公爵家令嬢は従者に救われる2
フランが、私を……娶る。
その言葉を聞いて私は何度か首を傾げた。理解が、なかなか追いつかないのだ。フランは嬉しそうな顔で、私の言葉を待っている。けれど……。
「待って、フラン。同情で……そこまでしてもらうわけには」
一時の関係である箱庭での仮初めの恋とはわけが違う。婚姻は一生のことだ。フランの優しさに甘えて、フランの長い人生を縛るわけにはいかない。
私の言葉にフランは細い目をもっと細くして苦い顔をする。
「……同情なんかじゃありません、マーガレット」
「フラン……?」
「貴女を愛しているから、婚姻したいんです」
フランの言葉を聞いて時が止まった。私は数分、固まっていたようで。気がつくとフランは、眉を下げてとても不安げな表情になっていた。
フランが私を、愛している? 本当に? どうしよう顔が……熱い。フランの胸に頬を寄せると恐る恐るという様子で抱きしめられて、背中を優しく撫でられた。
「……私との婚姻は嫌ですか?」
「嬉しいわ。フランのことを、愛しているもの。でも……」
「でも?」
「私、フランの子供が……産めない」
そう。私は怪我が原因で、子供が産めなくなってしまった。フランのハドルストーン家は、本家にはフランしか子供がいないと聞いている。跡取りを産める妻を娶るべきだわ。
「できないのであれば、養子を迎えましょう」
そう言ってフランは私の額に口づけた。……いいのかしら、本当に。フランはそれで困らないの?
「あの、私は愛人がいてもいいのよ?……血を残すことは大事だわ」
「私は好きでもない女と子を作れるほど器用な男じゃないんですよ、マーガレット。血の繋がりがなくても家族にはなれます」
「フラン……でも。私の体の大きな傷は時々酷く痛むから。社交も碌にこなせないかもしれないの」
長年高位貴族として生きてきた私の固定観念はなかなか覆らない。
貴族の女の婚姻。その役目は家同士の橋渡しと血統を残すこと、そして対外的なところで夫を支えることだ。
……私は満足にフランの妻をやることができない。フランにふさわしくないの。
瞳を揺らす私の頬を、フランは優しく撫でた。
「貴女は長年、たくさんのものに縛られて生きてきました。そろそろ……ご自身の幸せだけを考えてもいいんじゃないですか?」
「私の、幸せ……」
「幸せにします、マーガレット。お願いなので一緒に幸せになってください」
フランが微笑んで、唇を合わせてくる。その久しぶりの感触に私はうっとりと目を閉じた。
いいのかしら幸せになっても。
エインワース公爵家の娘として。貴族の女として。それだけのために生きること。……それを、もう考えなくてもいいのかしら。
「私は幸せに、なってもいいの?」
「いいんです」
「……もう、誰にも奪われない?」
「私が全身全霊をもって貴女をお守りします。誰にも貴女の幸せを奪わせません。私が奪うようなことも、当然いたしません」
彼の綺麗な手が伸びて、そっと髪を撫でる。そして愛おしそうに青の瞳で見つめられた。
「結婚してください、マーガレット・エインワース」
薄い綺麗な唇から紡がれるその言葉。私はそれに、こくりと頷いた。
「私とで、いいのなら。その……一緒に幸せになって? フラン・ハドルストーン」
そう答えて私はそっと。フランの唇に唇を重ねた。
何度も唇を合わせ、抱きしめられて。嬉しくて涙が込み上げ嗚咽を漏らすと、彼が優しく頭を撫でてくれる。
こんな時間が続くの? 本当に?……誰にも、誰にも奪われない?
「……本当はもっと早く迎えに来たかった。いろいろと準備に時間がかかってしまって……。本当に申し訳ないです」
フランは悲しそうに言うと、私の痩せてしまった肩をそっと撫でた。
「貴女がこんなになるまで、苦しんでいたのに」
「いいの。フランが来てくれたから……もう平気」
フランの胸にそっと寄り添う。大好きな人の、体温、感触、香り。
……これが一生側にあるなんてまだ信じられない気分だけれど。
少しずつ、幸せになることに……慣れていこう。そしてそれを失わないように。フランの隣にずっといられるように。懸命に日々を生きるのだ。
+++
それからの日々は目まぐるしくて。
私はエインワース公爵家の屋敷からすぐに連れ出されて、王都の外れにある屋敷に移された。とある貴族のタウンハウスをわざわざフランが借りてくれたらしい。
「あの屋敷には一秒たりとも貴女を置きたくなかったので。しばらくここで療養をし、傷や体が癒えてからハドルストーン家に向かいましょう」
フランは眉を顰めてそう言った。たしかにいい思い出も、愛情も。あそこにはないものね。
フランに連れ出される私を、お父様は見送りもしなかった。お父様にとって、愛し子と比べ愛らしくもなく、子も産めず、王子に婚約破棄をされ経歴も泥にまみれた私は汚点でしかないのだろう。
私付きのメイドも新しい屋敷に一緒に来た。フランが私に気を遣い、気心が知れた彼女を雇い入れたらしいのだ。
「ごめんなさい、いろいろと迷惑をかけて」
謝るとメイドは目を丸くして首を横に振りながら泣いてしまった。私のために泣いてばかりの彼女は、いい人だ。
この屋敷に移ってからの日々は驚くほどに穏やかに過ぎていく。
私のお腹や背中の傷を目にするたびにフランは悲しそうな顔をする。私を守れなかったことを、彼は悔いているようだった。でもこの傷のお陰でフランと婚姻できたのだから。なにがよい方向に転じるのかなんて、わからないものね。
「……レインは、どうしているのかしら」
フランが優しい手つきで私の傷に触れる。そんな彼を見ている時、ふと言葉が口から漏れた。刺されたあの日以来、レインには会っていない。
「あの女は……」
「未来の王妃をあの女だなんて、いけないわ」
「いいんです、あの女で」
フランは憎々しげに、吐き捨てるように言った。
フランがレインの従者になってからの数カ月は実によそよそしく過ぎて行ったそうだ。
罪を知っている男が自分の従者になると知った時のレインは、どのような心境だったのだろう。
「……ヒーニアス王子との関係は上手くいっていないようですね。あの女は捨てられまいと、王子の前で様々な失態を犯していたようですし」
「まぁ」
……王子と結ばれて幸せに暮らしました、というようには。あちらはいっていないらしい。
「それと、その。……王子との子が」
フランは言いづらそうに言葉を濁す。まさか……。
「ダメ、だったの?」
「……はい。それで。次の子は難しいかもしれないと」
なんてことなの、姉妹して。なんだか乾いた笑いが漏れてしまう。
けれどレインが……王子の婚約者から外れた、という噂は聞かない。
「……そのこと、誰がご存じなの?」
「貴女のお父上と公爵家の侍医だけです。居合わせた私も口止めをされました」
お父様は、義妹に生じた瑕疵には見ないふりで輿入れさせる気なのだ。
私が輿入れできず、続けてレインが輿入れできなければ。王家との婚姻の話は当然他家へと回ってしまう。王家への裏切りを働いてでも、お父様はそれを押し通したいのだ。
――なんて、浅ましい。
「まぁ、この件があったからこそ。私は貴女をすんなりと娶ることができたのですが」
フランは悪戯っぽく笑う。青の瞳がランプの灯りに照らされて美しく煌めいた。
「口止めと引き換えに。……私を?」
「正解です、マーガレット。私は王家側から遣わされた人間で、貴女が刺された事件の目撃者だ。そしてあの女の不妊を知る人物。他にも長い公爵家勤めで、公爵に不都合な事実を知っております。……公爵にとって私は、爆弾です」
――マーガレットを差し出してでも、口止めをしたいでしょうね。
そう言ってフランは私の頬を優しく撫でた。
「子が望めないとしても貴女には余りある価値がある。貴女と婚姻することでエインワース公爵家との繋がりを持てるのですから、本来ならばハドルストーン家のような辺境の伯爵家に嫁がせるような方ではないのです。あの女の件がなくても貴女を手に入れるつもりでしたが。利用できるものがあったので、利用させていただきました」
「……悪い人」
「ふだんは人に恥じない生き方をしております。……悪い人になるのは、貴女のことでだけです」
そっと口づけられ、手を握られる。
……フランが真っ当な人間であることは、私が一番よく知っている。この人は私と婚姻するために……慣れないことをたくさんしたのだろう。
私たちは薄暗い部屋の中で、見つめ合い、共犯者のように微笑み合った。
マーガレットさん視点は残り1話になります。
それが終わりましたらフラン視点でのお話になります。