従者は令嬢と触れ合う1(フラン視点)
私。フラン・ハドルストーンは十二の頃から王命で、エインワース公爵家のマーガレットお嬢様にお仕えしている。私の任務は未来の王妃である彼女を、騎士の身分を隠し従僕として仕えながら護衛すること。
――それと、彼女の素行の監視と報告だ。
エインワース公爵家には監視と報告の件は内密である。そして……彼女が未来の王妃にふさわしくないと判断すれば、その命を守らなくてもいいとも命令されている。
王家と公爵家の盟約による婚約は生半可のことでは破棄できないし、エインワース公爵家がさせはしないだろう。瑕疵があった場合は、彼女の命を奪った方が角も立たず次へと進めるという王家の判断なのだ。
なんとも、酷な。……そして気が重い任務だ。
お嬢様はよくも悪くも『普通』のご令嬢だ。性格は……少し捻くれてしまっているが。それは彼女を取り巻く環境のせいという部分が大きく、正直私は彼女に同情している。
マーガレットお嬢様は出会った頃は、捻くれることもなく、少し引っ込み思案なだけの普通のご令嬢だった。
気弱で少々頼りないかもしれないが、頭は悪くなく、立ち居振る舞いは公爵家のご令嬢らしくご立派だ。他のご令嬢よりも肉づきがよく容姿が劣ると本人は気にしていらっしゃるが、女性らしいという言葉で片付く範囲で、十分愛らしいと私は思う。
肌は白く、髪は赤々として美しい。紅玉の瞳は長い睫毛に縁取られ、自信なさげにいつも伏せられている。それは見ていてある種の庇護欲をかき立てられた。
……磨けばもっと光るはずなのだが。こればかりはご本人次第だな。
お嬢様は十分及第点でこれといった瑕疵もない。この少女の命を見捨てなくてよさそうだと、私はほっとしたものである。
――しかし彼女の生活は、義妹の登場で一変してしまう。
レイン・エインワース様。
平民出身の彼女はこの世でただ一人の光魔法の使い手ということで、神輿に担がれエインワース公爵家へ養女としてやってきた。
腰まである水色の美しい髪、澄んだ青の瞳。白く透明感のある肌。儚げで、一目見たら守ってやりたくなる可憐さを湛えた、誰もが目を奪われるその美貌。それに周囲は夢中になり……その中にはお嬢様のご両親もいた。
お嬢様は、幼い頃より厳しく育てられていた。普通のご令嬢としては及第点の彼女だが、王妃という言葉が重なると足りないところが多くあるのだろう。公爵はそれが不満で、彼女にさらに厳しくした。
娘らしく甘えてごまかす、という手段もあったはずだ。けれどお嬢様は不器用な性格で、真正面から課題に取り組んでは挫折をし、気持ちの逃げ場をなくしていく。お嬢様は次第にふさぎ込むようになった。
……レイン様が来る前から、親子関係は危うい均衡だったのだと思う。しかしギリギリのところで均衡は保たれていた。
それをレイン様が、あっさりと壊してしまった。
彼女は……無邪気、と言ってしまえばそうなのだろう。
与えられる愛情を当然のものとして受け入れ、それを無垢な表情で喜ぶ。つらく悲しいと思えば素直に泣いて、甘えてすがる。その愛らしい様子にお嬢様のご両親や周囲はどんどんのめり込み……。お嬢様のことなんて、欠片も考えなくなった。
僅かにあったお嬢様への愛情や関心。それを奪ったことにすら気づかずに、レイン様は無邪気に笑う。無垢、というのも時には残酷だと私は思ったものだ。
お嬢様はレイン様が来てから癇癪を起すようになった。
その癇癪に付き合わされることが、側仕えの私は一番多くはあったが。元が気弱な性格のお嬢様の癇癪なんて、そんなに大したことはない。そこらにある家具のようにじっとしてやり過ごすだけだ。
お嬢様の癇癪に過剰な反応を示したのは公爵だ。義妹につらく当たるお嬢様を彼は酷く叱りつけた。そしてお嬢様は、また歪みを抱えていく。
そして季節は移り変わり。お嬢様は十五歳で王立学園へと入学した。
そこでお嬢様にとっての悲劇が、また起きる。
お嬢様の婚約者であるヒーニアス王子が……レイン様に惹かれてしまったのだ。
王子は柔和なその見た目に似合わず合理的で冷淡な人物である。だからそうそう不合理なことをする方ではない。本来ならばエインワース公爵家との盟約を軽んじ、恋にうつつを抜かす人物ではないのだ。しかしその方をも惹きつけてしまうくらいに……レイン様はお美しかった。
しばらくすると、ヒーニアス王子とレイン様の仲は公然のものとなり、お嬢様の表情は日々暗いものとなっていく。
そしてお嬢様は悪いお友達と徒党を組み、レイン様に嫌がらせをするようになった。それは卑劣な行為だが……幼い頃より彼女を見ていた私は周囲の非も知っており、実に複雑な心境である。
その行為にヒーニアス王子が目くじらを立て始めたのが、私にとっては面倒だった。彼女を見捨てろ、と暗に言われても。それをするほどの瑕疵が現状彼女にあるとは思えない。
……むしろ妹君と堂々と浮気をする王子の方に非があると思うのだが。
お嬢様が二年生になり。このやるせない任務も残り二年を切った。
一人の少女の人生が周囲によって傷つけられるのを傍観するのは、楽しいことではない。
しかしそれが、私の任務だ。
お嬢様がどんな行く末になろうと私はそれを見守るだけ……その日まで、そう思っていた。
その日。お嬢様は窓辺に立ち、なにかを見つめていた。
その肩が小さく震えているのが気になって、私はお嬢様が見ているものに目を向ける。そこには、ヒーニアス王子とレイン様が親しげに肩を寄せ合い、笑い合う姿があった。
「……う……」
お嬢様から嗚咽が漏れる。ああ、この少女はまた。無遠慮に人に傷つけられているのだ。
「お嬢様、お加減が悪いのですか?」
私は従僕の分を忘れ、つい声をかけてしまった。……彼女の背中が、あまりにも悲しそうだったから。
「フラン、水をちょうだい。少し吐き気がしただけよ」
彼女は誇り高き表情と、高慢な口調で私に言う。けれどその紅い瞳は涙でしっとりと濡れていた。水を渡すとお嬢様はぬるいと言って軽い癇癪を起し、それを床へと落としてしまう。やれやれ、と思いながら床に零れた水を拭いていると。また嗚咽が耳に入った。
「お嬢様、泣いて……」
私が声をかけると、お嬢様は両目から涙を零しながら不快そうな顔を作ろうとする。しかしその表情はくしゃりと子供のように歪んだ。
「……誰も、愛してくれないの」
悲痛な声が、愛らしい唇から零れた。
「お父様も、お母様も。ヒーニアス王子も。誰も愛してくれないの、心も体も醜い私のことなんて。僅かにあったものさえも、皆あの女が奪っていくの……」
お嬢様の魂からの叫び。それを聞いて私の心は凍りつく。
「……誰か、私を愛して……!」
将来の王妃、エインワース公爵家のご令嬢。
そんなものではなく、すべてを奪われ、悲しむ、無力な少女がそこにいた。
――どうして、お嬢様ばかり苦しまなければならないのだろう。
少しだけでも……この少女の心を軽くする手助けが、できないだろうか。
そんな従僕らしからぬことを考えてしまったのは。お嬢様の瞳が私に助けを求めているように見えたからに、違いない。
この日のことがきっかけで……私とお嬢様は、交流を重ねるようになった。
フラン視点開始です。
フランさんから見たもだもだをどんどん開示していきます。
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