十話 迷い家と交渉
とりあえず屋敷に入る。
普通の迷い家は日本家屋なのだろうがここは違った。
西洋風のお屋敷でありさすがに庭はないが立派なものである。
扉を開けると玄関ホール。目の前に階段があり二列の階段。天井には立派なシャンデリアも飾られておりおとぎ話などに出てくる立派な西洋のお屋敷という印象だ。
ただし違和感もある。
その中の一つはなんと言っても肖像画がないことだろう。
アカネのちゃちな想像だがこういったお屋敷の玄関ホールにはこの家の家主。あるいは家の持ち主一家。それらの全員が絵が飾ってあるはずである。
そして屋敷全体を見る。
アカネがすんでいたのは歴史ある日本家屋だったが、それでも立派なお屋敷だった。だからこそわかる。
本来、無駄に広いお屋敷というのは手入れをしなければどんどんとほこりがたまる。
広いお屋敷を掃除するというのは大変ということだが……
それを全くしていない空気なのに掃除はきちんとされている。
「確かに前もって聞いていたとしても不気味に感じるわね」
そうアカネがつぶやく。
そんな中、
「それでどうやって交渉をするんだ?
交渉したくても相手と会話が出来なければ難しいぞ」
そうヨハンが言う。
その通りであるが、アカネもわからない。
そもそもどこに口があってどこに目が合ってどこに耳があるのかわからない。
そう思っていると、
「おーい。迷い家」
そうホムラが大声で叫んだ。
当然ながら周囲は沈黙が流れるがホムラは気にした様子はない。
「オレだよ。座敷童のホムラだ」
その言葉にどくんと動いた。
そして静かに声が響いた。
「ホムラか。
お前は契約によってあの家にいるのでは?」
「契約の条件はオレたちが見える人間が家にいる限りだ。
元々は大切にされていたのに今や頭のおかしいとされて冷遇。
ついには嫁に行かせようとしやがった。
それが幸せにさせるならまだしも不幸への身売りだ。
真面目に商売することもやめてやがった。
それならもうあそこの家にいる必要はない」
迷い家の言葉にホムラは言う。
「そしてその屋敷の娘はここにいるしな」
「なるほど……。
懐かしい気配はそれか」
そういう声とともにアカネは視線を感じた。
それは異様な視線であった。
屋敷全体がアカネを見ているのだろう。
たった一人だと思うのに全身を上からも下からも前からも後ろからも同時に見られている。そんな感覚なのだ。
ただ不快感はないのはそれに悪意がないからだろう。
そう思いながらもアカネは声をあげた。
「初めまして。アカネと申します。
名字は捨てました。
ただのアカネです」
そう前置きをして名乗る。
これはアカネにとっては純然たる事実だ。
あの家はもう捨てたのだ。
異世界であの家の名前を名乗ったところで意味はないだろう。
それでも決別を意味している。
もう何があっても戻るつもりはないのだ。
アカネとてバカではない。
婚約話がなくなった。
それも結婚するはずだった娘の逃亡だ。
相手の家にしてみたら面目を潰されたとしかいえない。
おそらくもらっているだろう結納金や結婚話として用意していたお金。それらを賠償金として返金するだろうしいろいろと不都合があるだろう。
それでもアカネはさほど悪いとは思っていない。
なぜなら、あの家は今までもかなりの人脈とそして資産がある。多少の打撃でもなんともないだろうとアカネは思っていた。
アカネがそう思っているということにはホムラも気づいていた。
だから言わない。
ホムラがいなくなった。
その時点であの家は没落する。
それもおそらく血族の大半はたぐいまれな不幸に襲われてだ。
(まあ。言ってやるつもりはないけれどな。
そもそも真面目に働かずに幸運便りになっていたのが間違いなんだ)
そうホムラは思う。
ホムラは幸運を招く。
そして不運をはねのける。
けれども幸運は当然ながら限りがあり不運も本来ならば訪れる。
ホムラが長い歴史の間、幸運をかき集めそして不運をしりぞけていた。もちろんそれでその幸運にあぐらをかかずに真面目に働けばその効果で不運は消えて幸運が増える。
そういったこともあるのだが、晩年がそれをなくしていた。
幸運にあぐらをかいていた結果、もはや座敷童がいなくなれば幸運は訪れない。代わりにたまりに貯まった不運が襲ってくる。
あの家は今、不運が襲ってきているだろう。
とはいえ、それを伝える気はホムラにない。
アカネはもうあの家から出て自由になっている。
ホムラがするのはその不運がアカネにまで襲わないようにすることだ。
アカネが勤勉に真面目に働く限りその不運をはねのけて浄化していく。
そして幸運を呼び寄せるのだ。
閑話休題。
そんなことをホムラが思っているとは知らない中で迷い家は答える。
「なるほど。だが、君はすでに幸運が来ている。
これ以上の幸運を望むのかい?」
「いえ。違います」
迷い家の言葉にアカネは言う。
「どうかここでお店をさせてください」
静かにアカネはそう口を開いた。
「店?」
「はい。この街以外でもいろんな街で料理を売るお店をするんです。
この世界では今、妖怪を邪悪と考えている可能性があります。
いずれあなたのことも噂になり退治をしようとするものが現れるかもしれません」
「それに関しては同感だ」
アカネの言葉にヨハンは同意する。
「宗教というのはたまに神敵。
つまり宗派の神の敵と判断する存在を言う。
それを処罰した場合、教会から恩恵を与えられる。報奨金といったお金だけではなく死後の罪の免除をするというものだったりな」
「元の世界でもありましたからねー」
最近になったらさすがにないが、元の世界でもあった。
仏様にちゃんと葬式を上げてもらえなければ地獄行き。そんな考えがあるとどうやってもお寺を無碍にはできない。
お経を聞いたりお布施を頼んだりお守りを買ったり……。
まあ。日本人は宗教ちゃんぽんなのでそこまでひどくはないが……。
「けれどもあなたはここで人を迎えてそして幸運を与えたい」
「私はそういう存在だからな」
アカネの言葉に迷い家はそう肯定する。
迷い家にとって人を迷い込ませて時に不運を与え、時に幸運を与える。
それが自分の存在意義である。
もはや本能に近い。
雌牛が牛乳を作る。羊が毛を生やす。
そういった性質なのだ。
それを我慢しろというのは人間で言うならばご飯を食べるな。寝るな。お手洗いに行くなと言っているようなものである。
「だから私が客を招きます。
あたしが招いた客。その中で貴方は時に迷い込ませて……。時に幸運を与えればよい。そうすればあなたへの視線は交わせる。
そして私は危険を察知でいる。
そして貴方を守ります」
「そうすることでお前は何を得る?」
「安住の場所……ですかね。
私のように妖怪が見える。
それもその宗教から見たら異端。
下手をしたら魔女狩りの対象になりかねません」
これも事実だ。
「住所不明のお店。
それならばどうにかなります。
どうでしょうか?」
その言葉に迷い家は悩む中で、
「すくなくともこいつらの人間性は保証するぜ」
そう言ったのはホムラだ。
「俺はそいつの人となりを見る。
それに俺はアカネを守る。
アカネの家ならばそこがどんな家でも守ることが出来る。
お前にとっても俺の守りは悪い話じゃないだろ」
そうホムラは言う。
事実、迷い家はあくまでも家である。
火をつけられたりした場合、大変なことになる。大して座敷童はその住む家をあらゆる災害から守る。自然災害や火事などがあっても家を守れるのだ。
迷い家はあくまでも迷い家。中から脱出させたり隠れたりすることは出来る。
とはいえ、それには限度がある。
何より迷い家は自力でうごくことができるというわけじゃない。
それを考えれば確かに座敷童の存在はとても安心できる。
迷い家はさらにアカネたちを見る。
二人とも元の世界でも珍しくそしてこの世界でも希少なほどの澄み切った魂をしている。悪意や邪念を知っている。
それでもまっすぐに前を進み理不尽や不愉快を受けても恨み辛みで行動しない。
ただ前を向いて自分が信じる幸せのために進むものだ。
迷い家はそういった人間は嫌いじゃなかった。
なので、
「よいだろう」
そう答えた。
「ただししばらくはお試しだ。
お前達が信用できない。
そう判断したら……そのときは出て行ってもらう。
お前達に与えた幸運もきっちりと返してもらう」
そう迷い家は宣言する。
「ええ。かまいません。
それに幸運は最小限でよいです。
私は自分の力でどこまで出来るのかを知りたいんです」
そうアカネは言えば、
「オレもだ。
まあ。確かに商売は運も必要だけれどな。
運だけでどうにか出来るようなものでもないからな」
そうヨハンも言う。
事実、商売というのは運も大切だ。
貯蓄をして店を構えて開店をしよう。
そう思っていたら外食を自粛するように言われてしまう。
そういった不運に襲われることだってあり得るのだ。
運良く外食産業の波に乗る。
あるいは運良くグルメブロガーなどに話題になる。
運良く流行の料理を売るようになる。
そういった幸運は商売に関してはどうやってもある。
運良く誰も知らないよい品を見つける。
運良く格安でよい品を手に入れることが出来る。
そういった上等な品を購入できたりとなるのだ。
けれども運だけでどうにかなるのならばそれはもうギャンブラーだ。知識と経験に確かな実力。それらが伴うことで初めて商売というのは本当の意味で成功するのだ。