(五)
誰に如何思われようとわたし達父娘は幸せでございましたが、大殿はそれを赦されませんでした。画才のために何もかも投げ打って畜生道を歩んでゐた父に、わたくしのような平凡な女が娘というだけで愛されるのが我慢ならなかったのでしょう。そうです、大殿の思いはわたくしなどではなく父に有ったのでございます。
無論あやしき色めいた懸想などではありません。生き乍ら天道を歩み続ける大殿にとって、その対岸にある欲界の五道を歩む父の傍らにある私など取るに足らぬ存在であった筈でした。
しかし父のわたくしに対する思いが並みならぬものであった事が、度々口にした仕えを辞させる求めから大殿の御知る事になりました。大殿は単なる羽虫と思ってゐた私の存在が目障りなものだと御知りになられたのです。
大殿はけして非道な御方ではございません。自らの御不快が筋道のないものだと御考えになり、情をかけようとわたくしを御召しになろうとしたのが何よりの証拠でございます。縁を繋げばこの蟠りも消えるやも知れないと思われての事でございます。
しかし私は抗いました。父の赦しや意向が無い以上、大殿の御情けを受けることは毛頭出来なかったのです。
大殿は御申し為されました。
「今ここで拒めばその方は良秀の為に命潰えるぞ。」と。
私は慄きました。それは怖ろしさではなく畏れ多き悦びでした。
いのち潰えるのは勿論怖ろしい事でございます。
しかしそれ以上に、あの父の業に触れる事が出来るかもしれぬ嬉しさが勝ったのでございます。上気した面と逸る鼓動を悟られぬよう部屋からまろび出ました私の姿を、かの語りの女君は恋煩いと思われたようでした。もしそれが真実であれば、何とよこしまな想いでございましょうか。私は父を殿方として慕っていた事になるのですから、魔道に落ちるのも頷けることです。
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唐衣は夜目にもあざやかに映えるでありましょう、金糸を絡めまいた綺羅びやかな桜の繍が幾つも認られた、其れはもう見事なものでございました。髪は朝から丹念に幾度も櫛を通していただいたので、すべらかしに結われるには十分な整い具合でありました。
桐箱のふたが開けられ、押し開けた薄紙の中から取り出された黄金づくりの釵子は燈火によって煌々しく輝き、そこだけ別の灯りがともされた様にすら見えます。これが我が髪に飾られるなど勿体無い事だとさえ感じられました。