2.
次に気づいたら、腐りかけの干し草のにおいがする場所にいた。
薄暗く、風もないのにミシミシと軋む梁からランタンがひとつさがっている。
「おいおい、やっとお目覚めかよ」
マッドドッグが後ろ手に縛られて、座り込んでいた。
殺し屋も縛られて転がされていた。なんとか身を起こそうとしたが、まだ頭のなかで星がチカチカしていて、うまく上半身を固定できなかった。
「クソ田舎者どもにしてやられたぜ。今度あったら、絶対にぶち殺してやる」
「その前に縄をほどいてもらいたいね」
細長い農夫がやってきた。オーバーオールの前ポケットには殺し屋たちから奪ったリヴォルヴァーが一丁入れてあり、二連式のショットガンを脇の下に抱えるようにして持ち歩いていた。
農夫は舌で口の端をなめてからたずねた。
「カネはどこにあるんだ?」
「カネ? こいつ何言ってるんだ?」
大きな手がマッドドッグの横っ面を思い切り張り飛ばした。さほど体格がよいわけではないマッドドッグはピンボールみたいに転がって柱に頭をぶつけた。
「カネはどこにあるんだよ?」今度は殺し屋にたずねた。
殴られたくないので、嘘をついた。「ここに来る途中に隠した。縄をほどいたら案内するよ」
「お前、おれの顔にマヌケって書いてあるか?」
「書いてあるぜ!」
バシン! マッドドッグへ張り手が飛んだ。
「あのなあ、農具店のバーナードは警察無線をきけるんだ。サツどもはみんな言ってるぞ。お前らが現場から大金を盗んだって」
考えうる限り最悪なことがいま判明した。ターゲットは大金をあの部屋に隠していた。殺し屋たちはそれに気づかなかったが、かけつけた警官たちは知っていた。
警官たちはその金を懐に入れ、罪を全部殺し屋たちにかぶせるつもりだったのだ。となると、逮捕はありえない。殺されるのは間違いない。警官たちは金のごく一部を、燃える車に放り込んで、全部焼けたことにするのだ。
以心伝心。
殺し屋とマッドドッグの脳波は見事つながって、すべきことのリストが共有された。
「おい、田舎っぺ」
上から下へ下から上へと軌跡を描くビンタがマッドドッグをぶん殴った。
マッドドッグは血と唾を吐いた。
「なんだ、そりゃあ、オカマのタッチか?」
バキッ! 今度は拳が飛んできた。
「オカマパンチ!」
農夫は顔を真っ赤にした。
「おい、オカマ! 顔がプラムみたいになってるぜ? それがオカマの流行りかよ?」
農夫は小脇に挟んでいたショットガンを手に取り、引き金に指をかけた。
その瞬間、マッドドッグが銃身を思い切り蹴った。
咄嗟に引き金が引かれ、農夫のつま先が醜い肉の塊に変わった。
殺し屋は全身をバネのように使って、頭から農夫の腹に突っ込んだ。
吸い込んだ空気を全部吐き出しながら農夫は仰向けに倒れた。その大きな手が殺し屋を引っぺがし、投げつけた。
そこへマッドドッグがジャンプして農夫の胸へ膝から着地した。
ボキボキと肋骨が折れて、口から血があふれ出す。
藁のなかから金属片を見つけて、殺し屋が縄を切っているあいだ、マッドドッグはずっと農夫の胸の上で飛びはねていた。
「ざまあみやがれ、かっぺが! いま、どんな気持ちだ? おい、どんな気持ちかきいてんだよ!」
縄を切ると、マッドドッグは痛む手首をほぐし、ショットガンを拾った。土ホコリを袖で拭ってから銃身を折り、空薬莢を引き抜いた。
「警察がぼくらを始末しにくる」
「ああ、間違いねえな」マッドドッグは農夫のポケットから見つけた散弾を込めながら、うなずいた。「リヴォルヴァーはそっちで持っててくれ。とりあえず、かっぺの仲間を皆殺しにして、銃を集めよう。で、それからサツどもを料理してやる。本当に料理してやる。チャウダーにして、国じゅうの警察署に送りつけてやる。ポリスチャウダーだ。こいつはご機嫌なアイディアだぜ、マジでさ」
納屋の扉を開けると、母屋の角を曲がってくる男と出くわした。手には古い軍用ライフル。
殺し屋が撃つと鎖骨をぶち抜き、男はコマみたいにまわりながら、ポーチの柱にぶつかった。頭を強打して、ぶるぶる震え始め、マッドドッグが膝を叩いて笑った。
殺し屋はたったいま半殺しにした男の手からライフルを取り上げて、ボルトを引いた。丸い弾丸がはまった薬莢が飛び出した。五七七口径。薬室に軽く触れると、指がグリースで汚れた。撃つと濃密な白い煙が出る三十年以上前の黒色火薬の銃だが、よく手入れされていた。単発しか撃てないが、ボルトアクション式で中距離狙撃なら命中精度に文句はなかった。ポケットをまさぐると、十一発の実包が見つかったので、それをポケットに入れた。
通りのほうから銃声がして、身を低くした。食料品店の看板に隠れて、様子を窺うと、なぜかふたりの農夫が道の真ん中でお互いをリヴォルヴァーで撃ち合っていた。
片方が胸を押さえて倒れると、殺し屋は生き残ったほうをライフルで刈った。
マッドドッグが手当たり次第に銃を集めると、ショットガンとリヴォルヴァーを手に道の真ん中に立ち、ここをマッドドッグ帝国の首都にすると宣言した。
残った村人たちは震えるだけで、誰もこの建国に待ったをかけなかった。
マッドドッグは建国を記念した儀式のために生贄を農具店のバーナードに選び、この場で首を切断されるか、警察無線をおれたちにきかせるか、どちらか選べと迫った。
おかげで、殺し屋たちは薄汚れた警官隊が五台のパトロール・カーに乗って、回転灯を派手に光らせながら、東のほうからやってくることが分かった。
マッドドッグ帝国の首都の住人たちは西へ逃げ出した。マッドドッグの専制政治も恐ろしかったが、それ以上に警察が恐ろしかったからだ。
「足手まといの弾避けどもが消えたが、まあ、いい。本物のワルは百姓なんかに頼らねえからな。お前をマッドドッグ帝国防衛隊最高司令官に任命する」
「ありがたき幸せでございます」
殺し屋はゴミ捨て場に転がっていた縄でライフルの担い紐をつくると、それを肩にかけて、サイロの階段をのぼった。それがこの村で一番高い建物で、東からくる警察自動車を狙い撃ちにできるからだ。
サイロから見晴らしをきかせると、畑の尽きた先、東になだらかな丘が重なっている部分が見えた。そこから道路が緩やかに弧を描いて、マッドドック帝国へと侵入するようだった。
道の脇に大昔の弁護士みたいな白いカツラをかぶったカカシが立っていた。
その距離、およそ百五十メートル。撃ち込むならここだった。
照準を百五十メートルにあわせて、サイロの赤い屋根に斜めに寝そべり、警官たちを待った。
この周辺は干からびたキャベツ畑に囲まれていて、農場は赤土の煙にいまのも消えてしまいそうだった。
マッドドッグを見下ろすと、民家の壊れたポーチに座って、安ワインをあおりながら、動物キャラクターのブリキ箱を蠅取り紙でぐるぐる巻きにしていた。
丘のあいだからサイレンがきこえてきた。黒い警察自動車が一台あらわれた。一度停車して、安全を確認してから、また走り出した。
一分遅れて、続々と丘のあいだの道からあらわれた。
自動車は回転灯をつけ、サイレンを鳴らしながら、道を外れて、横に並び、キャベツをひき潰しながら、ゆっくり走ってきた。
殺し屋は左手の指のあいだに実包を挟んだ。
「防弾車じゃない。ふふっ、ざまーみろ」
ドアに州警察のマークを描いた黒い自動車は窓からショットガンと機関銃の銃身を伸ばし、殺し屋とマッドドッグを探していた。
殺し屋はライフルの照準目盛りを百七十に変えた。民族移動みたいな大袈裟な土煙を引きながら、ゆっくりと近づいてくる自動車のうち、真ん中の車の運転席に狙いをつけた。
引き金を絞ると、フロントガラスが砕けて、五七七口径の鉛の丸弾が運転手の頭を砕き、脳漿と血が後ろの座席へ飛び散った。
ボルトを引いて、空薬莢をはじき出し、左手の指に挟んだ実包をひとつつかんで素早く薬室に押し込んだ。
次の一発は中央の車の助手席を狙った。
どす黒い血をつけたガラスが飛び散り、ライフルを持った男はドアから転がり落ちて、渇いたニンジン畑に頭を突っ込んだ。
警官たちは勘がよかった。狩人の本能があったのだ。三発目は撃たせずにアクセルペダルを踏み込んで、蛇行運転しながら農村もといマッドドッグ帝国へ乱入しようとした。
殺し屋は一番手前の車を狙って、立て続けに三発撃った。その弾で右の前輪と後輪が完全に吹き飛び、裂けたゴムが狂ったジャズみたいに暴れまわり、自動車は横転した。車はメラメラ燃え始めた。車内にある弾薬箱が破裂して、屋根とボンネットに次々と穴が開いた。火だるまになった警官がガラスを破って飛び出して、肺まで焼かれて絶命した。
三台の黒い警察車両がショットガンと自動小銃を乱射しながら農村に飛び込んだ。
腐りかけたポーチを吹き飛ばし、電信柱に散弾がめり込んだ。
轟音がして、ボンネットカバーが散弾に巻き上げられた。車が止まると、マッドドッグは伏せて、飛んできた弾を避けた。お返しにショットガンを見舞った。矢印章を腕につけた巡査部長の足首がもげて取れた。
もうひとり、降りてきた警官は車を盾にマッドドッグと撃ち合おうとしたが、その真上から殺し屋が撃った。五七七口径弾は肩から入って、肺を破り、内臓の全てをズタズタに切り裂いた。
バン!
特別に大きく響いた音がした。
マッドドッグが転がって、その勢いでまた立ち上がった。
黒い自動車がショットガンを撃った。
マッドドッグは導火線がちりちりと燃えるキャラクター箱を投げた。箱はドアにくっついた。
Uターンして逃げていく車は村から出ないうちに爆発して四散した。
最後の一台が窓から四五口径を持った手を伸ばし、マッドドッグを撃ちまくった。
もう十発近く食らったにもかかわらず、二丁のリヴォルヴァーを撃ちながら、近づいていき、ガラスに血と骨片が飛び散った。
殺し屋も撃った。後輪が破裂した。
車は左右に大きく揺れて、電柱に激突した。
最初に殺し屋が撃った真ん中の自動車から警部らしい私服の警官が出てきた。
殺し屋は最後の一発を薬室に押し込んで、肩幅の広い警部の背中に照準を合わせた。誰かを狙撃するとき、自分の腕が銃の一部になって、まっすぐ百メートル伸びていくような気がする。このときもまさにそうだった。伸びた腕は警部の背骨を真横に切断した。
サイロから降りると、全身穴だらけにされたマッドドッグが食料品店の前に転がっていた。
警官の死体が三つ転がっていたが、自分も七発浴びていて、もう手の施しようがなかった。
この世から剝がされかけた目で殺し屋を見上げ、何かをつぶやこうとしていたが、殺し屋はそれを遮って、たずねた。
「いま、どんな気持ち?」
それをきくと、マッドドッグは心の底からのかすれた笑いをもらし、ささやいた。
「最高だぜ」