従者は誓い、そして戦う1(フラン視点)
残酷な描写ご注意ください。
血溜まりの中に倒れ伏したマーガレットを見た瞬間。全身から血の気が引くのがわかった。どうして、どうして、こんなことに。
いや……答えは明白だ。血に濡れたナイフを手に立っているあの女が、これをやったのだ。
「マーガレット!」
呆然とした表情で立っている女を突き飛ばし、私はマーガレットの体を抱え起こした。彼女の背中と腹部からは止めどなく血が流れ、ふだんは淡い薔薇色をしている頬は青ざめた白へと変わっている。
「フラン……」
マーガレットは掠れた声で私の名を呼びながら、そっとその手を伸ばした。小さな白い手が私の頬を撫でる。頬に伝わるのは、ぬるりとした血液の感触。そして冷え切った彼女の体温。それは私の心に激しい焦燥を齎した。
――嫌だ。彼女を失いたくない。
「愛してる、の」
絞り出すように言いながら、マーガレットは微笑んでみせた。こんな時でさえ、彼女は必死に私に愛を伝えようとする。
「……マーガレット、喋らないで。すぐ医者に連れて行きますので……!」
今は喋らないで欲しい。少しでも、体力を温存してもらわないと。
マーガレットは笑おうとするが激しく噎せ、美しい唇からは真っ赤な血が滴る。私の頬に触れていた手は力なく落ち、その紅玉の瞳はゆっくりと閉じられた。
嫌だ、嫌だ、嫌だ。マーガレット、私を……置いていかないでくれ。
マーガレットのぐったりとした体を抱え上げ、私は走った。一刻も早く彼女を医者に見せねばならない。学園の生徒が利用できる馬車のある繋ぎ場へと向かい、驚いた顔の御者に怪我人が出たことと行き先を告げる。
マーガレットの怪我は重篤で、そのあたりの医者の治療では技術の面で心配だ。エインワース公爵は王都勤めなので領地の邸とは別で、王都にほど近い場所に邸を持っている。学園から公爵家の邸まではそう遠くはない。公爵家に連れ帰り侍医に診てもらった方がいいだろう。
「マーガレット……」
紙のように白いマーガレットの顔を見ていると、心に不安がつのる。私はシャツを脱ぐと、彼女の傷口を服の上からきつく縛った。白いシャツはみるみるうちに血に染まり、怪我の凄惨さを伝えてくる。
何度断られたとしても、側にいればよかった。そうすればマーガレットを凶刃に晒さずに済んだのだ。
「マーガレット、死なないでください……」
囁きながら、華奢な体を抱きしめる。彼女の命が体から抜け落ちてしまわないようにと、そればかりを願いながら。
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「そうか、レインが……。義妹の操縦もできんのか、この不出来な娘は」
エインワース公爵は手当が終わったマーガレットの顔を、心配するでもない様子で見つめながらつぶやく。その言動に激しい怒りを覚えたが……彼を殴り飛ばすわけにもいかず、私はただ拳を握りしめることしかできなかった。爪が食い込んだ皮膚からは血が流れ、絨毯の上にぽたりと零れ落ちた。
マーガレットの容態は未だ予断を許さず、私にはそれを見守ることしかできない。
「公爵様、お話が……」
侍医が眉根を下げながらエインワース公爵に声をかける。公爵は私に退出を促すような視線を向けた。マーガレットの容態の話だろうか。私は廊下に出ると扉に耳を付け、聞き耳を立てた。
「怪我の箇所が……。ご快復されたとしても、もうお子は望めないかと……」
断片的に聞こえる会話。しかしそれだけで、マーガレットの置かれている状況は、伝わってくる。その会話を聞いて私は叫び出したくなった。
――神はマーガレットにばかり、どうして不幸を齎すのかと。
――世の不条理に振り回されてばかりのこの少女が、一体なにをしたのだと。
「フラン、入れ」
公爵の呼ぶ声がする。私はふらつく体をなんとか支えながら部屋へと戻った。
「今回の件を知っている者は?」
「……現場を見たのは私だけです。お嬢様がお怪我をしているのを見た者は、生徒数人と馬車の御者だけかと」
「そうか。……そやつらに口止めをしておかねばな」
エインワース公爵はそう言いながら、脂肪でだぶついた顎を撫でる。彼は今、この件を隠蔽し、子を望めなくなったマーガレットの代わりに、あの女をヒーニアス王子の婚約者にしようと必死で考えているのだろう。
「フラン。お前も、わかっているな」
睨めつけるように視線を投げながら、エインワース公爵は私に言う。
「もちろんです、エインワース公爵」
私は胸の内を悟られぬように、無表情を取り繕いながら答えた。
……私は彼女を手に入れる。
そしてもう二度と彼女が不幸になることがないように、私の人生をかけてマーガレットを守るのだ。
これ以上、マーガレットを不幸にしてなるものか。
だからマーガレット、死なないでくれ。
「……フラン。少し使いを頼まれてくれないか」
唐突にかけられたエインワース公爵の言葉に、私は内心眉を顰めた。
「わかりました、公爵」
彼の狙いはわかっているが。その誘いに乗ってやろうじゃないか。
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公爵からの『頼まれもの』である他愛ない品を小脇に抱え、私は街を歩いていた。何箇所か店を巡り、公爵家からかなり離れた薬局で販売されている熱冷ましの薬を買って引き返す頃には、周囲にはすっかり夜の帳が下りていた。
通りには不自然なくらいに人がいない。まるで誰かが仕組んだかのように。
「……いい加減に出てきてくれませんか」
私は夜闇に声をかけながら荷物を地面に落とし、懐に隠していた短剣を二本を抜き放つと、両手に携えた。
路地裏から、民家の屋根から。二十人ほどの男たちが現れ、私を取り囲む。そして一斉に剣を抜いた。
私の口を封じれば、あの女が王子の婚約者であるマーガレットを殺そうとしたことは王家に漏れない。エインワース公爵がこうすることは、当然予想できた。
……こんな人数で、私を殺そうとするとは。実に安く見積もられたものだ。
我がハドルストーン伯爵家は、忘れ去られた『勇者』の家系である。
その直系は騎士団総出で討伐をする竜と、単騎で渡り合えるほどの異能を持つ。
その力を買われ、私が未来の王妃の護衛の任に選ばれたことを……公爵は忘れてしまったのだろうか。
「今夜の私は機嫌が悪いので……命の保証はできませんよ」
私は宣言すると、正面にいる十人ほどに向かって駆けた。
斬りかかる暇すら与えず二人の首にナイフを突き刺し、さらに二人の剣と首を手刀で一度にへし折る。男たちはまるで止まっているような動きだ。これが、公爵家が差し向けた刺客とは。
拳で、蹴りで骨を折り。魔法で剣を生み出して一気に数人の胴を薙ぐ。飛ぶ血飛沫が触れる前に私は動き、次の獲物の命を素早く刈り取る。
交戦開始から一分も経った頃には、男たちは残り五人となっていた。
「ひっ!」
生き残りは怯えた声を上げながら、後ずさろうとする。私は……彼らにできるだけ優しげな笑みを浮かべてみせた。
「……今夜の私は、機嫌が悪いと言ったでしょう?」
私は臆病な性質で、争いというものがそもそも好きではない。
けれどマーガレットを救うための障害となるのならば。
――私の前に立つ者に、容赦はしない。
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「……フラン、戻ったのか」
私が邸に戻ると、エインワース公爵は一瞬驚いたような顔をした。しかしそれをすぐに隠してしまうのだから……実に立派な狸っぷりである。
「ええ、妙なネズミに襲われましたが。二分ほどで駆除をしました」
微笑んで、エインワース公爵に荷物を渡す。荷物を受け取る彼の手は、怯えを隠せず小刻みに震えていた。
「……ハドルストーンの直系を殺したいのなら、千人の騎士でも連れて来てくださらないと」
公爵の耳にそっと囁いて、私はマーガレットの部屋へと向かう。千であろうと、万であろうと。それに負けてやる気はない。
マーガレットの部屋に入り、寝台へと歩みを進める。彼女は苦しそうに吐息を漏らしながら眠っていた。
「マーガレット、目を覚ましてください」
呼びかけながら、そっと柔らかな手を握る。彼女が今、生きている。それだけで私は泣きそうになる。
「……貴女を、愛しています。お願いだから死なないでください……。マーガレットのいない人生なんて、私には耐えられない……」
頬を、いつの間にか涙が伝っていた。
必ず、貴女を守り、幸せにする。だから。
目を開けて、また笑顔を……
フランさんは、覚悟を決めたようです。