猫神様の春告げ鳥
猫の日と気付いて急ぎました。
鳥の鳴き声が聞こえる。
ほけきょほけきょと鳴く声が。
春を告げる鳥の声に、黄玉はぱかりと目を開けた。春だからじゃなくて、やけに近くに聞こえたから。
鶯は警戒心が強いから、鳴き声がしても姿は中々見付からない。そもそもほけきょだって、巣の安全を知らせる声と聞いたことがある。そんな警戒心の強い鶯が、こんな近くで鳴くなんて。
(あれ?)
誘われてのそりと身を起こした黄玉は、住処の前に小さな塊が落っこちているのを見つけて首を傾げた。
黄玉の住処は山道脇にある立派な祠。石段の上に建てられた木造の祠は丸まって眠るのに最適で、丁度木々の間から日が差し込む場所でもあるので、とてもお気に入りの寝床だ。鶯の鳴き声は、その木の上から聞こえるようだ。
で、落っこちている塊。
それは薄汚れた毛並みの人の子だった。
幼子だ。細い手足の、骨と皮ばかりの食いでがなさそうな人の子だ。
朝日を浴びているのに寒いのか、とても震えている。子供らしい大きな目は白目が広い三白眼。ボサボサした毛並みはもっと珍しい鶯色。
(もしかして、毛並みが同じだから鶯がここで鳴いているのかな?)
ほけきょほけきょと鳴いているのは、仲間にここは安全と教えているのだろうか。あれ? 番にだっけ? この子あの鶯の番かな?
よいしょ、と子供を覗き込む。朝日が当たっているのに震える幼子は、黄玉の鼻先でより震えた。
(あれあれ? この子の目、黄色いや)
大きな目は白目の範囲が広い三白眼。人より黒目の部分が小さくてわかりづらかったけれど、覗き込めば黄玉と同じ黄色い目と視線があった。
わあ、親近感。
黄玉は嬉しくなって鼻息が荒くなった。ふんふん匂いを嗅いで、つんつん幼子に触れた。
触れたから、身体がとっても冷えて震えていることに気が付いた。
これはいかん。とっても冷えている。
黄玉は身を伸ばしてぐるっと幼子を囲んだ。白い毛並みに包まれた幼子は、大袈裟なほどに震えた。
おかしいな。黄玉はほっかほかなのになんでこんなに震えているんだろう。
可哀想だから、ぎゅってしてあげよう。
黄玉は意識して身を丸めた。お腹に当たる冷えた幼子は、暫くずっと震えていた。黄玉に包まれた幼子はじわじわ温まっていったけれど震えは全然収まらない。不思議。
ほけきょ、と頭上で鳥の声。
わあ、平和だぁ。
朝日のぽかぽかで眠くなって、黄玉はくあっとあくびをした。
「…ふえ、ふえ…っ」
身体はぽかぽかなのに、お腹が冷える。
あれー? と視線を向ければ、幼子がぽろぽろと泣いていた。
「ふ、ふう…えうぅ…」
押し殺した声で、小さな身体を丸めて、ちゃっかり黄玉の尻尾を握りしめて。
あ、ちょっと。ぎゅっとしちゃダメだよ。尻尾は大事な所だから。
でも全然弱いなぁ。ぎゅっとしているのに、全然痛くない。
幼子ってこんなに力がないんだなぁ。人の子ってこんなに弱いんだ。
ふえふえした泣き声と、鶯のほけきょが重なって、なんだかとっても変な感じ。平和なのに、人の子が弱すぎてとっても不安になってくる。ねえそれ全力? 本当に?
可哀想だなぁ。弱っちくて可哀想だなぁ。
(可哀想だから、私が守ってあげよう)
泣き疲れて眠る幼子をふかふかの胸に抱えて、祠の主…猫神の黄玉は、人の世から幼子を隠した。
これがとっても自然な神隠し。
自然体過ぎて見逃しちゃうね。
まあ、目撃したのは頑張って鳴いていた鶯だけだったんだけど。
そういえばあの鶯は、幼子の番だったのかなぁ?
「そんなわけなくない?」
「あれー?」
神隠しから百年。
あれから十歳くらい成長した幼子に毛繕いされながら首を傾げて、すぐに動かないでと怒られた。
黄玉の神域に百年前建てられた、見よう見まねの人が生活できる建物。その縁側に座った黄玉は五十年くらい前に変化を覚えて得た人間の足をぶらぶら揺らした。
背後に控えて黄玉の白い毛並みを整える幼子の手には、七十年前に人里で手に入れた木彫りの櫛がある。変化を覚える前から、幼子の趣味は黄玉の毛繕いをすることだった。それは変化を覚えた後も変わらず、こうして暇さえあれば毛繕いされている。
おかげさまでいつでも毛並みはつやつやで、自分で毛繕いをする暇がないほどだ。勿論自分でもするけれど、圧倒的に幼子がやってくれる時間の方が多い。
口が達者に育った幼子は、呆れた口調で黄玉の考えを否定した。
「単純に、あの木の上に巣があったんでしょ。あの祠は黄玉様のお気に入りなんだから、外敵が来るわけがないんだよ。鶯もそれをわかっていて安全な場所に巣を作ったんでしょ」
「えー? そうかなぁ」
「そうだよ。同じ鶯色だからって、種族が違うんだから仲間だとは思わないでしょ。大きさも、形も違うんだから」
「えー? でもさぁ、私は君と同じ目の色でとっても親近感だったよ」
ひっくり返るように上体を倒して、見上げるように後ろにいる幼子を見上げる。頭は幼子の腹にぶつかって、下から逆さまに見上げられた幼子はぎゅっと眉目を顔の中心に集めてイヤそうな顔をした。
幼子は、とてもゆっくり成長した。
神域に神隠しされたことで人と時の流れが変わり、身体の成長がとてもゆっくりになったらしい。
そう言ったのは黄玉より高位な神様で、軽々しく人を神隠ししてはいけないと怒られた。怒られたけれど黄玉は知っている。怒っている神様だって、気に入った人間をほいほい神隠ししていることを。
だから怒られたけれど罰せられず、黄玉は百年経っても幼子と一緒にいるのだ。
とにかくゆっくり成長した幼子は、だいぶ肉付きが良くなった。
黄玉の半分もなかった身体はタケノコのように大きくなって、今では丸まった黄玉と同じくらいの目線に立っている。
だけど変化すると幼子の方が大きくて、床をゴロゴロしていると簡単に抱えられてしまう。鶯色の毛並みは腰まで伸びて、黄玉と違いふわふわしていた。前髪だけ邪魔になるからと後ろに結って、三白眼で目付きの悪い顔がよく見える。だから黄玉とお揃いの黄色い目もよく見えた。
時々訪れる人の世で、その色彩から神獣を従えた神様と勘違いされることの多い幼子。人の子に美しいと騒がれるから綺麗な顔をしているはずなのに、そのたび今みたいにぎゅっとしかめっ面になるのがとても面白い。
幼い頃は化け物と言われていたのに、成長したら神に勘違いされて崇められて、人の子の身勝手さにすっかり人間不信になっている。神獣を従えていると見られるのも嫌だったようで、何度も何度も訂正していた。自分が従者で、黄玉が神であると。
(そのあたりどうでもいいんだけどなぁ~)
黄玉が人間に対して何かするわけでもないので、立場の正確性など全く気にしていない。
黄玉は神様だけど、だからって人に何かしようとは思わない。お世話になったらいいことがあるとイイネと思うけれどそれだけだ。
黄玉の気ままな行動を、人の子たちが勝手に解釈して勝手に崇めて勝手に失望を繰り返しているだけである。
神様ってそういうものだと、人の子たちはいつまでたっても学習しない。
それが可哀想で、可哀想なほど弱っちいので、黄玉はたまーに様子見で姿を見せてあげるのだ。
通り過ぎるだけで喜ぶのだから、人の子の感性はとっても不思議だ。
「黄玉様が僕を拾ってくれたのって、同じ目の色だったから、だっけ」
「えー? うーん。切っ掛けはそうかもね」
弱っちくて可哀想と直接言うと怒られるので、黄玉はまあ間違ってないからいいやと頷いた。
腹に押しつけた後頭部をぐりぐり擦り付ける。毛並みが絡まるのがちょっと楽しくなってきたところに、幼子の大きな手が擽るように黄玉の頬に触れた。長い指が擽ったくて、黄玉はくるくる喉を鳴らす。
「色が同じだと、仲間だと思うの?」
「えー? 同じだーって嬉しくならない? 私は嬉しかったなぁ」
「…色が同じでも、それだけだよ。大きさも形も全然違う。生き方も、生きる世界も、生きる時間も、全然違うんだよ…」
ぽつんと雫が落ちてきて、黄玉はあれあれー? と視線を上げた。
顔の真ん中に全部集めたぎゅっとなった顔で、ぽろぽろと泣いている幼子がいた。
「どうしたの? お腹すいたの?」
「そんなわけなくない?」
ずっと鼻を啜って、幼子は木彫りの櫛を床に置いた。空になった手で、長い腕を伸ばして、変化した私の身体を抱きしめる。
幼子の顔が肩に埋まって、他はぽかぽかなのにそこだけやけに冷たい。
「百年なんて馬鹿みたいな年月を生きても、身体が若いままでも、特別な力が目覚めるわけじゃない。神域で過ごしているだけで、僕は徒人だ。黄玉様に人の世に戻されたら、ここに戻ってくることもできない何の力もない徒人だよ」
「えー…?」
「黄玉様が、興味本位で変化の術なんて覚えるから。人の姿になんかなるから。僕が勝手に親近感を抱いて勘違いして、こんな想いをする事になったんだ」
「どんな想い?」
なんだかめそめそしているなぁ。言っていることもよくわからないや。
不思議に思いながら、肩に乗っている幼子の頭を撫でてやる。幼子が黄玉の毛繕いをしてくれるから、幼子の毛繕いは黄玉がやってあげていた。仲良しなので、ちゃんと手伝ってあげている。
でも黄玉は幼子と違って道具を使わないので、そんなに長い時間させてくれない。幼子は黄玉と違って他の子に触られるのは好きじゃないので、黄玉に毛繕いされるのも好きじゃないのだ。
なんだかめそめそしているようなので、慰める意味も込めて黄玉はよしよしと毛繕いした。
指を丸めて毛を梳いて、唇で触れて舐める。こめかみから額にかけてをざらついた舌で撫でた。
途端、ぐいーっと引き剥がされた。
あれあれー?
顔を真っ赤にした幼子が、半泣きで叫ぶ。
「そういうとこだよ!!!!!!!!」
「えー?」
「こういうのやめてよね!!!!!!」
よくわかんない。
でもってやっぱり幼子は毛繕いがお好きではない。毎回こうやって引き剥がされるので、そろそろ諦めるべきかもしれない。
――なんて、無理なことだ。
黄玉はにゅっと身を乗り出して、顔を背ける幼子の頬をペロリと舐めた。
「鶯は私の鶯だから、私の匂いをちゃんと付けないとダメだよ」
幼子の言っていることはよくわからないけれど。
この子は私の可愛い子なので、他の奴らに齧られないように、嫌がられてもちゃんと匂いを付けるのだ。
黄玉に匂いを付けられた幼子は、真っ赤な顔のまま大きく震えた。
いくつになってもよく泣く子だなぁ。
黄玉はするりと抜け出して、幼子の胸に擦り寄った。これも嫌がるけれど、匂い付けは大事なのだ。
幼子はまた、ぎゅっと顔の真ん中に眉目を集めるしわくちゃした顔になったけれど、今度は抵抗しなかった。相変わらずカチコチに身体を硬くして、私のふかふかした胸に囲われている。
昔と違うのは、とっても冷えていた身体がぽかぽかしていることかしら。
喉をゴロゴロ鳴らしながら、黄玉は満足そうに笑った。
黄玉は猫神なので。
今日も人の気持ちなんて気にせずに、気ままにじゃれつくのだ。
黄玉(黄玉)
巨大な白猫。黄色い目。変化すると二十代後半のお姉さん。
でも中身はお猫様。人の気持ちとか知らない。
鶯
祠の前に捨てられた幼子。鶯色の髪に黄色い目で人ではないと恐れられたから。人の世では百年経過しているけれど感覚が十年くらいで人の世において行かれたらそれが最後の別れになりそうでとっても怖い。
巨大な猫に育てられたと思ったら思春期にその巨大猫が綺麗なお姉さんに変身して癖をねじ曲げられた可哀想な子。なでなでちゅっちゅされるので理性がピンチ。情緒もピンチ。可哀想。
猫と鳥が仲良しの動画を見て書いた。どうしてこうなった。