1話.異世界召喚
目の前に広がるのは、ひび割れた地面と枯れかけた大木――それも異様なほどに巨大だ。その周りには、異様に派手な装飾の服を着た初老の男と、白いローブを纏った若い女。それから武装した兵士たちが数名。富美子の知る景色とは、何もかもが違っていた。
彼女は、つい先ほどまで自宅で編み物をしながら、近所の子供たちに昔遊びを教えていたはずだった。
いつもと変わらない、穏やかな日常。
しかし、いま彼女がいるのは、その日常とはかけ離れた場所。何が起こったのか全く分からない。
胸が早鐘を打つように鼓動し、冷静さを失っていく。震える手には、編み棒と毛糸。思わずそれをぎゅっと握りしめる。
「…やはり、無茶であったか」「まだ……まだ分かりません!」目の前に立つ初老の男と若い女が、こちらを置いてけぼりにしたまま言葉を交わしている。
『あの……私は、なんでこんなところにいるのかしら?』
恐る恐る声をかけた富美子。手にしていた編み棒と毛糸を、亡き夫から送られた肌身離さず持ち歩いている布カバンにしまうと、一歩前に踏み出した。
すると、初老の男は富美子をまっすぐ見据え、淡々と告げる。
「お前は召喚の儀により、異世界から召喚された聖女だ」
異世界?聖女?召喚?聞き慣れない言葉に、富美子の頭は混乱するばかりだ。
彼女が理解する間もなく、男は彼女の腕を引き、あの巨大な大木の前に立たせた。
「さあ、魔力補充と唱え、大樹に魔力を補充してみせよ」
男の睨みつけるような視線に、富美子はただ戸惑うばかり。それでも言われるがままに、大木へそっと手を伸ばした。
『ま、魔力補充……』
か細い声で言葉を口にしたものの、何も起こらない。
しんとした沈黙が流れる中、男が不満げに口を開く。「やはりな。お前のような老婆が聖女であるはずがない。私は王宮へ戻る。この老婆は――ミリア、お前が何とかしろ」
「……申し訳…ありません。」
若い女が肩を落とし、深々と頭を下げる。それを尻目に、男は周囲の兵士を引き連れ、その場を去っていった。
一人取り残された富美子は、訳も分からないまま「老婆だの聖女だの」と言われ、ただ呆然と立ち尽くす。
しばらくして、白い服の若い女が、気まずそうに口を開いた。
「……お名前をお聞きしてもよろしいでしょうか?」
『私は、藤原富美子ですが……それよりも、これは一体どういうことなんですか?』
「トミコ様……詳しいことは、王宮でご説明いたします」
そう言うと、彼女――ミリアと名乗った女は、富美子を馬車に案内した。
富美子は、ガタガタと揺れる馬車の中で外を見やり、深いため息をついた。乾いた風が窓から吹き込み、乱暴に彼女の頬を撫でる。その風に負けないほど、馬車の車輪が荒れた地面に響いている。
胸の中には、どうしようもない不安が膨らんでいた。84年の人生で、こんな経験は一度もなかった。彼女は布カバンの紐をそっと握りしめながら、亡き夫の面影を思い浮かべるしかなかった。