31 突然ひょっこりと愛が顔を出しましたのですわ
王女殿下と一介の貴族ではその身の重さが異なります。
この場の誰も私が王女ではないと異を唱える者は居ません。
フィリップ殿下ですら、ただ恐ろしい形相でミッドガルド王を睨んで踏みとどまっています。
そこに、つんつんと腕に何かが当たる感触がありました。
王妃陛下がオリバー様の背越しに、何かを私に渡そうとされています。
視線を逸らさずにそれを受け取りました。
何か丸いものです。
それをささっとドレスのポケットに入れました。
「もしも私が否と申し上げましたら?」
緊張のあまり声が震えていたかもしれません。
「力尽くでも連れて帰りましょう。何、この中の何人かが血に染まるだけです。その時にはミッドガルドよりこの地の統治者を送り込めば済む話ですから」
「お待ちなさい!」
王妃陛下が声を上げます。
「それはシオンのみならず、リンゼイに対する宣戦布告と受け取って宜しいか」
「宣戦布告?物騒な事を。只の政略婚の申し込みではありませんか。それも平和的な手段の」
う~ん、力尽くで連れ去るのがミッドガルド流の平和的な手段なのでしょうか。
視界の端の方でアンジェ様が何かを訴えるように唸っておりますが侍従長がその口を必死で押さえていらっしゃいます。
恐らく人違いだと仰りたいのでしょうが、このまま間違われたままで私が連れ去られる方が実害が少ないのは確かです。
「私がそれに応じればシオンには手出しされないと約束していただけますか」
胸を張ってそう申し出ますと、ミッドガルド王は満足そうに頷いていました。
「古来の神話に因ればミッドガルドの王とリンゼイの女王は夫婦であった。我等が手を取り合えば大陸は平和のうちに治められる」
その神話の時代からどれだけ時が経っているとお思いなのでしょう。
私の元婚約者は頭にクリームが詰まってると思ってましたが、この御方は頭の中でカビでも生やしていらっしゃるのかしら。
もしかして苔を繁殖していらっしゃるのかもしれませんわね。
頭の中に妙なものを入れる御方が多いのも困ったものです。
「お返事をいただいておりませんが」
質問には答えてくださいね。
神話がどうのとかファンタジーな回答は受け付けておりません。
「共に繁栄を願う者には滅びは与えない」
はあ、と溜息を一つ吐かせてくださいな。
「わかりました。求めに応じます」
そう言うと、王妃陛下、隣にいらっしゃるオリバー様、フィリップ殿下やアンジェ殿下の顔色が青ざめました。
別にいいじゃありませんか、所詮王家預かりの身ですから、精一杯お役に立ちましょう。
「ああっ、我が愛しい娘よ」
王妃陛下が私に抱き着きました。
フィリップ殿下の妃になるつもりであったので、王妃陛下が私を娘と既に呼んでいたので間違いではありません。
「…あれはリンゼイ王家の秘薬」
こっそりと誰にもわからないような小声で耳元で囁かれます。
「身に危険が迫った時は飲むと良い。シルビアに飲ませたものだ」
―――御子が出来ないようにするという、例のあのお薬ですか。
う―――ん。
そうすると私はもうサノーバ候に戻れないって事でしょうか。
フィリップ殿下の御心に沿えずに、そちらも非常に心苦しいのですが。
「ご安心くださいお母様。私はシオンを守ってみせます」
そう言って私も王妃陛下を抱きしめました。
フィリップ殿下もやって来て、一緒に抱きしめられました。
「必ず、貴女を助け出す。このままミッドガルドには渡さない。愛するエヴィ、僕を信じて」
心から大切に愛される。
それがあるだけで私は幸せだと思いました。
「はい、信じています。私も愛しております」
そうね、私も殿下を愛していたんだわ。
何かを与えたいと心から思うこの気持ちが愛というなら。




