公爵家令嬢は悲しみの淵に立つ2
幼い頃からの、記憶が次々と脳裏に浮かんでは消えていく。
――まだ両親にわずかながらでも愛されていた私。
――レインを見た瞬間『奪われる』と感じて反射的に彼女の頬を打った、あの子との初対面の日。……あの日の私の予感は、色々な意味で正しかったのね。
――両親とレインが楽しそうに話しているのを、遠くから見ている私。
――ヒーニアス王子に出会い、この素敵な人が婚約者なのだと高揚し。だけど相手の落胆を肌で感じて酷く惨めな気持ちになったあの日。
――婚約者を義妹に取られ、陰口を言われながら過ごし。怒りや悲しみをどこにぶつけていいのかわからず、醜く歪んでいくだけだった学園生活。
次々と浮かぶ人生の光景。それは私に優しい記憶ではない。
あまり楽しい人生ではなかったわね。心に刺さった棘からじわりと悲しみが胸に広がる。
『フラン』
その名前を、思い浮かべる。私の人生で唯一輝いていたもの。彼と過ごした日々だけが……私の幸せだった。
愛していると囁かれ、温かな存在に抱きしめられ、大切なもののように口づけをされ。それが同情からの行動だったとしても、私は貴方と一緒で幸せだったの。
『……フランに会いたい』
フランを探したいのに周囲は塗り潰されたような暗闇で、体は上手く動かない。無我夢中で伸ばそうとした手がそっと握られたような。そんな気がした。
「マーガレット、目を覚ましてください」
――フランの声がする。どこにいるの? 真っ暗で、貴方の姿が見えないの。
「……貴女を、愛しています。お願いだから死なないでください……。マーガレットのいない人生なんて、私には耐えられない……」
ふふ、ずいぶんと私に都合のいいことを言うフランね。フランに本当にそんなことを言ってもらえたら、私の心臓は喜びで止まってしまうかもしれない。
優しく、頬に触れる感触がした。これはフランの唇かしら。
「貴女と、話がしたい」
そうね、フラン。私も貴方と話がしたい。話したいことがたくさんあるの。
「マーガレット、早く貴女を連れて逃げればよかった」
それはダメよ、フラン。貴方に家の断絶なんて重いものを背負わせたくはないの。
「……愛してる……」
私もよ、フラン。愛してる、貴方だけ。
思考は蕩けるように闇に沈んでいく。フラン、怖いの。貴方がいない。
救いを求めるように握られている手を握り返す。するとさらに強い力で握り返されて。……この手のあるところに帰りたいと、私は強くそう願った。
+++
――光が、瞼に差す。
体が酷く重くて、お腹のあたりが妙に痛い。……痛い? 私、生きているのかしら。
重い瞼を開けると私付きのメイドの姿が目に入る。視線を動かすとそこは寮の部屋ではなく……エインワース公爵家の自室のようだった。
「――っ……」
声を出そうとしてみたけれど、喉が酷く渇き、言葉は口の中で張り付いたように出て行かなくて。
「……お嬢様?」
けれど彼女は私の気配に気づいてくれて、こちらを見ると驚愕といった表情を浮かべた。慌てた様子で去って行く、彼女の後ろ姿を見送る。そしてしばらくするとメイドと共にお父様が部屋へとやって来て、私の顔を覗き込んだ。
肉づきのよい、紅い髪と瞳の、昔の私によく似たお父様。お父様のお顔をこんなに間近で見たのは何年ぶりのことだろう。
「ヒーニアス王子とお前の婚約は、破棄されたよ」
私の体を気遣うわけでもなく。苦い顔をしたお父様が発した言葉は、それだった。……気遣いを期待していたわけではなかったけれど。それでも私の心はやっぱり軋んでしまう。
それにしても……婚約、破棄? どうして?
「侍医によると傷が原因でお前は子を望めないだろうと。子を成せず、体に傷を残したお前でも引き取ってくれる家を……探さねばな」
お父様は淡々と、感情を込めずに話す。……ああそう、そういうことなの。レインは私から一体いくつのものを奪えば気が済むのだろう。
じくじくと、お腹の傷が痛む。私は、貴族の女として最悪の瑕疵を負ってしまったのだ。
「……レイン、が、王太子妃になるのですね。今回のことは『事故』だと、王家に伝えたのですか?」
「……」
お父様はなにも答えない。けれどそれが、なによりも雄弁な答えだった。
「……そう……」
家族、婚約者、私の貴族の女としての価値。未来にいたかもしれない……私の子供。
私から様々なものを奪い、レインは未来の王妃となるのだ。
――私が一体、なにをしたというの。
涙が溢れそうになる。けれどこの男の前では、それを見せてはなるものかと私は必死で堪えた。お父様は踵を返し部屋から出て行く。本当にあの言葉だけを告げに、ここへ来たのね。
「旦那様はあんまりです……。お嬢様は、三週間生死の境を彷徨って、ようやく戻って来たのに……!」
メイドが私の代わりに涙を流してくれたから。私は彼女に泣くのを任せた。
ぼんやりと天井を眺める。ずっとここで育ったはずなのに……私の居場所ではない。そう感じて、心の空虚がさらに大きく広がった気がした。
……そうよ、フランは?
「ねぇ……フランは?」
メイドに訊ねると、彼女は少し気まずそうな顔をする。
「……フランは、レイン様のお付きになりました」
メイドの言葉に私は驚愕し目を零れんばかりに開く。
「……どうして?」
「フランは……。未来の王妃の護衛も兼ねて、王家から遣わされた者だったので……その……。残りの任期は、レイン様の護衛をしなければ、ならないそうで」
彼女とフランは仕事上の付き合いが長かったから、去り際に彼が教えてくれたらしい。
私が未来の王妃ではなくなったから、フランは次の未来の王妃の従者になった。そういうことか。伯爵家の長男がどうして私の従者に、と思っていたけれど。王家からの遣いだったのね。ようやく納得できたわ。
今回のことがあってもフランが護衛の任を解かれないことを不思議に思ったけれど。フランが王家側であることや、あの『事故』の目撃者であること……さまざまな事情が絡んでいるのだろう。
レインは、フランまで……私から奪うのね。
「……死んでしまった方が、マシだったわ」
ぽつりとそんな呟きが唇から零れた。
その言葉を聞いたメイドの瞳からまた涙が零れる。大きくなる彼女の嗚咽を聞きながら、私は思考を巡らす。
……私には、なにもない。
今までの人生の中で一番、それを強く感じる。
こんな人生、早く終わってくれないかしら。そんなことを考えながら、私は窓から見える曇天に目を向けた。
本編との落差が激しいゲームマーガレットさんの状況。
基本的に彼女は不憫属性なのです('ω')
フラン側の動きはマーガレット視点後に更新するフラン視点で。