19 カタリナにはもう与えられません
部屋に居たエヴァンジェリンは、いきなり現れたガスパールに驚いていたが、只ならぬ様子に侍女達が傍を離れる事は無かった。
開口一番、復縁を申し込んだがけんもほろろだった。
―――何でだよ!
貴族の男の浮気くらい、甲斐性のうちだろ!
頑として応じないエヴァンジェリンにそんな事を言える立場でもないのに苛立った。
自分を許さないエヴァンジェリンが悪い。
ガスパールの拗れた頭の中はそれでいっぱいになっていた。
可愛げのない女だ。
でもこんな可愛げが無い女でも妻にしなければ貴族で居られなくなる。
だから必死に我慢して懇願したのに、彼女の返事は覆らなかった。
「それによって私の立場を著しく傷つける事は全く考えておられなかったと」
そう言われて初めて、既に自分が目の前の女性を疵物にしたのだという事実を突きつけられた。
自分の事ばかりで、婚約破棄されたエヴァンジェリンがどういう立場に置かれるのかまで考えていなかった。
「だから悪かったと思ってる」
勢いを削がれてそう言うに留まると、逆に静かにエヴァンジェリンが怒りを表した。
貴族籍排除の決定は国王陛下が下されたのだから、不服なら自分で直接訴えてはどうか、もう自分の手には負えないのだからと淡々と事実だけを言ってくる。
冷たいと思ってもそれが事実だし何もエヴァンジェリンが悪い所はない。
元はと言えば自分が起こした事だった。
自分を捨てたのだからカタリナと一生添い遂げて幸せにするように、と微笑んでエヴァンジェリンは部屋から出て行った。
部屋の外ではエヴァンジェリンとカタリナが何やら言い争ってた。
いつもしおらしく甘えるカタリナが、あんなに声を荒げるなんて珍しい。
…いや、ひょっとしたら。
あれがカタリナの本性なのかも知れない。
もしかして自分はエヴァンジェリンがみっともなく泣いて縋るのを期待していたのだろうか。
可愛らしくカタリナの様に甘えてきたら婚約を続けてもいいと思っていただろうか。
それでも。
国王の命令を勝手に自分が変えてしまってはいけなかった。
「何をされているのです、エディン公爵令息様」
慇懃にアルバートが声をかける。
「もう貴方様はお嬢様の婚約者ではありません。金輪際邸には来ない様にとの旦那さまからのお言いつけです」
そう言ってガスパールを裏口から外に出そうとする。
表から堂々と出してはならないという強い意向が感じられた。
国王陛下の命令には、エヴァンジェリンは元よりサノーバ侯爵ですら逆らう事はできない。
ましてや貴族の三男坊でしかない自分なら尚更だ。
これまで自分が散々身分をかさに着ていたのだ。
ならば身分を楯にされれば自分には為す術もないと突き付けられた。
その晩、カタリナはサノーバ侯爵の執務室に呼ばれた。
「最初はお前を修道院に送り込むつもりでいた」
姉の婚約者を奪った娘は、人の目が届く場所で監視されるべきだと侯爵は判断したのだ。
「でも聞けばお前の中に子がいるそうだな。ならばその子の為にも、お前はその父親と幸せな結婚をすればいいとエヴァンジェリンが温情を示した。あの子は優しい子だ。人の上に立ち、領地を治める正しい当主の器の子だ」
それを聞いてカタリナはぐっと拳を握る。
「お父様、せめてカタリナにも領地を少しばかりで良いので分けてください。これからガスパール様は平民に下るのですから、生きていく方法が何もありません」
そういうカタリナを、ランセットは冷酷な目で見降ろす。
こんなランセットを見た事が無かった。
「領地?何の権限があってお前に領地を与えなければいけないというのだ」
今までずっと、お父様は私が望むものは何だってくれていた。
それで何故今回はこんなに厳しい事を仰るのかしら。
「お前の不貞のせいで我が家が窮地に立たされるというのに。国王陛下からは今後一切のお前への援助は禁じられた。好きな男と一緒になっていいと言うだけでも十分すぎる温情だろう」
「どうして。いつもお父様はカタリナを大切にしてくれたじゃないですか」
「エヴァンジェリンから貰ったもの以外、自分の手で持てるだけの荷物を纏めて出て行くんだ。エディン公爵家にはガスパール殿に迎えに来るように手紙を書く」
「酷いわ。お姉様ばかり」
「酷いだと?」
ぐずぐずとカタリナが泣き真似を始めると、いつもと違ってランセットは怒りの表情を向けた。




