1.
殺し屋はふたりのギャングと一緒に大型自動車で森林道路を逃げていた。
まんまと標的を仕留めたが、警官隊が罠を張っていたのだ。
いま、一台の防弾パトロール・カーが後ろにしっかり食らいついていた。最初は二台のパトロール・カーで追跡していたが、助手席に座っているマッドドッグというあだ名のギャングが、
「おれのおごりだ! くらえ!」
と、叫んで、火炎瓶を投げた。それが防弾ガラスに開けていた発砲用の穴に見事入り、パトロール・カーは防弾火葬場と化した。
「イヤッホー! いまどんな気持ちだ!? どんな気持ちだよ!?」
燃える車は爆発しながら、橋から谷へと転がり落ち、それを見た残ったほうのパトロール・カーはもはや殺し屋たちを逮捕することはやめて、撃ち殺すことに決めていた。
「やつらはおれたちを背中から撃ち殺して、逃げたから撃ったっていうつもりだ!」運転役のギャングが叫んだ。
「わめくなぁ! サツなんざ、ぶっ殺せばいいんだよ!」
「ボスが絶対いい顔しねえぞ! 今度の件をもみ消すのに政治家どもにいくら払うのか、わかったもんじゃねえ!」
「じゃあ、ボスもぶっ殺しちまえ! 政治家どももぶっ殺せばいいだろ! なあ、お前!」
マッドドッグは後部座席にひとりで乗っている殺し屋に話しかけたが、殺し屋は十二ゲージのショットガンを肩でためて構え、防弾パトロール・カーに立ち向かうのに忙しくて返事ができなかった。
貫通力のない散弾は防弾ガラスに跳ね返るだけで、ダメージを与えられない。せめて自動小銃があればと思っていたところ、防弾ガラスの穴から黒光りする自動小銃の銃口が伸びてきた。
「伏せろ!」殺し屋が叫んだ。
三〇・〇六口径のライフル弾は逃走車の屋根を缶詰でも開けるみたいに引き剥がした。
マッドドッグも運転役も伏せていたようだと安心したが、よく見ると運転手の下顎から上が吹っ飛んでいた。沸騰したジャムみたいな血がごぼごぼと湧き出していて、その骸がハンドルにかぶさった途端、世界がひっくり返った。
次の瞬間には殺し屋は湿った葉が厚く積もった山に頭を突っ込んでいた。
崩れやすくて甘ったるい腐葉を吐き出しながら、よろめくと、煤がいきなり壁みたいにあらわれて、咳き込んだ。
黒煙から逃れると、殺し屋たちの自動車が土手の下で真っ二つにちぎれて燃えていた。
ショットガンがない。予備の三二口径もベルトからどこかへ飛んでしまった。
だが、悪いことばかりでもない。警官たちはいないし、マッドドッグもいなかった。
これまでマッドドッグという名前のギャングと仕事をして、いいことがあった試しがないのに、自分のルールをちょっとだけ曲げたら、この有様だ。やはり、自分に課すルールの厳正な運用には大いなる意味があるのだ。
頭も体も痛かった。道路が三十メートル以上遠くに見えたので、自分は相当吹っ飛んだのだと分かった。着地場所に腐葉土の山がなかったら、確実に死んでいた。
赤い樹皮の巨木が何本も並ぶ、不思議な森を歩くと、カーチェイスで森の平和を乱したことを許してくれた小鳥たちの歌を楽しむことができた。
「そうだ。ぼくはここにカーチェイスしに来たんじゃない。森林浴に来たんだ。そういうことにしておこう」
楽観こそが人間を絶望から救う。食べ物といえばポケットにある、包装を破ると、ひどくベタベタする栄養バーだけなことも忘れよう。仲間が火だるまになって谷底に落ちたことが無線で連絡され、国じゅうの警察から命を狙われるハメになったことも忘れよう。そして――、
だが、三八口径の制式リヴォルヴァーを手にした三人の警官が目の前にいることを忘却の彼方に吹き飛ばすのはさすがに無理があった。
年寄り、眼鏡、新米。警官たちの車も森のなかでひっくり返ったのか、服や髪に枝や葉がくっついていた。コメディ映画の三馬鹿トリオみたいだ、と殺し屋は思って、どうしたものか考えた。銃がないのだ。
ただ、殺し屋は自分の見た目が、ショートヘアの少女、または長髪の少年のようだと知っていた。素直に両手をあげて、ホッとした顔をすれば、人質か何かと間違えてくれるかもしれない。
だが、三人のなかで一番年かさの警官が憎悪を顔じゅうの血管に流し込んで言った。
「こいつだ! こいつが火炎瓶を投げやがった!」
殺し屋も暗黒街の掟は知っている。第一条、仲間をタレこまない。
だが、このときはそれを破りたくなった。ぼくじゃない! マッドドッグがやったんだよ、バカ!
レンズにヒビが入った眼鏡の警官が言った。
「おい、ガキ。後ろを向いて走りな。逃がしてやるよ」
背中から撃つのが見え見えだったので、絶対に後ろを向かなかった。
一番若い警官が言った。
「おい、ジム。もう、構わないから殺っちまおうぜ」
轟音。新米警官の足がちぎれて飛んだ。
赤い巨木の後ろからマッドドッグがあらわれた。引き金を引きっぱなしにして、ショットガンをポンプしまくったので、散弾が嵐のようになって飛びかかり、年輩の警官と眼鏡の警官をズタズタにした。ふたりは体の血液の七割を一気に焼き飛ばされて、グシャッとその場に崩れた。
マッドドッグは地面に転がってわめいている若い警官の骨と血管と筋肉が絡まった足の残骸を踏みつけた。
「おい、クソ雑魚。いま、どんな気持ちだ? どんな気持ちか言ってみろよ」
バン!
マッドドッグは警官の銃を拾って、一丁を殺し屋に放った。
「いやあ、すげえ殺しだったぜ。それにカーチェイスも」
「運転手は死んだけど」
「ああ、バーベキューになった」
マッドドッグは行こうぜと言って、森のなかの、ドブみたいな流れに沿って歩き出した。
「あいつが焼け死んだおかげで、やつのボスは支払う報酬がひとり分減ったって喜んでら。おれみたいなフリーランスにはひとりのボスに絶対服従する精神が分からん。そんなことはサツになるのとどう違うんだ?」
「思うに安定が欲しいんじゃないかな」
「じゃあ、バスの運転手にでもなればいい。郵便配達だっていいぞ。ちっぽけな郵便局のハゲでデブでチビの局長がよ、新人に言うんだ、おれみたいに必死に十年も働けば、お前もおれみたいになれるって。クソどもがよ」
「ぼくらはどこに行こうとしてるの?」
「どうも、この先に小せえ村があるみてえなんだ。住んでるのは百姓ばかり。貧乏くせえ村だけど、なんとか動くトラックの一台くらいはあるだろ。それでずらかっちまおうぜ」
小さな村はスズカケの森を抜けた先にあった。
農業道路沿いに家や店が二十軒ほど集めて、まわりを赤くパサついた畑で囲んだ、地図に載っているのかも怪しい貧乏村だ。
森に通じる道からガラクタだらけの裏庭を通って、道路に出ると農薬を量り売りする店と崩れかけた民家が見つかった。自動車は道の端にあったが、タイヤがなく、点火プラグも全部引き抜かれている。
やっと見つけた通行人はオーバーオールを着た農夫で顔も体も拷問装置で無理やり引っぱったみたいに細長かった。
「貧乏が体に染みついていやがる。あー、やだやだ」
「あの、すみません」
殺し屋は農夫に話しかけた。
「この辺で動く車って売ってないですか?」
「売ってないな」
「そもそも走る車があるのか?」
農夫はマッドドッグのほうをじろっと見た。
「自分たちの用が足せるほどの車はある」
「じゃあ、その車の、一番上等なやつを売ってくれよ」
「カネはあるのかい?」
「こいつがあるぜ」
マッドドッグがベルトに挟んだ銃を見せた瞬間、後ろで撃鉄が上がる音がして、銃身がこめかみにぶつかった。