9 王命での婚約はこりごりです
王城への帰りの道すがら、フィリップは馬車の窓から遠ざかる侯爵家をじっと見ていた。
「殿下、先ずはおめでとうございます」
向かいに座る側近のアンドレアが嬉しそうに話しかけた。
アンドレア・ノリス侯爵子息。
現宰相の嫡男であり、フィリップと同じく次期国王の支援部隊の要となる。
次期国王の王太子のリュミエルとは同年で学生時代には仲も良かったようだ。
宰相という要職に在れば大概の国家機密を握っているため、伴侶には知的で信用できる女性がいいと普段から周囲にも漏らしていた。
これがなかなかの美男子なので、社交に出れば毎度あっという間に御令嬢方に囲まれる。
「見目が良いというだけで何故好きになるのか理解できない。私は飾り物ではないのだからそういう目でしか見ない者は私にとってもただのモノだというのを何故分かろうとしないのか」
とは普段からのアンドレアの弁である。
そこで降って湧いたエヴァンジェリンの婚約破棄話。
アンドレアの伴侶にうってつけであり、次期国王を支える者の一員としても逃がすわけには行かなかった。
国王が新たにエヴァンジェリンの婚約先に彼を指名しようとした。
待ったをかけたのは他でもないフィリップだった。
アンジェからも
「父上、幾らなんでもエヴァンジェリン様のお気持ちを無視しすぎませんか」
とクレームが入った。
元はと言えば父王の結んだ政略婚の話でエヴァンジェリンが傷付いたのだから、もう余計な事はするなと。
単なる駒の様に扱おうとする父王に、エヴァ様大好きなアンジェが本気で噛み付いたのだ。
子供の頃からエヴァンジェリン以外は妃にする気はないとアンジェやアンドレアにも漏らしていたので、フィリップの想いは二人とも知っている。
それが父王の命で公爵家の三男との婚約が結ばれてしまったので、フィリップは落胆し、アンジェはぷんすかとむくれた。
それでも王侯貴族であれば、個人の感情より家の利害を優先すべきなのはわかっていたからと割り切ってはいた。
幼い頃から伴侶にはこの子しかいないと思って来て、諦めなければいけない状況になったのに公爵家の三男坊がやらかしてチャンスが回って来た。
自分にもやっと運が回って来た。
傍に居たアンドレアもフィリップの想いは知っている。
勿論アンドレア自体もエヴァンジェリンを好ましくは思ってはいたものの、主の想い人を奪う形になったら将来的に禍根が残る。
そこで宰相と相談し、国防の要である辺境伯の令嬢との婚約を打診することになった。
結婚するつもりが無いと言っていたフィリップが、エヴァンジェリンとなら婚姻したいと言い出したので、国王も渡りに船とばかりに了承したのだった。
「めでたいとはなんだ。エヴァンジェリン嬢は祝宴のパートナーになると言ってくれただけだ」
思わせぶりにニコニコするアンドレアにフィリップは不貞腐れ気味に応じた。
「嬉しいと仰れば宜しいじゃないですか、殿下」
「親切心や利害の一致で受けてくれただけかもしれない」
可愛げが無いことを言う。
何より、御令嬢があの赤いバラの花束が求婚の意思表示であることを理解してくれたのかどうかさえ分からない。
障壁が去っても、御令嬢の心まで得られるかどうかはまだわからないのだ。
「それでも断られなかったのですから、嫌われていないことだけは確認できたじゃないですか」
「…私は王子だからな」
そりゃあ王族に頼まれて、またも拒否などできないだろう。
王命に背いた侯爵家は崖っぷちなんだから。
卑怯かもしれない。
それでもいい。
エヴァンジェリンを手に入れられるなら。
他に何も望まなかった王子がたった一つだけ望んだもの。
『エヴァンジェリン嬢の婚約を王命にしないで戴きたい。誰かの命令ではなく、自発的に互いに心から信頼し合う相手を私の妃にしたいのです。信頼は誰かに押し付けられてできるものではないからです。そう思う相手がエヴァンジェリン嬢で、彼女以外考えられませんでした』
フィリップは父王にそう申し出てアンドレアとの婚約を考え直すように直訴した。
頑なに婚姻しないと言っていた第二王子が言葉を翻したのだ。
国王も諾と言わざるを得ない。
『私は婚姻しないと言っていたのではなく、相手がエヴァンジェリン嬢でないならば、という但し書きが付いていただけなのですよ』
そう思っていたのは幼い頃からの長い年月だということをアンジェも口添えした。
父王の同意は得られた。
後は当のエヴァンジェリンに好きになってもらえるよう努力するしかない。
今日はまだその第一歩に過ぎない。