公爵家令嬢と従者は交流を開始する3
「やぁ、マーガレット。近頃、綺麗になったね」
学園のカフェテリアで珈琲を飲んでいると、今まで私に見向きもしなかったあの人が声をかけてきた。……ヒーニアス王子。私の、婚約者。
そして義妹に心を奪われている男。
陶器のように滑らかで美しい白い肌、高い鼻梁、美しい形の唇。優しげな緑色の瞳は長い金色の睫毛で縁取られている。金色の髪は絹糸のような柔らかい質感で、ふわりと揺れながら輝いていた。……正に絶世の美貌ね。
私は立ち上がると、彼に丁寧にカーテシーをした。
「お久しぶりです、ヒーニアス王子。優しいお言葉、ありがとうございます」
口調が、つい硬いものになってしまう。彼に綺麗と言われてもなんの喜びも湧かない。昔の私を見て、いいところを探そうとしてくれたのは、フランだけだった。見目が多少よくなったことで、手のひらを返して寄ってくるような人間は……婚約者だとしても私は軽蔑してしまう。
……あんなに焦がれていたのに、あの気持ちはどこへ行ってしまったのかしら。
「……なにか、御用でしょうか」
私が硬い口調のまま言うとヒーニアス王子の瞳が驚いたように大きく開いた。今まであんなに悋気を起こしてレインをいじめ、少しでも彼の側にいようとした私。それが急にこれだけ興味を失ってしまえば、驚きもするだろう。
私はため息を少しついて、赤い髪をかき上げる。今までの私は……なにに怒っていたのだろう。ヒーニアス王子を目に前にして、そんなことすら思ってしまう。
「本当に……中身も含めて、ずいぶんと変わったね。僕のために綺麗になったわけではないの?」
王子のその言葉に、私はカチンときてしまった。貴方のためなんかじゃない、これは自分のためにやったことだ。……そして、フランがいたからできたことだ。
いつものように私の側にそっと控えているフランに視線を向ける。すると彼は、私を励ますように少しだけ頷いた。
「私のためです。無駄なことに時間を浪費するのにはもう疲れてしまったので。私が前を向くためだけに、やったことです」
「ふぅん……」
小さく呟きながらヒーニアス王子は私を上から下までじろじろと眺める。その居心地の悪い視線に、私は思わず身じろぎをした。容姿が変わってから時折向けられる……男の欲を含んだいやらしい視線だ。
「……今日もレインとお過ごしになるのでは? 私は寮に戻りますので。失礼しますわ」
「待って、マーガレット。少し話をしない?」
そっと腕を掴まれ、引き寄せられる。その腕を私は遠慮なく振り払った。
生まれながらにこの人の婚約者になることが決まっていた私は、生まれながらの王妃に等しい。多少私が逆らったからといって王子といえども罰したり、首を刎ねたりはできないのだ。それがわかっていたから、私は彼に強気な態度に出た。
「淑女にみだりに触れるなんて、無礼ですよ。ヒーニアス王子」
私はヒーニアス王子を睨みつける。もう二度と、心をこの人揺さぶられてなるものか。
彼は、私を呆然と見つめる。自信なさげに下を向き、彼に焦がれる視線を向け、愛をもらえないことに癇癪を起していたマーガレット・エインワースは、もうどこにもいないのだ。
「レインと楽しくお過ごしになり、私のことは放っておいてくださいませ。……それでは」
私は一礼すると素早く踵を返した。驚くほどに、ヒーニアス王子に対してなんの感情も湧かない。あの溢れるような想いは、どこへ行ったのかしら。
……いいえ、想いはもうとっくの昔に尽きていて。燃えていたのは執着だけだったのかもしれないわ。
それがわかって、私はなんだかすっきりとした気持ちになった。
「大丈夫ですか、お嬢様」
早足で歩く私に、フランがそっと寄り添ってくる。それに安堵を覚え私は彼に笑みを向けた。
「ふふ。どうしましょう、フラン。驚くほどヒーニアス王子への気持ちが消えていたの!」
「お嬢様、それは……」
私の言葉にフランはなんとも言えないという顔をする。
「婚姻したら、初めからずっとレインの所に通ってもらおうかしら。未来の王位もレインと彼の子供が継げばいいわ。同じエインワースですもの、大差はないでしょう?」
そう言ってくすくす笑う私に、フランはまた微妙な顔をする。でもいい案だと思うのよね。私は愛していない人に体を委ねなくていいし、ヒーニアス王子も愛する人との子供を王位につけられる。
レインのことを『同じエインワース』だと言えるなんて。私は本当に、あの二人のことがどうでもよくなってしまったらしい。
「……でも、それでは。お嬢様の幸せは」
フランは、悲しそうに呟いた。
私の……幸せ。それって、なんなのかしらね。
私は立ち止まり、紅玉の瞳でフランを見上げた。フランは細いその目を少し開いて、青の瞳をこちらに向ける。ああ、この人の瞳は、こんなに綺麗だったのね。
「……ヒーニアス王子とでは、幸せになれないことがわかってしまったから。……幸せを得ることはもう、諦めた方がいいと、思っているの」
私の言葉にフランは、泣きそうな顔をする。でもヒーニアス王子と婚姻することは避けられない、仕方ないことで。私はせめて少しでも自分が傷つかない選択を探すしかない。
私は、フランの白くて綺麗な手をそっと握った。
「……お嬢、様……」
フランの唇から酷く動揺したような、掠れた声が漏れる。そうよね、淑女が従僕になんて。本来ならば触れるべきではない。
「ねぇ、フラン。今まで出会ったすべての人間の中で、貴方に一番好感を持っているわ。真摯で、誠実で。私を『まとも』にしてくれた人ですもの。……貴方が私の、婚約者ならよかったのに」
思わずそんな言葉と、涙が零れる。
だけど私には……人生を選択する権利なんてものは、欠片もないのだ。
フランの手がそっと伸びて。私の涙を拭うのが……とても心地よかった。
ヒーニアス王子はいつでも腹黒なのです。