアクセス権限も、お渡しします。……犯人は、おそらく悪質なイタズラをした、生徒かあるいは、我々のシステムを妬んだ、外部のハッカーでしょう」
冴木は、適当に相槌を打ちながら、校長室を出た。
許可を得て、校内を一人、歩き始める。
生徒たちは、教室ではなく、図書館やラウンジに、集まっていた。
だが、彼らは会話をするでもなく、ただ、所在なげにフリーズした、自分のタブレットを、眺めている。
ペンも、ノートも、持たない彼らには、もはや学習する、術がないのだ。
(……奇妙な、光景だ)
冴木は、図書館の奥へと、進んだ。
その、一角だけがまるで、別世界だった。
最新の、電子書籍リーダーが、並ぶ、書架の中で、一人だけ古びた、紙の文庫本を、静かに読んでいる、老教師がいた。
彼の周りだけ、時間が止まっているかのようだった。
生徒たちが、皆、不安げな表情を、浮かべている中で、彼だけが穏やかな笑みを、浮かべて、読書に没頭している。
冴木は、その教師の名前を、胸元の名札で、確認した。
『古典文学担当・古谷』
その時、冴木の刑事としての直感が、鋭く反応した。
冴木は、そっと図書館の陰に入ると、シャドーにアクセスした。
冴木: 『シャドー。学園のサーバーへの、侵入を開始しろ。だがその前に、まず一人の人物を、調べ上げろ』
シャドー: 『……誰です?』
冴木: 『古典担当の、古谷という、教師だ。経歴、思想、学園での、評判……。徹底的に、洗い出せ』
シャドー: 『……了解。彼が、容疑者だと?』
冴木は、本の世界に没入する、古谷の横顔を、見ながら、静かに答えた。
「……ああ。この、静かすぎる学園で、一人だけ、心の底から、今の状況を、楽しんでいる人間がいるとすれば、そいつが犯人だ」




