第十七話 団体のお客もやってくる イノシシ鍋 前編
「イノシシ肉ですか?」
「ああ。イノシシが大量発生したんだ。
厳密に言えば、魔力で魔獣化一歩手前の状態だったんだが」
大量のイノシシの山を渡されてアカネは驚く。
「魔獣化一歩手前って」
「魔獣になると食べられなくなる。
それどころか、雑食だろうが装飾だろうが関係なく人間を襲う。
生態系が狂うからその手前で討伐されるのは普通なんだ。
今は普通に食べられるんだけれど……。
大量に出てきてこうして値崩れ状態なんだ」
「へー。そうなんですね」
元いた日本ではイノシシ肉は珍味に近い扱いだった。
まあ。開発に影響が出てイノシシの生息地が減ったこと。
そして、豚肉など畜産業の発展だろう。
わざわざイノシシなんて手に入れなくても安定した配給の肉のほうが美味しい上に安い。そういった事情もあるのだろう。
まあ、こだわった料理などで好む人間もいるが……。
あと、安全面だろう。
「それでなんだが……。
イノシシ肉の良い調理法を知らないか?」
「えっと……逆に聞きますけれども、どんな料理が一般的なんですか?」
まずこれだ。
イノシシ肉というかジビエ料理。
それは、世界各国でいろいろとある。
そもそもとして、狩りをして肉を取っていたのは歴史としては基本。
料理の始めはジビエ料理とも言える。
とはいえ、畜産が進むにつれて食べるための肉をより美味しく、より食べやすい。
そういった肉を求めるのは当然だろう。
それはこの世界でも変わらないだろう。
そう思って問いかければ、
「料理って……まあ。普通かな?
焼いたり茹でたり、煮たりする感じで……。
実際に食べてみるか?
一緒に飲食店に行くのも良いだろ?」
その言葉にアカネは少し考えた後、頷いた。
とはいえ、案内された店は一般的な店だった。
「すみません。おごって貰って」
「気にするな。
出てくるのは家庭料理。一人暮らしの男や旅の連中が来る程度の店だ。
それに食べるのも猪肉。
今はかなり安値で売っているぐらいだからな」
ほぼ捨て値で売られている猪肉。
半ば、無料で押しつけられていると言うのに近い肉だ。
そういったこともあり無料でスープが出てきたぐらいだ。
出てきたスープを食べてアカネは顔をしかめる。
不味いとまでは言わないが……。
「……猪肉らしい味がするスープですね」
「まあ。どこの家庭でもこんなもんだよ」
アカネの言葉にヨハンはそう苦笑交じりに答えた。
イノシシの肉。
野生の肉なのもあり、獣臭がすごい。
無論、ジビエ料理にはこの臭みを好むのもある。
だが、それはどれだけ料理をよく活かすかという調節が重要だ。
これはただただ癖が強い。
「調味料は……塩と……わずかなスパイスですかね?」
「王族貴族なら話は別だけれど……。
イノシシ肉なんて貴族はあまり食べたがらないからね。
野鳥とかそういうので狩猟会でもイノシシはどっちかというと平民が狙うもの。
そういった価値観が強いから」
「とりあえず……上手な下処理方法から伝えますね」
理想はなんと言ってもショウガと味噌。
味噌は自作しているのがあるが……。
これを世間に広めるのは大変そうだ。
だとしたらやはり酒だろうか?
だとしたらワインが無難かもしれない。
とはいえ、最初に必要なのは……。
「分かりました。とりあえず肉を用意してください。
とはいえ、出来れば新鮮なのが良いですけれど……」
「ああ。それは保存魔法で補完されているから」
魔法って便利だな。
そう改めて思うアカネ。
話を戻して改めてスープを……なんとか飲み込んだアカネはこれからを考えた。
そして、アカネはヨハンと共にエルダの元へと向かった。
そしてエルダとそして数名の料理人を前に教えることになっていた。
とはいうえ、その数名の料理人は見ず知らずの幼い少女が教えるということに、納得出来ないという顔をしていた。
「えっと……私の地元ではイノシシ肉を……常食はしていませんでしたが……。料理として伝統的に伝わっている料理です。
とはいえ、そのために必要な調味料はこの国にはないので……。
代わりに猪肉を使った美味しい料理を作るための準備方法をご紹介します」
アカネはそんな視線に緊張しつつ言っていた。
今まで誰かの前に立つ。
そういったことが無い裏方だった。
だが、それでも料理が好き。
その思いがアカネを突き動かしていた。
「まずは猪肉の下処理方法からご説明をします。まず、大切なのは血抜きですが……こちらはきちんとされていますね」
そこはきちんとされている。
「けれども、調理前にまた処理するのが大切です。
まずは水を入れたボウルにお酒を入れ塩を加えます。
そしてお肉をもみ洗いします。このときに大きさにこだわりがなければ出来ればそれなりに切っておいてくれるとやりやすいです。
そしてもみ洗いをしたら水を捨てます。
これを何回か繰り返します」
「何回もですか?」
「はい。生肉の場合なら5回から6回。冷凍肉の場合は2回から3回が目安ですが……。大まかな目安としてはお肉から赤い血がでなくなるのが理想ですね」
とはいえ、繰り返しすぎると今度はジビエ特有の味がなくなるので注意が必要だ。
「その後、臭みを取ります。
水と、お酒……ワインやビールを入れてつけ込みます。
こちらは一般家庭を前提としているのですが……予算に余裕があれば、香草や潰したニンニクや香りの強い野菜と一緒につけ込むのがお勧めです」
アカネの説明に料理人達が怪訝な顔をする。
「香草はわかるが……。
酒を?」
「料理にお酒を入れるとお肉が柔らかくなることが多いんです。
お酒は美味で高級なお酒である必要はありません。
さすがに酢になっていたら困りますが……。
安酒で味が悪いようなのでも構いません。
これに関しては味をつけることが目的ではないので……」
ヨーグルトでも可能なのだがこの世界ではチーズもそれなりの値段だ。酪農している地域ならともかくそうでなければ難しい。
だが、酒ならば味さえこだわらなければ家庭で麦を発酵させて作っている家庭もある。「そして理想は半日ほど寝かしたいんですが……。
もしも時間が無ければ1時間から2時間ほどは寝かしてください」
今回は説明なので1時間ほど放置しておく。
前日に下準備したのを持ち込むのも可能なのだが、
「目の前でやらないと疑う人間がいるかもしれない」
というヨハンさんの忠告でそうしたのだ。
「失礼ですが……そのような技法をどこに?」
「遠い異国です。私は故郷でそれなりの地位があったんですが……。
あいにくと異母兄弟やその母と仲が悪く……。
父にも冷遇されておりまして……。
こうして家を出て家名を名乗る事もできないんです」
嘘ではない。
とはいえ、こう説明をすればまず基本として詳しく聞こうとする人はいない。
そうヨハンさんからアドバイスを貰っていた。
まあ。実際に家は名家といえるし家名をそのまま名乗っていればトラブルになりかねないような家だった。異母兄弟というのは嘘だが……。
そこはまあ、誤魔化しになるというものだ。
「そこでいろいろと五日のために学んでいた結果……。
こうした料理技術を学ぶことになりました。
私の母国はここと違い平地ではなく山や森が多く。
猪なども頻繁に出ていますので……」
誰もが納得した様子なのでそのまま話を続ける。
「他の方法としてヨーグルトなどもありますが……。
こちらは特殊ですね。
あとは、いずれ商会が販売予定の味噌を使う手段もありますが……。
そちらは販売時に一緒にご紹介します。
後は……蜂蜜を使うという手段もありますが」
「蜂蜜?」
その言葉に料理人が驚いた顔をする。
「蜂蜜と言えばあの万能薬に近い?」
「スプーン一杯がいくらになると?」
「あ、あの……。
こちらは私も古い文献を見て知っただけですので……。
ただ、他にも林檎を使う方法もあります」
「林檎?」
「はい。こちらはビールと一緒に使うのもお勧めです。
家庭ではこちらが良いかもしれません。
こちらの方法は時間をかけて……理想が一晩ですので……。
せっかくですのでこちらもご紹介しますね。
こちらも猪肉を一口大に切ってから塩を振り、すりおろした林檎につけます。
ただ、長くやると危険です。
こちらはそうですね……長くても2時間ぐらいで……。
最短なら30分で十分です」
そうやって調理などを見ていていき、料理を完成させる。
どちらも煮込み料理だが……。
だからこそ、一度作れば大量に消費が可能だ。
それらを口にすれば料理人達が驚く。
「こんなに味が変わるのか?」
「信じられん」
「あの猪の特有の癖がない……。
いや。あることにはあるが……。
それがよりよいあんばいだ」
「別にジビエの特有の味は悪いわけじゃ無いんです。
ただそれをより美味しくする必要があるんですよ」
そうアカネは答えたのだった。
「本当に腕の良い料理人と腕の良い猟師が取った肉。
それらが組み合わせをすれば不味い癖がある料理はありません。
もちろん、幼い子どもや食べ慣れない人には苦痛でしょうが……。
好きな人にとってはそのジビエの特有の癖。
それがうま味になるんです」
日本でも安価で安定して手に入る豚肉もあるが……。
猪肉などのジビエに対しても人気があるのは事実だ。
「ただ血は臭みが強いんです。
だから、まずは血の臭みを抜くのが大切ですね。
……今回は大量摂取だったそうですが……。
もしも可能なら早めの血抜きやがお勧めですね。
血抜きは早ければ早いほど良いそうですから……。
まあ。こちらは猟師さんの違いですが……。
血抜きが早く出来ている新鮮な肉なら値段を高額で納品する。
逆に……その、血抜きがいい加減だったりしてなかったりする。
その場合は、血抜きができていないのは値段を安めに仕入れる。
そういったことをするのはどうでしょうか?」
「そちらは俺ら商人の考えだな。
だが、血抜きか……。
そっちはそっちで良いかも知れないな」
アカネのアイデアにそう言ったのはヨハンだ。
「まあ。私自身も料理は出来ますが……。
肉をさばくのは専門外なんですけれどね」
そう苦笑を浮かべるアカネ。
魚ならばさばくことは出来るのだが、肉はさすがに専門外である。
「いや。そこは気にするな。
大抵、肉を捌くのは肉屋の仕事だからな。
だが、調理方法のコツはわかったようで助かった」
そう言ったのは年かさの……おそらく年配の料理人だろう。
「それに、今までは何もしていなかったが……。
こうしてちょっと手間をかけるだけでここまで味が変わるとは……」
「えっと……。
私の故郷では料理は下ごしらえに時間をかけるんです。
出汁……えっと、スープストックかな?
こちらでも野菜や鶏ガラなどで煮込んで料理の味に深みを出すじゃないですか?
それをいろいろとしていると思ってください」
そうアカネは慌てたように説明する。
「スープストックに時間をかけるというが……。
どのくらいなんだ?」
「えっと……料理人が直接、手間をかける時間は短いですが……。
そのための下ごしらえというか準備に時間をかけるんです」
「そこからはこちらが説明します」
慌てるアカネに対してそう言ったのはヨハンだ。
すっと前に出て話し出す。
「アカネが使うスープストック。
それは、キノコや魚、海藻の類いを使っています。
ですが、煮込む時間そのものは短時間。長くて一晩ですし、アクをすくう手間はありません」
「なに?」
その言葉に驚く料理人達。
「ですが、その準備に時間がかかります。
最も簡単と言えるキノコですら、その準備に数日ほどかかります」
それは、アカネが教えた干し椎茸の作り方だ。
ちなみに、椎茸以外……マイタケやシメジもよくマッシュルームはこの世界の洋風料理主体ならばウケが良かったりした。
「簡単に言えば、天日干しをして乾燥させたしろものです。
このやり方でしたら重さもほぼなく日持ちもします。
そして、これをつけ込むことでうま味が溶け出て絶妙なスープストックになります。
そして、我が商会で販売をしています」
そちらは初耳だった。
とはいえ、考えてみればそう難しくないやり方だ。
「他にも昆布も同じように日干しをしています。
他にもスープストックを作る材料としてカツオブシというのを作っていますが……。
こちらは作るのに最短でも一カ月はかかるレシピなので……」
鰹節。
その言葉にアカネは驚く。
「ヨハンさん。鰹節なんて作っていたんですか?」
「ええ。ホムラさんから聞いたんです。
アカネさんの料理に必要だと聞きまして……」
現在、鰹節ばかりは自家製は無理と言うこともあり耐えている。
「材料の方は目処が立っているんで……。
ただ、さすがにすぐに用意は」
「それはそうでしょうね」
最短でも一カ月。しかも、素人が作り方のレシピだけならば試行錯誤する必要もあるのだからできあがるのはかなりかかるだろう。
その程度のことぐらいアカネにも理解できた。




