(二)
わたしに下された下知は、父良秀が描いてゐる地獄変屏風の事でございました。大殿が御云いつけになったのは秋の始めとの事でしたが、わたしがそれを知りましたのはそのひと月程のちの事にございます。
父がまるで顔を見せてくれなくなり、淋しさから懐いてゐた御邸の小猿相手に戯れで「父上」と呼びかけた時に女房仲間が教えてくれたのでございました。大殿が父に大層な屏風絵を描くよう御命じになったのだと。
地獄変とは地獄に堕ちた亡者や罪人などが、厳しい刑罰を受けるなどして苦しむ様子を描いた絵ございます。それも屏風というからには、たいそう大振りで壮大な絵図となりましょう。
ましてや父の技量は、五趣生死を描けば天人を嘆息し啜り泣く声音を聴かせるほどの精緻な筆遣いを駆使し、死人を描けば見たものがその身腐りゆく臭気を催して吐き気を覚える程に鬼気迫る彩色を施します。
その為なら父は御零に憑かれた巫女や、往来に打ち捨てられた屍骸の群れに恐れもなく近づき、ひたすら髪の毛の先まで丹念に模写する事も厭わず遣ってのけました。それらは都人達の口の端に上り、この御邸の皆々様もとっくに存じております。
陰惨で醜いものを美しいと云い描くを好む父のことです、さぞ嬉しそうにその御下命を承った事でしょう。わたしは父が心配でなりませんでした。
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これまで身に纏った事のない程やわらかく砧なれた若苗色の単衣を推しいただき、長袴と共に身に着けまして御座います。その上に着る袿も、初めて頂きました。かつて大殿が下さいました紅の衵も美しい品でありましたが、僅かに仄かなる色目の違いが施されたこの白い五衣の襲目には及ぶべくも有りません。色なき白であります故、織りの見事さが際立っていました。