46 失われた時は戻りません
リンゼイの国では、久々の慶事に湧いた。
先行きが不安だった世継ぎ問題が一気に解決されたのだ。
しかもその世継ぎは、王の甥であり内外で評価の高いシオンの第二王子で、その上優秀と名高い女侯爵がその伴侶となる。
但し即位はもう暫くリンゼイでの公務を重ねてから。
次代の王として国民の信頼を得る為に、地盤を固めて行かなければならない。
表向き拉致されていたことになったアンジェも、これで堂々とオリバーと婚姻できる。
シオン国王ナバールはゴネにゴネたが、元はと言えば国王が己の為すべき事を蔑ろにしたせいで結果としてこうなっただけだ、と王妃と子供達に反論されて押し切られた。
「今更私の子供達が自分の子であるという自覚でもできたのですか。子供達は貴方の姿を見てそのような大人にはならないと反面教師にして育ってきたというのに。私とて婚礼の日の夜の屈辱は生涯忘れる事がございません」
国王は自分が妃とその子達を大切にしてこなかったツケは生きている限り払わされることになる。
自分の感情しか大切にしない国王と違い、王妃は常に国や世界の情勢を見据えていた。
いくら反省しようがどうしようが、過ぎ去った時は戻らないし長年積もった不信感は簡単に拭えるものではない。
フィリップが王家と国を離れ、リンゼイの王家に入る挨拶を父王にした時、ナバールは背筋が凍りついた。
「父上、永らくお世話になりました。この国で学んだ事を活かし、これからはリンゼイとシオンの懸け橋となるよう努めてまいります。どうぞ父上もシルビア殿とお幸せに息災にお過ごしください」
マルガレーテ王妃や王太子とではなく、側室のシルビアと。
自分達の立ち位置は、王にとって側室以下の存在だったのだからフィリップの認識は何も間違っていない。
「一つだけ父上にお尋ねしたく思います」
「なんだ」
「父上は、御自身の心の望むままに愛した女性を手元に置き、母上を蔑ろにしてそれが幸せな人生でしたか?」
冷たく見下ろす息子の双眸は、父親に尊敬の欠片も浮かべていない。
後悔することは多々ある。
でもそれが己が求めた幸せだった筈だ。
愛した相手に愛される、その至上の喜びを得ている間は確かに幸せだった。
それが醜い女だったと気付くまでは。
「そうだと思っていた。でもそれは間違いだった」
それを聞いたフィリップの目がすうっと細められた。
「母上と私達兄弟が貶められていたのを知っていて幸せだったと思われていたのですね」
統治者としても父親としても何一つ敬えるところがない。
これで何一つ思い残すことなくリンゼイに行ける。
「美しい者も齢を取れば容姿は衰える。それを差し引いても、父上も同様に醜かったのです。その心根こそが」
素晴らしいあの王妃の一体何を見てきたのだ。
何も見ようとしなかったのだろう。
「シオンは母上の御陰で体裁を保って来られたのです。自分を裏切る王を見捨てて祖国に帰ることもできたのに、そうされなかった。真にシオンに愛情深く尽くされたのは母上だ」
それはナバールもわかっているのだろう。
逆に王妃が居なければ、野心に満ちた貴族達に良いように操られていただろう。
シルビアに現を抜かしていられたのも王妃の君主としての采配があってこそだった。
国王の味方は、今や側妃を送り出した利害しか見ていない、信用のできない貴族達。
この機に王妃は大鉈を振るい、己の得にしか興味のない所謂『反体制貴族』の粛清に乗り出した。
そういう輩は国と国王に忠誠を誓っているのではなく、いざとなれば利害で裏切る事もある危険分子でもあった。
フィリップはまた、自分に仕えてくれているアンドレアの居るノリス家含め、複数の貴族を連れてシオンを出る事にした。
シオンのお飾り国王とリンゼイの王太子では、その地位は逆転する。
次に自らの次男と会う時には、ナバールが膝を折る立場になる。




