コーラルレッドは前を見る
7/4 誤字修正いたしました。
ありがとうございます。
一体誰が「側妃」などという存在を考えたんだろう。それのせいで寵愛がどうとか世継ぎがどうとか問題が起こるのに。もちろん、政治的な策略で必要な場合だってあることは知っているが、それはそれである。
何が言いたいかと言うと、グレイの妻はノワールだけで十分だと言うことだ。いや、むしろノワールはグレイには勿体ないほど優れた妻だし、最近その美しさに磨きがかかっている。そう弟に告げたところ、真顔で「全くその通り」と返してきた。返答を知りながらも聞いたのは自分だが何だか解せない。ノワール本人にも同じことを伝えてみたら、始めは謙遜し最終的には「グレイ様が私を大切にしてくださっているから、周りからそう見えるんですね」とはにかんだ。思わず強く抱きしめてしまったが、仕方のないことだと思う。
それはさておき、今グレイの元にはやたら「是非うちの娘を侍女に」という申し込みが溢れている。王族に仕えるということが名誉なことだから、という言葉だけでは済まされない量だ。更に舞踏会に出れば、隣にノワールがいようとこぞって貴族たちが娘の紹介をしてくる。要するにどちらも「うちの娘を側妃にどうですか」ということである。
いくら駆け引きが苦手なグレイでも分かるそれらに、ノワールが気付かないはずがない。今まで側妃のことを触れずにいたが、彼女はこの国のためを思ってグレイが側妃を娶ることに口を出さないかもしれない。彼女に不安を抱かせないためにも、彼女に対する誠実さを自分から伝えるべきだ。
「私は生涯ノワールだけを愛する。だから側妃を娶ることは絶対にない」
言った瞬間こそ恥ずか死んだらどうしようかと思ったが、そんな気持ちもノワールの顔を見たら吹き飛んだ。
金に縁取られた深緑は潤み、唇は弧を描いている。
――なんて美しいんだろう。
グレイが手を伸ばすよりも前にノワールの腕が首に回され、そっと唇を重ねられた。
止めに一言。
「私も、死ぬその瞬間までグレイ様だけを愛し続けます」
寝台以外でノワールに抱きつかれたことも、彼女からの口づけも、思い返せば初めて。グレイの気分と理性は遥か上空へと飛んでいったことは言うまでもない。
あの日のことは一生忘れないだろうな、とゆるみそうな頬を平行に保っている間に、一組の若い男女が現れる。そういえば今は数十回目――具体的に言うと不機嫌になる――の皇后陛下の誕生日を祝うパーティだった。同時に、そう遠くない未来に皇帝陛下となるグレイと、皇后陛下になるノワールの顔を見せる時間でもある。
そして今目の前にいる男女はある国の皇子と皇女。皇子はにこやかに自己紹介を始める。
「始めまして殿下。ペスク国から参りました、スティードと申します」
グレイも同様に名乗った。それからノワールのことを紹介しようとしたが、間髪いれずにスティードが口を開いた。
「こっちは妹のシュティア。我が国で最も美しいと評判なんですよ。ぜひ我が妹――」
それはどうでもいいが、肩や胸元を露出しすぎではないだろうか。女性が身体を冷やすのは良くないと聞く。彼女の侍女は何を考えているんだろう。自国の気候とこちらの気候には差がある。いつもと同じドレスで来るなんて。
しかし、あまりこういうことに自分が口出しするのもおかしくないだろうか。この装いで良しとしたのは皇女自身なわけだから、それを注意すると気分を害するかもしれない。やはりその辺りの注意喚起は身内に任せた方が得策だろう。
グレイはそう自分を納得させると、いつの間にか皇子が黙っていたので隙ありと言わんばかりにノワールを紹介した。密かに腰を抱き寄せるのも忘れない。
ノワールの今日のドレスは非常に露出が少ない。顔と手と少し首が見えている程度だ。代わりに首元から膝まで身体に沿った形をしており、身体のラインが分かる様になっている。肘から下、膝から下は広がっているので、そこにまた色気と品を感じる。グレイにはそのドレスの名前は分からないが、ノワールに似合っていることは分かった。
そのまま彼女の手を取りダンスに連れ出す。ノワールには何も言わなくともそれが伝わったようで、人にぶつからない中央に来るとくるりと回って見せた。
踊った後も別の貴族たちが集まってきたので、想像通りあしらうのが大変だったが、ノワールと踊れたことも含めてグレイはそこそこ満足した。
そしてそれは、ノワールにとっても。
*****
「私は生涯ノワールだけを愛する。だから側妃を娶ることは絶対にない」
その言葉は、思ったよりもノワールの心に深く響いた。
側妃を持とうが持つまいが、ノワールを軽んじるようであれば上手く言いくるめて自分の思う方向に持っていくつもりだった。彼は、庭師の女のことを後ろめたく思っていないわけではない。それを使えば簡単に言質くらいとれると思っていたが、まさかグレイ本人からそのように告げられるとは思っていなかった。嬉しい誤算である。
それに、ペスク国の美姫と言われているシュティアという女にも現を抜かさなかった。男性ならあの大きな胸に目を奪われて当然、だと思っていたけれど、グレイは見惚れるどころか、ノワールを愛おしそうに見つめていた。しかもスティードを通したダンスの誘いを無視して自分をダンスに連れ出す。あの兄妹の驚愕と屈辱に満ちた表情は本当に良かった。思い出すだけでも笑ってしまう。グレイが無意識なのも面白い。
更に翌日に「彼女のドレスを選んだ者は、もっと国外の気温差を考えるべきだ。あれでは体調を崩してしまう」と小言を言う始末。それを聞いた瞬間噴き出さずにいられた自分を褒めて欲しいくらいだ。ちなみに義弟は噴き出した。そして声を出して笑った。まあ、ペスク国はこの国とノワールの祖国からすれば大した脅威ではないのでノワールも何も口を出さなかったし、義弟も笑っているんだからいいだろう。
また、群がる貴族たちの娘紹介攻撃も見事に乗り切った。最初こそ不器用なくせにまっすぐでいようとしていたグレイだったが、人のいなし方を覚えてきたようだ。頭を撫でてやったら喜ぶだろうか。
娘紹介攻撃の中には、ノワールにとって良いこともあった。紹介される貴族の娘には、ノリノリで側妃を狙う者の他に、権力に興味のない者、他に好きな人がいる者、親に言われて怯えている者が見受けられた。ノリノリで側妃を狙う者の中で頭が軽そうな令嬢は、今後自分たちの地位を脅かそうとする人物が現れた時に利用できそうだし、婚約者や思いを寄せる人がいる令嬢は、都合が良ければ恋を成就させて恩を売ることも出来そうだ。おおよその目星も付けられたことだし、ノワールとしてはまあまあ充実した時間になったと言えるだろう。
グレイは元々王族特有の残虐さがないせいか頼りなく感じるところがあり、そこをいつ下から刺されるかという不安がないわけではない。今はノワールや弟たちが支えているが、少しずつ成長している彼ならいつか「大丈夫」になるだろう。
その時はきっと、もっと「王族らしさ」を備えた人物になるに違いない。そして、ノワールに感じている罪悪感から解放されているかもしれない。いや、ノワールに対する罪悪感は出来るだけ長く持てばいい。そこは大いに使わせてもらいたい。
――そうなった時ですら彼の珊瑚色のまっすぐな瞳は変わらないんだろう、とノワールは勝手に思っている。