47 必要なのは平和な未来です
正式にミッドガルドの王がシオンを訪れたのはリンゼイ王との会談の後になった。
半ば攫うようにしてシオンの王女を連れ去った事に対しての謝罪になる。
本当はサノーバ女侯爵だったのだが、それは単なる結果であって意図していた事には変わりない。
ナバール王は過去の数々のやらかしによって王妃からまるきり信用されていないため、対応は王妃が行った。
そこにはアンジェ王女とエヴァンジェリンも同席している。
「私としてはヘルベルト王のやり様は腹に据えかねるのですが、我が義娘がただ一つの条件だけを守って下されば良いというのでそれを申し入れる事にしましたの」
何しろ王女を単なる道具として欲していたというのがマルガレーテ王妃の逆鱗に触れた。
アンジェ王女には政略と言えど想い合った婚約者が居たし、間違われたエヴァンジェリンも同様。
「我が国にあるロード領及びサノーバ領を不可侵の地域として大陸の交通の要衝とする事」
寧ろそれだけでいいのか、とヘルベルト王は驚いた表情を見せた。
「誰でも容易に出入りできるのは衝突が無いことが前提です。我が義娘は争いを好まず平和を願っています。その為に身を賭して働こうとする。ヘルベルト王に黙って連れ去られたのも、そうした覚悟があってこそ。まさしく未来の王妃としての器を備えた妃」
それに、とマルガレーテ王妃が付け加える。
「ミッドガルドはこの先シオンとリンゼイとの和平を結ぶのであろう?義娘が言うには、ミッドガルドで何やら『王太子』殿下との約束がある様だからな。ああ、トーエンもであったか」
この場でミッドガルドの王太子という名が出たのに周囲は驚き、ヘルベルト王も眉根を寄せた。
フリードの存在は国外には報せていない筈だ。
トーエンは小さいながらも海路の要衝になる。
ロード領と併せてシオンは大陸の交通網をほぼ掌握したと言っていい。
「そうせざるを得ないということだな」
「あら、御不満がありそうなお言葉ですわね」
「いや、そうではないのだが」
ヘルベルト王はちらりとナバール王を見遣る。
「どうだろうマルガレーテ王妃。今からでも私の妃にならないか」
性懲りもなくそう言い出したヘルベルト王に、マルガレーテ王妃が溜息を吐いた。
「何度も言っているようにお断り申し上げますわ。我が王は私がいないと満足に国を治められないような虚け者ですゆえ。私は王というよりこの国を愛しておりますの」
失礼な、といきり立ったナバール王をマルガレーテ王妃がお黙りなさい、と小さく叱責して睨み付ける。
「まあそうであろうな。でなければ其方の価値もわからぬような男が今尚王を名乗れる筈もない」
『真の愛』を使ったからには、それなりにシオンの王の落ち度があったという事だろう。
とすれば、逆にその余波を喰ったミッドガルドからも何らかの賠償を求める事も出来るはずだが、敢えてヘルベルトはそうしなかった。
ただ、それをすれば泥仕合になるだけでエヴァンジェリンの意向は反故にされる。
それに、王太子から未来の約束を聞かされたのだからここは和平を維持する方向に落ち着けるべきだとヘルベルト王は考えたのだ。
「王の情愛など何の役にも立ちませぬ。自己逃避の方便に使われるだけで。我が王はそれを御自身で証明された。王家に生まれたというだけでその器を持ち合わせる訳ではないでしょう。器が無いなら私が補えばよい。器を持つ者を疎んじたら下々の者に嗤われるだけ」
ふふ、と扇で口元を隠してマルガレーテ王妃が笑う。
「貴女がリンゼイの王女であるから、というだけではない。貴女の持つその手腕こそが必要だと私が考えていたのだ」
「ヘルベルト王。私も義娘も、既に未来を見ているのですよ」
「未来、か」
一瞬、ヘルベルト王が眩しそうに目を細めた。
永らく時が止まったままだったミッドガルドが心から欲していたものだった。
「そうです。義娘のエヴァンジェリンが未来を拓いて行くのです」
「だが、それでは償いには割が合わないだろう」
「いいえ、それで十分なのです」
そこにエヴァンジェリンが口をはさんだ。
「私の望みは、未来に禍根を残す事ではないのです」
その言葉だけで十分だった。
ヘルベルト王に出された条件は、エヴァンジェリンの意向に全て沿ったものだとわかる。
「貴女も、リンゼイの善き王妃となるのだろうな。御陰で私も未来を楽しみにできるようになった」
諦めてしまっていた未来を、止まってしまっていた時を、動かすのは未来のリンゼイの王妃なのだとヘルベルト王は思った。




