第4話:動き出す闇
翌朝、アレスは昨夜の出来事が脳裏から離れないまま、重い足取りで貧民街を歩いていた。倒れていた中年男性は、ライラと協力して近くの診療所に運び込んだ。命に別状はないとのことだったが、彼の懐から持ち去られた木箱のことが、アレスの心をざわつかせていた。あれは一体何だったのか。そして、なぜ男たちはあれほどまでに執拗に狙っていたのか。
貧民街の空気は、これまでになく張り詰めていた。普段は活気に満ちているはずの路地裏も、どこか人が少なく、不穏な沈黙が漂っている。アレスが住む通りには、今日もまた、見慣れない男たちが数人、あたりをうろついていた。彼らの粗暴な雰囲気は、貧民街の住人たちを明らかに萎縮させている。
アレスは、祖父から受け継いだ技術を頼りに、その日も数件の修理依頼をこなしていた。壊れた水道ポンプの修理、古い織機の調整。どんなに些細な依頼でも、彼の腕は確かだと評判は良い。しかし、依頼主たちの顔には、不安の色が隠しきれないでいた。
「アレスさん、最近、変な連中がよくこのあたりをうろついてるわね。何かあったのかしら?」
織機の修理を終えた老婦人が、心配そうに尋ねてきた。アレスは曖昧に首を振る。
「さあ…私も詳しくは。でも、用心した方がいいかもしれませんね」
自分でも確かなことは何も知らない。しかし、この不安な状況を無視することもできなかった。アレスの心の中で、ヴァルガス家の末裔としての、あるいはただの一市民としての、何らかの責任感が芽生え始めていた。
昼食のため、いつもの小さな食堂に入ると、ライラが先に食事をしていた。彼はアレスの顔を見るなり、神妙な面持ちで手招きする。
「アレス、聞いたか? 昨日、あの連中に襲われた男、意識が戻ったらしいんだ」
アレスはスープの入った木製のボウルをテーブルに置き、身を乗り出した。
「それで、何か話したのか?」
「ああ。どうやら、奴らは古い魔導具を探しているらしい。あの男が持っていた木箱も、その一つだったようだ」
ライラの言葉に、アレスの眉間にしわが寄る。魔導具。この世界に数多く存在する、魔法の力が込められた道具だ。しかし、なぜ彼らは今になって、貧民街で魔導具を探しているのだろうか。しかも、あんなに強引な手段で。
「その魔導具が、一体何なんだ?」
「それが…男は意識がはっきりしないようで、肝心なことは何も話さないらしい。ただ、**『鍵』**という言葉だけを、うわ言のように繰り返していたと…」
「鍵…?」
アレスの脳裏に、祖父のノートに描かれていた機械鳥の絵がよぎった。あれもまた、精巧な魔導機械の一種だ。もしかしたら、その魔導具と何か関係があるのだろうか。
「とにかく、あの連中はこの貧民街に、まだ他にも何かを探しに来ているのは間違いない。下手に関わると危ないぞ、アレス」
ライラは心配そうにアレスに忠告した。しかし、アレスの心はすでに、あの**「鍵」**という言葉と、昨夜持ち去られた木箱の行方で占められていた。祖父が残した「世界の真理を解き明かす鍵」という言葉と、どこかで繋がっているような気がしてならなかった。
アレスは、ただの修理屋として傍観しているだけではいられない、という予感をひしひしと感じていた。この貧民街に迫る影は、アレス自身の過去、そしてヴァルガス家の秘密とも、深く関わっているのかもしれない。