3話.旅立ちと希望
ミリアに連れられ、富美子は部屋を出た。その時、背後から聞こえる足音に気付き振り返ると、若い騎士風の男が彼女を静かに見ていた。
「トミコ殿、俺はラグネルだ。王の命により、トミコ殿の護衛と監視役を任じられた者だ。辺境にも同行する。よろしく頼む。」その落ち着いた声に、富美子は思わず相手を見上げた。彼女の孫に近い年齢に見える、若く真面目そうな青年だった。
『私みたいな老婆の面倒を押し付けられて…ごめんなさいね。』富美子は少し申し訳なさそうに微笑む。だがラグネルは一瞬驚いた表情を見せ、すぐに首を振った。「それが俺の役目だ。トミコ殿が謝ることではない。」短い言葉の中に、彼の誠実さが垣間見える。富美子は心の中で少し安心しながら、再び前を向いた。
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再び馬車に乗せられた富美子は、ミリアと向かい合い、揺れる車内で乾いた風の音を聞いていた。ラグネルは馬車を操りながら先導しているようだ。
「トミコ様、辺境まではこの馬車で三日ほどかかります。どうかお身体に何かあればすぐお知らせください。」
そう言って不安げな表情を浮かべるミリア。
『ありがとう。ミリアさんでいいかしら?』
「はい…。この度はトミコ様を巻き込んでしまい、本当に申し訳ありません。」
ミリアは頭を深く下げ、申し訳なさそうに手を握りしめる。その姿を見た富美子は、自分の小さなシワだらけの手をそっと重ねた。
『いいのよ。もう起きてしまったことはどうしようもないのだもの。それより、これからのことを考える方が大事だわ。』
柔らかな声と優しい笑顔に、ミリアの強張っていた表情がわずかにほぐれる。
『これから向かう辺境は、どんなところなのかしら?』
富美子の問いに、ミリアは少し息を整えながら答える。
「辺境は『ナヴァリス』と呼ばれる地で、かつては純度の高い魔石の名産地でした。しかし…」
『魔力がなくなって、魔石も取れなくなってしまったのね?』
富美子の察しの早さに、ミリアは驚きつつ頷いた。
「左様です。それだけではありません。魔石が採れる地は、汚れた魔力が溜まりやすく、魔物も多発します。そして、辺境には魔力が全く届かなくなり、今では誰も魔法を使えない…とても危険な場所なのです。」
ミリアの説明を聞きながら、富美子は頭の中で整理を始める。この国の人々は魔法で生活していると言うが、魔法のない世界から来た富美子にはその重要性がまだ実感できなかった。
『この国では、魔法でどんな生活をしているの?私のいた世界には魔法なんてなかったから、よく分からなくて。』
富美子の疑問に、ミリアは少し苦笑いを浮かべながら答えた。
「洗濯も料理も掃除も、生活に必要なすべてのことを魔法で行っています。千年以上も前から。」
『すべて?』
「ええ、すべて、です。病気や怪我も治癒魔法で治しますし、本来であれば馬車だって空を飛ぶんです。」『まあ、それは素敵ねえ!』
富美子の目が輝く。馬車が空を飛ぶなんて、子供たちによく読み聞かせたおとぎ話そのものだった。
「でも、今では王都の人々くらいしか魔法を使えません。近隣諸国のように魔法を使わず生活する方法を知らない我々には、火を起こすことさえできず、食べ物も調理できない…怪我や病気を治す術もない。このままではアーベントは…私が召喚に失敗したせいで…」ミリアは顔を覆い、声を震わせ始めた。
しかし、意外にも富美子は冷静だった。便利なものが発達する前の日本を生きてきた彼女にとって、基本的な生活知識があれば生活が可能だという感覚があった。
『泣かないで、ミリアさん。私、少し希望が見えてきたわ!』
「え?なぜ今の話を聞いて希望が…?」
『とにかく、辺境に着いてみないと分からないわ。でも、絶望だけではない気がするの。』
動揺するミリアをよそに、富美子は心の中に小さな炎を灯していた。
『何もできずに野垂れ死になんてしてたまるもんですか。』
冷たい王への反抗心を燃やしながら、富美子は柔らかく、それでいて強かに微笑んだ。