良秀の娘
研究者の間でも明確な答えは出されていない傑作に、私の様な素人が手を出して良いものかと躊躇していましたが事務局から『天国と地獄』企画の御案内をいただいたので執筆を決めました。執筆にあたって資料を集めようとしたら止め処ない数の解釈論文がヒットしたので、ここは先入観を持たずに書くため封印。愛読の方々には荒唐無稽な展開になると思いますが、ご容赦頂けると幸いです。
六道とは彼岸ではなく この世にあるものでございました
遥か西方浄土ではなく すぐ傍の人の心に
地獄も極楽も有るのでございます
(一)
堀川の大殿は御生まれになる前から、並々の人間とは違う明王の御加護を受けておられたと伝わっております。
喩えば二条大宮の百鬼夜行に御遇いになったとしても格別御障りもなく、東三条の河原院に夜な夜な現われる融左大臣の霊でさえ、大殿の御叱りを受けて姿を消したのに相違ございますまい。かような御威光でございますから、その頃洛中の老若男女が、大殿のことをまるで権者の再来のやうに尊み合いましたのも全く不思議ではございませんでした。
その数多い御逸事を為された大殿であっても、かの出来事を御決意為さるのに長き時間をかけられたのは初めてであられましたでしょう。
わたしにその務めを申し渡された時の大殿の御気色は、あいにくと覚えておりません。いいえもしかしたら、面を下げてゐて見えなかったのかもしれません。ですが「畏まりました」と答えた我が声音の明朗さは、かの清原の少納言の筆(※枕草子)にも劣らぬ出来だったと自慢できるのは、大殿が困惑なされたからでございます。
大殿はわたしが驚き、そのような怖ろしい御役目など引き受けたくないと泣いて懇願するものと思っておられたのでしょう。勿論それを哀れに思し召し、御下命を取り下げるなどという御心は露ほどもなく、むしろ恐れ慄くわたしを如何様に道理を説いて納得させようかと御思案為されたであろう御心積もりが、まるで発揮為されることもなく闇に消えた行く末を、些か呆けた心持であられたのではないのでしょううか。
わたしは大殿の御気性を存じておりました。ひと度口に為されたことはよくよくの御考えあって決められた事であり、それは間違いなく正鵠を射る理由あっての事。よってわたし如き小女房風情が抗ったところで覆せるようなものではないことを。
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今わたしは死出の化粧を施されております。まことならば生涯纏う事の無かった上質の白粉を惜しみなく塗られ、丁寧に眉を刷いていただきました。混ぜもののない粋の紅など、初めて見ることが叶いましたのに其れを思うさま用いて良いからと云われ、見事な鏡と共に手渡されました。その時はおのが末期等忘れ、端下なくも心ときめかして仕舞いました。