従者は令嬢と触れ合う4(フラン視点)
お嬢様が小さく息を吐く。近頃、彼女はなにかを悩んでいるようで。その内容を知りたくとも、従僕の身としては訊いてよいものなのかと悩んでしまう。
けれど彼女の悩みに触れず、また彼女の心が傷つけられるのを指を咥えて見ているのは……もう嫌だ。
……勇気を出して、訊いてみるか。
私はお嬢様にちらりと目をやった。彼女は長椅子に腰を掛け、ぼんやりとどこかを見ている。そんな彼女に紅茶を用意し、いざ訊いてみようと口を開いた時。
「私は、なにを生き甲斐にすればいいのかしらね」
紅茶に口を付けながらお嬢様が先に口を開いた。
……生き甲斐。それは難しい問題だ。お嬢様はそれで悩んでおられたのだろうか。
「立派な国母になることを生き甲斐にしたらいいのかもしれないけれど……」
「けれど?」
私が首を傾げると、お嬢様はこちらに視線を向け切なげな表情で微笑んだ。彼女が目を伏せると長い睫毛が震え、白い頬に影を落とす。紅い髪は窓からの日に輝き、煌めきながら彼女の肩をさらりと流れていった。
――神聖なものを見ている。その美しさは私にそんな気持ちを起こさせた。
「ヒーニアス王子がパートナーだと思うと、なかなか気分が乗らないわね。いっそレインが王太子妃の仕事もしてくれればいいのに。そして私は婚姻後すぐに蟄居して薔薇でも育てながら生活したいわ」
「……お嬢様」
学園を卒業してすぐにお嬢様の王太子妃としての人生は始まる。彼女のこれからの人生の大半を占めるであろう、ヒーニアス王子のお側で笑顔を浮かべる生活は、お嬢様にとっては苦痛でしかないのだろう。
しかし……。
蟄居して薔薇を育てる、なんて生き方。十代の女性が口にするには寂しすぎる。お嬢さまの言葉に私はどう反応をしていいのかわからない。
彼女がもっと……幸せになれる道はないのだろうか。
……この方を、愛している。誰よりも幸せになって欲しいのだ。
「ねぇ、フラン」
「なんです? お嬢様」
お嬢様が切なげな声で私の名を呼ぶ。そして返事をした私の顔をじっと見つめた。
紅玉の瞳が潤みながら、なにかを訴えようとしている。スカートの布地を落ち着きなくいじるその白い指先は、小刻みに震えていた。
お嬢様はその薄桃色の唇を開く。そして……。
「……卒業までの残りの間だけ。この部屋の中でだけでいいから。私を貴方の恋人にして? 私に、卒業してから先の人生を前を向いて生きる支えをちょうだい」
彼女は驚くべきことを言った。
恋人……? お嬢様は冗談を、おっしゃっているのだろうか。
「貴方だけが私の光なの。……お願い、フラン。それ以上の迷惑はかけないわ」
「……私は、従者です」
「そうね、フラン。でも貴方が好きなの。私に思い出をちょうだい」
――貴方が、好きなの。
その言葉は私の心を激しい熱で灼く。
お嬢様が、私を……本当に?
先日いただいたお言葉は、あくまで『人間として』というような。そんな意味かと思っていたが。まさか、思慕の方の意味だったのか?
……お嬢様と想いが通じているなんて。
じわり、と胸の奥に湧くそんな喜びを私は必死に押し殺す。
例え仮初めのものだとしても、私はお嬢様の恋人にはふさわしくない。冴えない容姿、冴えない家格。中身も非常に凡庸だ。
そもそも私は彼女の従僕なのだ。従僕には過ぎたことだ、分をわきまえよ、フラン・ハドルストーン。
「私は、貴女にふさわしく……」
「貴方にふさわしくないのは、私の方よ。お願い、好意を持った人間に愛されたという記憶が……欲しいのよ」
お嬢様が泣きそうな顔で私を見つめた。『見捨てないで』そんな言葉が聞こえてきそうなお嬢様の様子に、私はどうしていいのかわからなくなる。
……お嬢様は今までの人生で、愛を求めても満足に得られなかった。ここで私が首を横に振れば、また彼女の記憶に『得られなかった』思い出が重なってしまう。そんな悲しい思いを、私はもうお嬢様にさせたくない。
……彼女の悲しい顔を見るのは……もう嫌だ。
「……マーガレット」
私は震える声で、その尊い名を口にする。すると彼女の瞳が大きく開き、その白い頬が赤く染まった。
「フラン。抱きしめて」
震える白い手を差し伸べられ、乞うような声音で囁かれる。私は引き寄せられるように彼女に近づき、そっとその体を抱きしめた。柔らかく嫋やかで、折れそうに繊細な感触。それが私の腕の中に満ちた。
「フラン、好きよ」
お嬢様が私に囁く。
……私もです、お嬢様。私も貴女をお慕いしています。
そんな思いを込めて彼女の体を少しきつめに抱きしめると、幸せそうに白い頬を胸にすり寄せられる。ふと、お嬢様と視線が絡む。すると……。
『マーガレット』は、とても幸せそうに……笑った。
愛おしい、今すぐにでも攫ってしまいたい。……けれどそんなことは許されないのだ。彼女は未来の王妃で、私は従僕。そして国に仕える騎士なのだから。
「愛してるわ」
彼女の言葉に、心が強い力で押し潰されているかのように軋む。
マーガレットが欲しい。私の心はそう、喚くように訴える。
「……マーガレット。貴女は私のものだ」
心に押し出されるかのように……私は彼女にそう囁いていた。
フランは真面目であったり、しがらみがあったり、家族仲が良好な上に長男であったりと、
「よーし、両思いだ!攫うか!」というわけにはいかないのです。