6話.長い一日の終わり
ミリア、ラグネルと共に馬車の入口付近に腰掛け焚き火を囲む。
どの程度の効果があるか分からないが火を嫌うという魔物避けに焚き火を付けられたのは大きい、この一歩はきっと後にも役立つはず。
「まさか魔法なしに火を付けられるとは思いませんでした。」
ミリアが焚き火を眺めながらしみじみと呟く。
『それだけじゃないわ、本来なら掃除も洗濯も料理も全て手作業で行うのよ。』
「トミコ殿がいうのならきっとそうなのだろう。俺も正直驚いた。」
3人で談笑していると富美子のお腹がぐぅ〜っとなった。
そういえば転移してから何も食べていない。
『あら、恥ずかしいわ…。』
「申し訳ありません!食事の事を失念しておりました…。」
富美子の腹の音を聞いたミリアが慌ててそう言うと馬車に積まれた荷物の中から干し肉とドライフルーツを取り出す。
「すみません、こんなものしかないのですが…」
ミリアの取り出した食料は明らかに3人の3日分には少ない、ずっと野営ではないのかもしれないが3人で食べたら1日で無くなってしまう量だ。
『これはちゃんと3人分あるのかしら…』
富美子が不安げに尋ねるとミリアは困った様に笑う。
「正直足りません…なんとかトミコ様が食べるのに足りるかどうか程しか持たされませんでした。」
「俺は気にしないでいい、3日くらい食べずとも慣れている。」
騎士であるラグネルはキッパリとそう言うが富美子が許すはずは無い。
『駄目よ、1番動くのは騎士であるラグネルさんでしょう?ミリアさんもラグネルさんもちゃんと食べなくちゃ。』
とはいえ食料が不足しているのは変わらない。
何か策を考えなくては。
『食料はそれで全て?』
「いえ、あとは…」
そういってミリア積荷の中から取り出したのは薄い茶色の粒が入った袋だった。
「これは食べられないものではないのですがとても固く味も悪いのです。あっても仕方の無い食料を押し付けられたのでしょう…。」
『ちょっと、よく見せて貰える?』
ミリアから袋を受け取り中身を見るとそれは明らかに富美子にとても馴染みのある食材__玄米だった。
富美子の知るものよりも少し細長くタイ米よりも短い、だが匂いも見た目も玄米そのものである。
『これはお米よね?』
「おこめ、前に元聖女様も同じ事を言っていましたが色も味も違うと申しておりました。
そのおこめとやらは真っ白で柔らかく甘いのだと。」
『そうね、精米した綺麗なお米はそうなのだけれどこれは玄米といって真っ白になる前の糠が着いたままの状態のお米よ。』
「ぬか…?すみません、馴染みのない言葉ばかりで分からなくて。」
ミリアは富美子の説明に首を傾げる。一方ラグネルは話すら聞いていなそうだ。
『ごめんなさい、そうよね。とにかくきちんと処理してきちんと調理すれば美味しく食べられるのよ。』
富美子は懐かしい気持ちになる。今でこそ綺麗に精米された美味しいお米が簡単に手に入るが昔は釜で炊いた玄米ばかりだった。
現代の美味しいお米に慣れた人は玄米なんてお米じゃないと思っても仕方ない。
『ただ、綺麗に洗って煮ないと食べられないわ。綺麗な川と鍋やお釜がないと…。』
「古い鍋だが一応あるぞ。兵士が野営する時に使うものだ。」
話を聞いていなそうなラグネルだったがきちんと聞いていたらしい。
馬車の中から古いがしっかりとした鍋を持ってきた。
『あら、しっかりしたいいお鍋じゃない。魔法で料理してても、ちゃんと調理器具はあるのね?』
「ええ、焼いたり煮たり切ったりといった作業はすべて魔法で行いますが、道具も併用します」
『まあ、それもそうよね』
富美子はしっかりとした鍋を手に取り、その重みを感じながら頷く。
「だが、きれいな川はこの先のもっと辺境に寄ったところにある。明日一日馬車を走らせれば、たぶんそこにたどり着けるだろう」
『なるほどね。それなら今日は干し肉とドライフルーツでしのぎましょう。お腹は空くかもしれないけれど、少しずつね』
富美子がそう言いながら、木皿に少量ずつ干し肉と赤い実、黄色い果肉のドライフルーツを盛る。控えめな量ながら、3人分をきっちり分けた。
『私……歯が弱くて、干し肉は食べられないかもしれないわ』
「……」
「……え、っと、ドライフルーツをどうぞ」
気まずそうに視線を逸らすミリアとラグネル。富美子は苦笑しながらドライフルーツを手に取り、一口ずつちびちびと食べ始めた。ドライフルーツも固くて少し食べづらいが、干し肉ほどではない。
食事を終えると、富美子に心地よい眠気が押し寄せてきた。うとうとしていると、ミリアがそっと肩を支え、馬車の中へ連れて行ってくれる。
『ラグネルさんは本当に大丈夫なの?』焚き火の明かりを背に、見張りをするラグネルに富美子が心配そうに声をかける。魔物は火が苦手だと言っていたが絶対に寄ってこない保証はどこにもない。
「俺のことは気にするな。これが俺の役目だ。それに、2、3日眠らずとも耐えられる訓練を受けている。トミコ殿は安心して休んでくれ」
不器用な笑顔でそう告げるラグネルに、富美子は少しだけ微笑み返す。彼の言葉に安心を覚え、馬車の中に戻ると薄い毛布を肩に掛けた。
──こんなに濃い一日は、84年の人生で初めてだった。明日からどう生きていくのか、まだ何一つ分からない。不安は尽きない。けれど、絶望だけではないのも確かだ。
天国のあなた、私、頑張るから見守っていてね──
胸の中で夫に語りかけるように祈ると、富美子はミリアと寄り添いながら眠りについた。