公爵家令嬢は従者と箱庭で恋を育む3
フランと中庭を歩いていると、男女の諍いが耳に入った。嫌ね、こんな公共の場で。そう思い眉を顰めたのだけれど、どこか聞き覚えのあるその二つの声に私は何気なく視線を向けた。
レインと、ヒーニアス王子。
視線の先にはあの二人。レインが王子にすがり、王子はそれをやんわりと……だけど確実に拒絶しているように見える。あんなに仲睦まじかったのに。恋とは儚いものなのね。
それとも私という『悪役』が存在しないと、気持ちの盛り上がりを保てない程度の恋だったのかしら。私は彼らにとって恰好の、盛り上がるための障害だったのだろうから。
二人には他の生徒からも視線が投げられている。それは概ね嘲りを含んだものだ。
――平民出の娘は、やっぱり相手にされていなかったのよ。
――いい気味ね。本当に。
そんな囁きも耳に入る。レインは以前からたくさんのご令嬢のやっかみを買っている。それはそうよね、平民出の娘が血統正しい姉のその婚約者である王子と、日々仲睦まじい様子を見せていたのだから。
「……お嬢様、行きましょう」
フランが目配せしてそっと私の服の端を引く。本当は手を繋いで欲しい。だけどここは箱庭の外なのだ。
「そうね。行きましょう」
私はフランに微笑んで紅の髪を翻した。髪は風に煽られ、煌めきながらふわりと揺れた。フランは私の髪を好きだと言ってくれる。昔は醜い自分に不釣り合いな、派手な色味の髪が嫌いだったけれど……今は自分でも、悪くないと思えるのが不思議だ。
好きな人からの言葉は……それだけ影響が大きいのね。
「……あと数カ月で、卒業なのね」
ぽつりと、そんな言葉が漏れる。数カ月が経てばフランは領地に帰り、私は王太子妃になって偽りの笑みを浮かべる生活になるのだ。
近頃ヒーニアス王子は私との関係改善を図ろうと『王家よりの命令』という断れない形で、個人的なお茶会などに誘ってくる。以前の私であれば、それは震え泣いてしまうほどに嬉しいことだったんだろう。だけど今は、薄ら寒さを覚えるだけだ。
少し前の王子とのお茶会の時に、彼に私は訊いた。『婚姻後、レインを愛妾として迎えるのでしょう?』と。するとヒーニアス王子は優しげな表情で微笑み。
『彼女との関係は学生の時の火遊びだよ。それにこんなにも美しい妻がいるのだから、愛妾は必要ないよね』……とのたまったのだ。そして、さきほどの光景である。
……王子の寵愛がレインから逸れたのは、想定外だったわね。愛妾になって、彼の歓心をずっと引いていて欲しかったのだけれど。王子がまた浮気心を起こすまで、私が相手をしないといけないのかしら。……それは酷く面倒で億劫だ。
「箱庭の時間も、もうすぐ終わるのね」
溜め息を小さくついて空を見上げる。冬に近づく今日の空は鈍色をしていて、なんだか酷く重々しい。部屋でのんびりフランと紅茶でも飲みたいわね、そうしましょう。
寮へ戻り着替えを済ませ、長椅子に座る。フランは優しく私の額に口づけてから紅茶を淹れにキッチンへと向かった。キッチンからはお湯を沸かす音や茶器を準備をする音が聞こえる。長年生活の一部となっている、彼の気配。それはもうすぐ、私の側から消えてしまうのだ。
「……マーガレット、元気がないですね」
紅茶を手に戻ってきたフランが、私の顔を見て心配そうに言う。私は上がりづらい口角を無理に上げて、彼に微笑んでみせた。
「大丈夫よ、フラン。……ねぇ、甘えてもいい?」
それを聞いてフランは長椅子の隣に座る。彼は何度か優しく頬を撫でてから、唇を合わせた。そして首筋に顔を埋めると、小さく花を散らす。
「付けたらダメだって前にも言ったでしょう?」
「……ここなら、髪と制服で隠れますので」
この人は、こんなに困った人だったかしら。そう思いながらも彼に印を刻まれるのは嫌いではない。
「困った人ね、フラン・ハドルストーン」
くすぐるように彼の顎の下を撫で、私からも彼に口づける。ただの口づけのはずなのに、くらりと脳を焼かれてしまいそうだ。
「愛しているわ……」
あと何回、彼にこの言葉を言えるのだろう。
後悔しないように何度も彼に『愛している』と囁いて。
最後は言葉の代わりに唇を重ねた。
「……マーガレット」
頬を染め少し苦しげな表情のフランに、名前を呼ばれるのが嬉しくて。私も何度も彼の名前を呼ぶ。
「側にいてくれと貴女が言ってくれれば……私はいつまでもお側にいます。連れて逃げろと言うのなら、連れて逃げましょう。命令してください、マーガレット」
近頃、彼が時折零す切羽詰まったような囁き。それを私はいつもの通り聞こえないふりをして、やり過ごす。
――私の側から、いなくならないで。
そんな言葉を必死で殺し、心の底へ沈める。私はフランの平穏を壊すつもりはないの。私のせいで彼を不幸にしたくはない。
幸せになって、フラン・ハドルストーン。貴方が幸せでいることが、私の幸せよ。
「……愛しているわ」
掠れた声でそう囁くことしか、私にはできない。
するとフランも泣きそうな顔で、同じ言葉を返してくれた。
箱庭の恋は愛に育ちつつあるのです。