2話.冷酷な王
『あらまぁ……』
馬車を降りた先にそびえるのは、日本では見たこともないような立派な洋風の城だった。
『本物のお城だわ……』と思わず呟き、腰の曲がった小さな体を精いっぱい伸ばして見上げる。
「着いてきてください、詳しくは中で説明致します。」
そう言うミリアの後ろをついて歩く、富美子の歩く速度に合わせてゆっくりと歩みを進めるミリアの優しさに富美子はずっと不安でいっぱいだった気持ちに少し余裕が産まれる。
まだ飲み込めて居ない事も多いが年の功か徐々に冷静さを取り戻しつつあった。そんな富美子が今考えるのは自分が突然消えてしまって一緒に遊んでいた近所の子供達は大丈夫だろうか、騒ぎになっていないだろうか。そんなことばかりであった。
広い城の中を数分歩き続け大きな扉の前に辿り着く。
ミリアが扉を開けると中には金の装飾の施された木製の黒く大きな円卓と周りに座る数名の人間。
騎士風の衣装に身を包んだ若い男とその上司だろうか?同じ格好の大柄な男、神父の様な白髪の初老の男、装飾された重厚な貴族風の服の肥えた髭の男が並んでいる。
皆一様に富美子を珍しい生き物を観察するかの様な視線で見つめる。
「こちらにお座り下さい。」
ミリアに案内され富美子は円卓の周りの空いた椅子に座る。
「こんな老婆が聖女だと?……ふん、冗談にも程があるな」
そう言いながら、肥えた髭の男はわざとらしくため息をついてみせた。
「皆様こちらは先程召喚されたトミコ・フジワラ様です。
順に状況を説明させていただきます。
まずはトミコ様への御説明から。
この国はアーベント王国と言ってトミコ様の来た場所の言葉で言うのであれば''異世界''と呼ばれる場所です。」
''異世界''孫の話で聞いた事はあるもののあまりピンと来ない単語だ。
恐らく天国や地獄なんかの死後の世界とはまた違うのだろう。
「この国では1000年前より近隣諸国にはない''魔法''を使って生活をしています。」
『魔法??』
「はい。魔法は先程トミコ様が触れられた魔力の大樹に聖女様が魔力を補充する事で国民全員が使えるようになるのです。」
その魔力の大樹があの大木ということか。
富美子は初めに触れた見たことも無いような大きな木を思い出す。
『つまり私はその魔力を補充する為の聖女として突然召喚されちゃったって事なのね?』
「はい。ですがトミコ様は正式な聖女様ではないのです…。」
『どういう事?』
富美子が眉を顰めて首を傾げると困った顔をして口を開こうとするミリアに被せるように髭の男が気怠げな声で話し始めた。
「5年前にもう既に聖女召喚はしたのだよ。まぁ、2年前に逃げ出して魔族に堕ちた紛い物の聖女だがね?なぁミリアくん。」
『はぁ…?ところで貴方は?』
「トミコ様。こちらはダルウィン公爵です。
紛い物…と言うと語弊がございます。」
「王国を裏切り魔族に堕ちた聖女など紛い物だろう。」
「ダルウィン公爵…っ。失礼しました。
5年前に召喚された聖女様は初めこそ大樹に魔力を完璧に補充してくださっていました…ですが2年前突然王宮を抜け出し、今は…」
『あの、いいかしら?魔族というのは一体なぁに?』
「失礼、説明不足でした。この国には魔法や魔力がある代わり汚れた魔力から産み出される魔物がいるのです。人を傷つけ人里を荒らす危険な存在です。
聖女様が大樹に魔力を補充する事で大樹が結界を張り人里を守ってくれるのですがそれも聖女様が逃げ出して以来…。」
言い淀むミリアと説明を代わるように白髪の初老の男性が手を挙げ話し始める。
「トミコ殿、わしは神官長のレイヴと申します。
元聖女様が逃げ出した、と言いましたがそうするとこの国では何が起こるか只今の説明で何となくお分かり頂けただろうか?」
『何となくですけども、魔力とやらを補充せねば魔法が使えない、結界も張られず魔物に襲われてしまう…という事かしら?』
「えぇ、その通りでございます。最後に元聖女様が魔力を補充したのが2年前、結界は無いに等しく魔力は今や王都の住民が生活魔法を使う分しか残っておらぬのです。
ですから此度召喚されたトミコ殿に魔力補充をしていただきたいわけなのでございます。」
懇願する様なレイヴの顔に富美子は困ってしまう。なぜなら先程富美子にその力が無いことが証明されてしまったからだ。
『はぁ…それなんですけどもね?』
富美子が困った様に説明しようと声を出すと被せる様にミリアが言葉を重ねる。
「トミコ様、私が説明致します。私の責任なのです…。
トミコ様は召喚されて直ぐに王の命で大樹に触れ、魔力補充を唱えました…。ですが大樹は満たされませんでした。」
ざわっ…その場にいた全員が目を見開き声をあげる。
「ではただの老婆を召喚し魔力を無駄に使っただけというか!」
ダルウィン公爵は円卓を拳で強く殴りながら声を荒らげた。
「ダルウィン公爵、そんな言い方は…!」
「神官長は黙れ!そもそも神官から聖女を逃がしたお主が悪いのであろう!」
ダルウィン公爵を初めとしてこの場にいる全員が不安と危機感に苛まれた雰囲気に包まれる。
富美子は自分になんの責任もないはずなのに居た堪れない不甲斐ない気持ちでいっぱいになった。
「うるさいぞ。」
富美子の背後の扉から初めにあった男が入ってくる。(恐らくこの人が王様なのだろう)
王の一声でざわついていた周囲がシンと静まり返る。
「話しは済んだか?
ミリアは召喚に失敗したのだ。そしてこの老婆は聖女では無い。
ならばここには必要ないということだ。」
富美子は思わず目を見開く。帰してもらえるということだろうか?
淡い期待を胸に頭ではそんな雰囲気では無いことくらい分かっていた。
『それは、帰して貰える…ということでしょうか?』
淡い期待を声に出し恐る恐る王に問うがまるでこいつは馬鹿か?とでも言うように鼻で笑ったあと呆れたように言った。
「召喚するにも帰すにも魔力が必要なのだ。それも莫大な魔力がな。」
王は冷たい声で富美子を嘲笑うかの様に告げる。
「お前を召喚するのに使った魔力も足りなかったのだ。だから失敗した。
分かるだろう?帰す魔力など__もうない。」
頭では分かっていた。だか富美子は落胆した、老い先短い残りの人生亡き夫と暮らした思い出の詰まった田舎の一軒家でゆっくり暮らし子供や孫達に囲まれ夫の元に逝くのだと、そう思っていたのに突然知らない土地に連れられお前は必要ない等と罵られ、富美子は怒りで身体が震えるのが分かった。だか反抗したところでどうにもならない事も分かっている。もう感情だけで行動するような年齢でも無い。諦めだ。
「トミコ、お前は辺境の地に送る。2度も失敗した出来損ないの魔術師ミリアと護衛と監視役として騎士のラグネルをお前に付ける。
理不尽だと思うか?突然召喚され必要ないと捨てられ俺を恨むか?恨めばいい。聖女の居ない今、この国の未来は生き延びるか滅ぶかしかない。だからこそお前達のような失敗作に構う暇などないのだ。お前が辺境の地で何か役に立つのであれば待遇を考えよう、何をしようが死のうが好きにするがいい。」
矢継ぎ早にそう告げると王はこちらを見る事もなく足早に部屋を出た。
なにが好きにするがいいだ、富美子の胸に怒りと絶望が渦巻く。この老いた身に何を成せと言うのか。
「トミコ様。申し訳ありません…私が悪いのです。私が失敗したせいでトミコ様も国民達も…私のせいで…本当に申し訳ありません…。」
薄らと目に涙を溜めたミリアが深く深く頭を下げる、そうか、この若い娘もあの王に処分された様なものなのか。
『ミリアさん、貴方は悪くないわ。いいのよ…。』
あの王はなんなのか、自分の家臣すらも出来損ないだと切り捨てるあの王は。
富美子は怒りと絶望に押しつぶされそうになりながらも、それを表に出すのはためらった。今は感情をぶつける相手がいない。ただ、若い頃から幾度も逆境を乗り越えてきた自分の人生を振り返ると、ここで無駄死にするのは悔しい、と強く思った。
ほぼ説明回で長くてすみません