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僕のヒーロー

作者: 浩伊永助

良い人間は長生きしない。

戦争などの死が近いテーマの作品などでよく聞く言葉だろう。現に僕も何度か見たことがあり、そのたびに登場人物の死と共に少し悲しい気持ちになったものだ。しかし、まさか戦争など程遠い国でこんなことを思う日が来るとは、当時の僕は思いもしなかった。





********************


自殺だった。

部屋の中から異臭がすると通報があり、管理人が部屋に入ると、首を吊った男とその男の残した遺書があったそうだ。

彼の遺書には、何か特別なことが書かれていたわけではなく、家族や友人、同僚への感謝と謝罪、そして最後に生きることに疲れたと綴られていた。

それを聞いた同僚たちはアイツは良い奴だった、あんな良い人が死ぬなんて、と口々に唱え、悲しがっている。


現代社会において、良くあるとまで言わなくとも、そこまで珍しくない光景。

多くの人が暮らすこの国において、たった一人の人間が死んだところで何かが変わるわけでもない。

現にあまり人数の多くないこの会社の中ですら、彼の仕事の穴埋めを残ったものたちで回し、まるであたかも初めから男がいなかったかのように動き始めていた。


でも、僕はそれを冷めた目で見つめることしかできなかった。


死んだ男は僕の上司でとても面倒見の良い人だった。先輩はどんな人にも優しく接し、真面目一筋というわけでもなく茶目っ気のある人でもあった。

そんな先輩の口癖が「俺のためだから」だった。ただその言葉を聞けば、自己中心的な人物のように見えるだろう。だが、先輩がこの言葉を口にするときは必ず誰かのフォローをする時だった。

謝る相手に先輩は笑って、「お前のミスのおかげで俺の評価が上がるから大丈夫、逆にどんどんミスしてくれ」と言っていた。

先輩の言葉で大抵の人はあまり落ち込むことなく、仕事に復帰することができていた。

僕は先輩のその言葉が好きで、一度酒の席でそのことを話したことがあった。

すると先輩は子供のように目を輝かせた。

「あの言葉いいよな!本人が一番反省してんのに追い討ちかけたくないし、それにーーー」

そう言って先輩は少し気恥ずかしそうに笑った。

「恩義せがましくするより物語の主人公みたいでカッコいいだろ」

僕も笑った。

「先輩、僕もその台詞、使っていいですか?」

僕のヒーローの言葉がたまらなくカッコ良かったから。

「おう!免許皆伝だ、どこでも使ってくれ」

先輩も僕も思っていた。彼の気持ちは言葉にせずとも皆に伝わっているだろうと。



「アイツ、良い奴だけど自己中だよな」

「わかる、自分の評価ばっか気にしてるよな」

「そうそう、アレさえなければ良い奴なんだけど」


意味がわからなかった。

彼が何よりも皆のためを思って言っていた決め台詞が、何一つ伝わることなく、表面だけで捉えられていたことが。

先日助けられたばかりの人たちが一切恩義に報いることなく、彼を批判する意味が。

本当に何もかもわからなかった。

僕も固まっていたが、その場にいた先輩も同じように固まっていた。


「キッツイなー」


この言葉と苦い笑いが、僕にとって、先輩の最後の姿だった。





********************


気が付くと帰路についていた。

夜の道を歩きながらぼんやりと考えるのはやはり先輩のことだった。

彼の何がいけなかったのだろうか。

確かに、仕事でミスをすることも、誤って他人を傷つけることもあっただろう。何かされて苛立つことも、喧嘩をしたこともあるだろう。けど、先輩は親切で、優しくて、いつも自分のことより皆の事を考えて行動していた。それなのに、あの、皆のためを思っていた、言葉の表面以外、何一つ自分のことを考えずに発した言葉がいけなかったとでもいうのだろうか。

相手のことをいくら考えたとしても、たった一つの言葉尻のみで、たったそれだけで先輩は死ななければならなかったのだろうか。

先輩は最後まで皆のことを思っていた。

現に遺書には恩義に報いることのできなかった僕たちにすら謝罪の言葉を書いていたのだ。

そんな人物が、たった一つの、それだって相手の為を思って口にしていた一言で、心無い言葉を吐かれ、心に傷を負い、死んでしまう世界に自分がいる。


繁華街の近くを歩くと、酔っ払って騒ぎ、警察と口論している集団が目につく。

いつもは何も思わないのに、何故か苛立つ。僕も先輩も、彼らのように自分のことだけを考え、人のことなど気にしない生き方ができたら、ふとそんなことを思ってしまう。

彼の最後の言葉、生きることに疲れたとは、言うなれば考えることに疲れたということだろう。皆のことを考え、考え、考えに考え抜いて、それですら報われぬこの世界に疲れてしまったのだろう。

神がいるとするのなら、何故、こんな不完全な世界を造ったのだろうか。

踏みつけられる痛みを知らないものたちが、踏みつけられることの痛みを知る人たちを踏みつけて登っていく。

人のことを考えれば考えるだけ馬鹿を見て、他者を顧みない人間が得をする。しかし、優しい人間は考えないという選択をすることができない。なぜなら彼らは優しいから。考えないことで踏みつけてしまうだろう人たちのことが理解できてしまうから。


良い人間ほど早く死ぬとはよく言ったものだ。彼らは知っていたのだろう。どうしても覆すことのできない、世界の理を。


優しさで損をする世界。

他者を蹴落とすことを是とする世界。


僕の、僕のヒーローが生きることを許されなかった世界。


「こんな世の中、滅んで仕舞えばいいのに」

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