二話 家出娘と勘当息子です
城壁の出入り口は東西南北と四つあるらしい。ちなみに小さな村、農村と呼ばれる場所ではせいぜい堀がある程度でこんな立派な城壁はないそうだ。
城壁が立派であることは国力の象徴でもあるそうだ。
まあ。理論はわかる。
平和な日本で育ったアカネであって理屈ぐらいは理解できた。
門には見張りの兵士がおり通る人たちの検査をしている。
入国審査みたいなものなのだろう。身元を保証するらしい紙などを見せたりしている。
「あ、あの……わたし、身元を保証できる品なんてないんです」
アカネの番になった時、そういえば門番らしい男性は胡散臭そうな顔でアカネを見た。ちなみにホムラはスルーされている。
「彼女はかなりの田舎から来たみたいなんです。
かなりの事情があって家を追い出されたようでして……」
「君は?」
ヨハンの言葉に門番は疑うようなまなざしを向けると、
「こういうものです」
そういって差し出した身分証明書なのだろう。手の平に収まるほどの定期券ほどの大きさをしたものを見せる。その瞬間に門番が顔色を変える。
「し、失礼しました」
「彼女の身元は俺が保証します。
身分証明書も町で作る。それならばよいだろう」
「まあ。良いですがない場合の通行税はやや多めにもらいますからね」
規則ですから……。そういえばわかっているとヨハンは銀貨を五枚渡す。
「すみません」
無一文であるアカネは謝罪すれば食事代だと思えば安いとヨハンは笑う。
「ちなみに本来の通行税は銀貨一枚と銅貨五枚。証明書がない場合は銀貨三枚と銅貨五枚だ。積み荷があったりしたら変化するけれどね」
そうヨハンは説明する。
ちなみにこの世界では銅貨十枚で銀貨一枚。銀貨百枚で金貨一枚となる。その後、ホムラが教えてくれたがこの世界では銅貨一枚がだいたい十円。つまり、銀貨一枚は百円。金貨一枚で一万円となるわけだ。
通行料が身分証を造れば百五十円だが身分証がなければ三百五十円になる。そう考えたアカネはやはり申し訳なく感じる。
歩く中で見た商店や露店。そこの代物をみると物価は日本よりもかなり安めという印象だ。もちろんそれは庶民というか一般市民が購入する品だからだろうが……。
そう思いながら訊ねる。
「身分証ってどこでどうやって作るんですか?」
「まあ。作るのはいろいろとあるな。貴族ならば貴族ということで生まれたときから作られる。それと冒険者は冒険者ギルドで身分証を作る。俺のような商人なら商人ギルドだ。
農村とかの農民ならば基本的にいらないからね。だから田舎出身の者が持っていないのは珍しくないんだよ。王都に出稼ぎにきたと思われたんじゃないかな?」
「ああ」
納得をする。
「まあ。作るのにお金もかかるし定期的に更新するのにもお金がかかる。
めったに町の外に出ないならば不要だからね」
そうヨハンは言いながらやがて立派な建物が多い住宅地へと入っていく。
高級住宅街という印象だがもっと正確にいうならば貴族街というやつなのだろう。
「ここらへんは貴族街だ。私の実家はここにある。
質の悪い貴族もいるしあまり一般の人間は近づかない。下手にプライドの高い貴族に喧嘩を売られたら厄介だからな」
「なるほど」
どこの世界でもそういう金持ちはいるんだな。そうアカネはぼんやりと思う。
実際に自分の両親と弟というのは金持ちで名家の出身。由緒正しい家柄ということを鼻にかけており少しでも不快なことがあると学校や商店などに文句を言う。
大物ということもあり実家周辺ならばどんな理不尽でも許された。アカネの弟の頭はお世辞にも良いものではなかった。知能指数テストで判断されたときにうちの子が平均並みなんてありえない。そう叫び無理やり知能指数を上げさせたことがあるほどだ。何の意味があったのかアカネにはわからない。さらに弟は勉強は努力を嫌っており宿題は他人にさせて自分はしない。それを学校に認めさせたりしたのである。
しょうがないので宿題を代わりにしたのはアカネだった。幸いにもアカネは年上だったので弟の宿題を代わりにやることは技術的には可能だった。一応はアカネも姉として正しい行動である弟に自力でやるべきという正論をぶつけたがヒステリーを持った理屈の通じない逆ギレを受けてあきらめるはめになった。先生方も最終的には自分に渡していた始末だった。
ならあまりきょろきょろしない方が良いな。そう冷静に思いながらついてあるく。きょろきょろしてはいないがそれでも周囲を見て回る。
貴族街ではお嬢様やお坊ちゃまと呼ばれるご子息は身なりのよい新品の服を着ている。とはいえ、現代日本出身の(一応)良いところ出身のアカネから見たらそれは一般人のおしゃれ着レベルという印象である。異世界の貴族の着る服というイメージで思い浮かべるような遊園地やハロウィンなどで身に着けるようなドレスよりは気楽に着れそうだ。
「まあ。当たり前だけれどな」
アカネが考えていることが分かったらしいホムラが口を開く。
「子供は動き回るしなー」
ホムラも子供じゃない。そう思ったのだが口には出さない。とはいえ理屈はわかる。ドレスの中にはコルセットなどがあるというのは聞いたことがある。ただし体を締め付けるそれは動きづらいし重いと聞いた。十二単もコルセットはなかったがすごく重かっただろうということは歴史の授業で雑学として習ったほどだ。そう思っている中でやがて見えてきたのはほかの貴族のお屋敷に勝るとは言えないが劣るとも言えない。少なくともアカネの住んでいた家と比べてもおかしくないだろうそんなお屋敷があった。ただしアカネが住んでいた家と違い西洋屋敷だった。……ここで日本家屋が現れるほうがおかしいのでアカネはそのことに驚くことはなかった。
「しばらく待っていてください」
「あ、はい」
ヨハンの言葉に素直にうなずきアカネは出入口の近くで待つ。
門番だろう人に話しかけて家の中に入れてもらうヨハンを見送る中で、アカネは素直に待つ。見張りらしい門番がまだいるがアカネを胡散臭げな目でみていたがヨハンが連れてきていた。と、いうことから特に何も言わないでいる。
そこに、
「ねえ。お嬢ちゃん」
そんな声をかけられアカネはそちらを見る。
だが、誰もいない。
「下よ。下。足元を見て頂戴」
その言葉で足元を見ると、
「……えっと何? あなた」
「あたしは屋敷付き小人よ」
そういったのは確かに小人だった。
身長は私の膝ぐらいだろう。ボロボロの服を着ており顔立ちは幼げな少女という感じだ。その姿を見てホムラが顔をしかめる。
「ちっ! この家にはすでに妖魔がいるのかよ」
「そういうこと。似たような気配を感じて見に来たのよ。
この屋敷は私の縄張りよ。あなたの居場所はないわ」
どういうことだろう? そうアカネが疑問に思っていると、
「俺やこいつは人が住んでいる家に住み着く。
そこが縄張りになるんだよ。だから、縄張り争いになる。
犬が同じ場所に住む時に縄張りを争うようなもんだ」
自分で動物にたとえるのは良いのかな? そんなことを思ったが要するにホムラはこの屋敷に住めないということだ。その言葉を聞いてヨハンには悪いがここで働くのは断ろうか? そう考えてしまうアカネ。
アカネにとってホムラは大切な家族だ。
悪いことをしたら怒り良いことをしたらほめた。
勉強や料理もきちんと評価してくれた存在である。
まあ。どこか住む場所を別にしてもらうという方法もある。
そう思っていると、
「まあ。大丈夫よ。あのヨハンお坊ちゃん。
あなたを紹介するどころじゃなくなるから」
そうブラウニーは言い出す。
どういうことだろうか? そう思ったが口には出さない。おそらくブラウニーの姿は門番に見えていないだろうから……。そうアカネが判断していると、
「あら、あなたは賢いのね。てっきり声を上げると思ったわ。
正解よ。門番には見えないから返事をしていたらあなたは独り言を言う変な子よ」
「趣味の悪い」
ブラウニーの言葉にホムラは不機嫌そうにそう言う。
「アカネになんのようだよ?」
「単なる好奇心よ。
まあ。ちょっとからかったのは悪かったけれどね。
その代わりヨハンお坊ちゃんの事情を説明してあげる」
ホムラが質問をすればブラウニーは笑いながらそういうとアカネが止める間もなくその事情とやらを話し始めた。
なんでもヨハンの家は先祖代々、騎士の家系だそうだ。
けれどヨハンは生まれつきどういうわけだが体が弱く貧弱な体質。そのために肉体労働である騎士になることは不可能だった。
ヨハンは家族から迷惑がられて育ったそうだ。
その言葉を聞いてアカネは眉を顰める。
ヨハンは確かに貧弱といえる体質だろう。
現代日本で言えば代々、軍人を選出する……あるいはスポーツマンの家。その家で一人だけ文系な人間がいて浮いているといえるかもしれない。
けれど別にヨハンは長男じゃないのだろう。
長男ならば家を継ぐための問題があるだろうが次男以降ならば別の道を進んだところで問題はないはずだろう。
アカネはそう思う。
実際にヨハンも同じことを思ったらしい。
ヨハンは商人を目指したが実家としてはそれすら恥と考えた。
そのために家から勘当しようとした。
けれども対したい理由もなく消えから勘当するのは外聞が悪い。
「だから理由をつけて家から追い出そうとした。
そのために商人として失敗させようとしているのよ」
その言葉にアカネは思わず聞き返しそうになったがホムラに止められた。
「まさかヨハンの馬車が襲われたのは」
「そう。この家の人間が裏で手をまわしたのよ。
本当に人間は愚かよねー。
だからこの家を出ようと思っているのよね。
ヨハンお坊ちゃんについていってね。
けれどあなた達が一緒にいるんですもの。
困ったわ」
そういってブラウニーはアカネを……より正確に言うならばホムラを見る。
「けれどあなた達、とっても変わっているわね」
そういっている中で金切り声が聞こえた。
「早く出て行きなさい。
この家の恥さらし!」
ヒステリックな声を上げたのは一人の女性。
ふくよかといえば聞こえが良いが身もふたもない居方をすれば太っている。そういうしかないような女性。元々は美人だったのかもしれないがあいにくとアカネには今の彼女を美人に見えなかった。ヒステリー気味に叫ぶ姿は嫌悪感を抱くうえに一目でわかるほど濃い目のおしろいを塗りたくりこれでもかと口紅や頬紅などを塗った食った姿は美人というよりもピエロに近い印象を抱いた。
アカネはふと、この世界の化粧品の質が気になってしまう。
現代日本ならば化粧品は薬品を使っているが肌に直接塗るということもあり人体に害がないようにしている。けれども昔の化粧品はそうでもなかった。
特におしろい。肌を白く美しく見せるためにと水銀を使っていたという話は調べればわりとすぐに出てくる。
水銀は確かに肌が白く見えるだろう。ただしこれはわりと有名な話として人体に有害である。歴史でも肌を白く美人に見せようとしておしろいを塗り続けて死んでしまった女性というのはたくさんいるという。
アカネが読んだ本でも後宮などで女性が王などの寵愛を受けようとおしろいを塗る。その結果として寿命を縮めてしまうという話などがあった。
ただし目の前の女性が今にも死にそうにはまったく見えないのも事実だった。
そんな中でそのピエロ女性に怒鳴られているヨハンが苦虫をかみしめるように言う。
「……わかりましたよ。こんな家。こっちからもう関わろうとは思いませんよ」
「なら結構だ」
そう答えたのはピエロ女性ではなくそのそばにいる男性。
ひとことで言えば筋肉質な男である。さながらプロレスラーかボディービルダーのような体をしているといえばよいだろう。
ただしいささか品が悪いというか他者を見下している冷たいまなざし。
その影響でどちらかというと力業で乱暴をする乱暴者という印象を抱かせてしまう。二人とも一目で高級な服だとわかるものを身に着けているのだが……。
その印象からなんとなく軽蔑してしまうアカネであった。
それでも面に出さないが普通の人間にはその姿が見えないホムラとブラウニーは人目をまったく気にせずに軽蔑のまなざしを向けている。
「二度と、我が家の家名を名乗ることをゆるさん。
貴様の様な人間が我が家の出身などというでたらめが広まれば恥だからな」
冷たく言い放つ男にやはりヨハンは何かつらそうな顔をすると立ち去る。その姿をみて慌ててアカネもついていく。その後ろをホムラとブラウニーの少女はついてきた。
しばらく歩いて屋敷が見えなくなると、
「あの。ヨハンさん」
「あっ。すみません。アカネさん」
アカネが呼ぶことでヨハンはようやっとアカネの存在を思い出したようだった。
「すみません。実はちょっといろいろとありまして」
「ええ。まあ。何かあったことはわかります」
アカネは別に名探偵とかではないが何かあった。あの会話の流れでその程度のことぐらいは推測できる頭はあった。
「……実は情けない話ですが、あなたをあの家に雇ってもらうように頼むのは無理になりました。さらにいうならあそこに就職するのはやめておいた方が良い。
そう思ってしまいました」
「そうですか」
なんとなくそれにはわかる。
アカネはそう思いながら頷き、後に続く。
家でなにか事情があるのだろう。
そういうことはアカネだってわかった。
アカネも家では厄介者であり存在自体が恥じという印象すら抱かれているようだった。
だからこそ無理に聞こうとは思わない。
ついでに言うとブラウニーから事情も聴いた。
だからこそある程度、歩いて宿屋に来た時だった。
「それでどうしますか?」
「すみません。それでヨハンさん。
ちょっと話したいことがあるんです」
そういわれてヨハンは首を傾げつつも部屋へと案内した。
「まずすみません。ヨハンさん。
実はあの家でヨハンさんに何があったのかを知ってしまいました」
「え?」
アカネの言葉にヨハンは驚く。てっきり事情を聴かれると思っていたのだがまさか事情を知っている。そういわれるというのは予想外だったのだ。
「彼から聞いたんです」
そういって指さした先にはブラウニー。そいつが姿を現した。
「こ、こいつは?」
「ブラウニーよ。あんたの元実家に住んでいたの。
まあ。いい加減に見限ったけれどね」
驚くヨハンにブラウニーが言う。
「そうですか。それで事情を……。
はい。恥ずかしい話ですが私はあの家の出身とは思えないほどに体が弱いんです。
母なんて昔は浮気を下のではないのか? そう疑われたそうです。
真偽を見抜く宝玉を使って身の潔白を証明したそうですけれど……。だから、母にしてみたらやってもいない不貞を疑われる原因ともなった子供。
そういうこともあって余計に憎いんでしょうね」
それに関して子供に不満を抱く母親というのも理屈はわからなくはない。そうアカネは思った。不貞……浮気を疑われるというのは少なくともしていないならば妻や母としては最も不名誉な話だ。とはいえ、腹を痛めて産んだ子供を憎むというのは理解しきれないものもいるだろう。ただしアカネとしては母に恵まれていない現状としてそれを納得できるものがあった。
「まあ。気にしないでください。
もともと、すぐに雇われる場所が見つかるなんて思ってなかったんです。
むしろそんなところ、こっちから願い下げです」
せっかくあの家から自由になったのだ。あのような家とよく似た印象を与える場所とは関わりたくない。それがアカネの結論だった。