第百章『怪物(モンスター)には、怪物(モンスター)を』
デジタル探偵シャドー:第百章『怪物には、怪物を』
2025年10月11日、土曜日、午前7時。
朝日が昇る、ホテルの一室で、冴木は石田蓮の、経歴書を、睨みつけていた。
大学教授、そして、伝説のハッカー。
社会的な地位も、完璧なアリバイも、ある。下手に動けば、こちらの首が、飛ぶ。
相手はこれまでの、どの、犯罪者とも次元が、違う。
(……どう、崩す?この、完璧な布陣を…)
冴木は、思考の袋小路に、迷い込んでいた。
その時、彼の脳裏に、ふと一人の、老紳士の顔が、浮かんだ。
自らの犯行を、チェスに例え、優雅に警察を、翻弄した、あの男。
そうだ。この盤面を、読み解けるのは、同じレベルの、プレイヤーしかいない。
「……シャドー」
シャドー: 『…はい』
「至急、東京に戻る。……そして、東京拘置所に、特別面会の、手配をしろ。客の名前は……時任錠だ」
同日、午後4時13分。東京拘置所・特別面会室。
分厚いアクリル板の向こう側で、時任錠は静かに、本を読んでいた。
囚人服を着ていても、彼の優雅な、雰囲気は、少しも、損なわれていない。
冴木の姿を認めると、彼はゆっくりと、本を閉じ、まるで、旧友に会ったかのように、微笑んだ。
「これは、これは、冴木刑事。一体、どういう風の、吹き回しですかな?ついに、あなたも、アナログの美しさに目覚め、私に教えを乞いに?」
「冗談は、よせ」
冴木は、椅子に深く、腰掛けると、単刀直入に、切り出した。
彼は、今回の事件の、概要……アグリネクスト社の事件と、犯人『バジリスク』の正体が、大学教授・石田蓮である、可能性を、全て話した。
そして、彼が犯行現場に、残した「神の一手」という、サインについても。
時任は、実に楽しそうに、その話を聞いていた。
退屈な獄中生活に、差し込んだ極上の、エンターテイメント。その喜びに、彼の瞳は、爛々と輝いていた。
「……なるほど。実に、面白い。実に、美しい!」
時任は、感嘆の声を、上げた。
「その、石田教授という男。気に入りました。彼は、ただのハッカーではない。芸術家だ。自分の、仕事を盤上の芸術にまで、高めようとしている」
「対策を、聞きたい」
と、冴木は言った。
「あんたなら、彼の次の一手が、読めるはずだ」
「対策、ですか」
時任は、少し考えるように、天井を見上げた。
そして、冴木の目を、まっすぐに見て、言った。
「……刑事さん、あなたは一つ、大きな、勘違いをしている」
「……何?」
「あなた方は、彼のデジタルな犯行の、痕跡ばかりを、追っている。だが、彼のような人間にとって、ハッキングなど、ただの『手段』に、過ぎません。彼の、本当の『作品』は、別の、場所にある」
時任は、アクリル板を、指でトン、と叩いた。
「碁打ちが、本当に望むものは、何ですかな?それは、美しい『棋譜』を、残すこと。つまり完璧な、ゲームの記録です。……その石田教授が、今回の『ゲーム』で、最も美しいと感じ、記録に残したいと思うものは、一体何でしょう?」
ハッキングの、痕跡ではない。
彼が、残したい「棋譜」。
その、謎のような言葉は、しかし、冴木の脳を、稲妻のように、貫いた。
捜査の方向が、全く違う、可能性。
「……面白い、ヒントを、ありがとう、時任」
冴木は、立ち上がった。
時任は、また優雅に、微笑んだ。
「いえいえ。最高のゲームを、盤の外から、楽しむのも、また一興ですからな」
怪物の言葉を胸に、冴木は再び戦場へと、戻る。
ゴーストの、本当の「作品」を、暴くために。




