第四十五話 テツの剣技
カシミルドはカンナの叫び声で目を覚ました。
目の前でシエルが寝袋に包まれて眠っている。
それを見て野営中だということを思い出した。
テツの寝袋は殻だ。今の見張りはテツさんか……。
するとカシミルドは背後に気配を感じて振り返った。
「うわぁっ。何でレーゼさんが!?」
カシミルドの後ろで、レーゼは寝袋から脱し、身なりを整えていた。
「そんなに驚かなくても……レーゼは教官であり男だからな、当然だ。外が騒がしいな……見てくる」
「あっそうだ。カンナの声がして……僕も行きます!」
テントの入口から外の様子を伺おうとしていたレーゼは、嫌そうな顔をしてカシミルドに振り向いた。
「何ですか……その顔……」
「いや。私一人で十分だ。カシミルドは待っていなさい……君こそ何だ……その顔は」
「だって、カンナも外にいるのに……」
「……獣とやり合ったことは?」
「野生のウサギとなら!」
「はぁ……話にならない……」
レーゼが呆れて首を振ると、カシミルドは悔しそうに拳を握り、急にハッとした表情で立ち上がった。
「シレーヌ!」
「はい。何でしょうか? ふわぁぁ~」
シレーヌは眠そうに欠伸をしながらカシミルドの目の前に現れた。レーゼはそれを見て感心したように声を上げ、手を顎に添えた。
「セイレーン種……水辺ではないが……カシミルド。自分の身は守れるか?」
「あら? 私にお任せくださいませ」
「大丈夫です。急ぎましょう」
「仕方ない。私から離れるなよ」
レーゼはテントの入口の幕をめくると、外気の生臭さに顔をしかめた。
森の方から獣の呻き声と威嚇するような唸り声とが混ざって聞こえた。その中心にテツがいた。
テツは剣を巧みに振り切り、獣とやり合っている。
形勢は、圧倒的にテツが優位だ。獣はちょっと怯えている。
しかし獣達は、背後から来るプレッシャーに押され、頑張ってテツに立ち向かっている様子だ。
「私はテツ様の助太刀に。カシミルドは……ん? カンナはどこだ?」
二人はテントから出ると、周囲を見回した。
シレーヌも二人の後に続く。
「あっカンナ! あんなところに……」
カシミルドはカンナをすぐに見つけ指差した。
崖の方へ向かって走っていくカンナを。
その後ろには三匹の獣が追いかけている。
「獣は三匹か……カシミルド、君はカンナを追って。私はここに残るが……」
「大丈夫です。行きますねっ」
カシミルドはレーゼの指示に食い気味で答えると、カンナの方へと駆けて行った。
まあ、三匹程度なら任せても平気だろう。
どうせ黒い小鳥君だってどこかで見ているのだから。
レーゼがテツに視線を戻すと、テツは剣を下に構え、腰を落として獣の群れに向かって一直線に走り出したところであった。
剣を下から切り上げ獣の腹を裂きながら上空へ大きく跳ね上がると、両手で剣を握り呟く。
「秘技。烈空連撃斬ーー」
テツは獣の群れに、体を縦に一回転させながら飛び込みその勢いのまま剣を振り下ろした。そして休む間もなく剣を振り上げ獣ごと宙を切る。
悲痛な呻き声と共に幾匹の獣は切り刻まれ、その鼓動を奪われた。
テツから繰り出された斬撃は、獣や空を切っただけでは収まらず、周囲の木々を裂き、レーゼのところまで疾風となって訪れる。レーゼはそれを光の防御壁で軽く弾いた。
シレーヌはレーゼの隣で、呆然とその様子を眺めていた。
そして震える唇から息を漏らす。
「ああ……烈空連撃斬……あれは、ジンの技。……レーゼさん。近づかない方がいいですわ。彼は……その方が戦いやすい筈ですから……」
「……? 確かに、その様に見受ける。しかし、セイレーンの君。カシミルドを放っておいては駄目ではないか」
「あ。……でも……」
シレーヌは一瞬だけカシミルドの方を向くが、どうしてもその場から離れられなかった。
森で戦う彼が、何者なのか知りたかったからだ。
テツの周りにいた獣達は、テツの連撃を前にたじろいだが、一際大きな体をしたリーダー格の獣の咆哮を受け、再びテツに向かって敵意を向けた。
リーダーの獣の瞳が赤く煌々と光を放つ。
テツはそれを見ても顔色一つ変えずに、剣を右手で持ち、それを真っ直ぐ、標的と決めたリーダーに向けると、左足を引いて、右手に左手を添えた。
そして重心を前へ移動させると同時に地面を蹴り、体勢を低くしたまま獣の群れの中心にいるリーダー格の獣に向かって走り込む。
シレーヌは慌ててレーゼに進言した。
「リーダーを潰す気ですわ! お願いです。彼が傷つかないように……えっと、どうにかして下さい!!」
急に慌て出したセイレーンに驚きつつ、何故自分で魔法を唱えないのかも疑問に思いつつ、しかし、確かに見ているだけの自分も不思議に感じて、レーゼは杖を構えて呪文を発した。
「では、援護魔法を……光の精霊よ。我が名はレーゼラ。光よ照らせ、彼の者を。悪しき獣を光で包み、厄を跳ね除けよ」
レーゼの持った杖から光が放たれると、テツを中心に光が集まった。その光はテツを避け、獣を照らし怯ませる。
テツは魔法の出所であるレーゼの方に目を向け微笑みかけた。そして、その隣に心配そうに自分を見つめるシレーヌを目にすると……一瞬動きを止めた。
しかし、雑念を振り払うように頭を軽く横に振ると、直ぐに獣へと向き直した。
光で弛んだ他の獣達の間に剣を滑らせ、一番森の奥で指揮を執っていたリーダー格の獣の前まで一気に躍り出た。
そして大木の幹に足を走らせ上空に舞い上がり、両手で剣を握りしめ、獣の頭頂部目掛けて渾身の一撃を振り下ろす。
「獣王剛裂斬っ」
テツの剣は、リーダー格の獣を十字に引き裂き、獣のおぞましい叫び声を森に轟かせた。
テツは大地に音もなく足を着き、剣にこびりついた獣の血を布で拭き取る。
残された獣達はリーダーを失い、テツに睨まれると森の奥へと去っていった。
レーゼはそれを見ると腕を組み感嘆の声を漏らした。
「いやはや。見事な身のこなしですね……」
シレーヌはその隣で、瞳から大粒の涙を溢していた。
頬から滑り落ちたそれは、光沢のある白い小さな粒となって地面に転がった。そしてポツリと言葉を発した。
「……ルイだ。ルイの……技だ」
木の上から興味深そうにその様子を見ていたクロゥは、シレーヌの横に降り立ち、その白い粒を拾い上げた。
「今時、剣技ね~。シレーヌちゃん。何か落ちたけど……って、どうした? 泣いてんのか?」
「ク……クロゥ様っ? あの方は、誰ですか? 名前は……?」
「えっと……テツ。テツ=イリュジオンだぞ」
シレーヌはその名を繰り返す様に呟くと、泡となって消えてしまった。魔獣界に帰ったようだ。
「おっおい。シレーヌちゃん? なぁ、レーゼラ。シレーヌちゃんどうした? あれ? カシミルドも、どこ行った?」
「あっ」
レーゼラはカシミルドの事をすっかり忘れていた。
カンナを追って崖に行ったではないか。
シレーヌも、クロゥもここにいる。獣三匹で何か起こるかなど想像もできないが……胸騒ぎがした。
「クロゥ。カシミルドは崖の方へ行った。カンナを追って……獣、三匹に追われていた……お前もそっちに行ったかと……」
「はぁ? 俺だって夜ぐらい寝てるわっ! ったく、あの二人は直ぐに何かやらかすからな……後、俺の事はクロゥ様! だろ!」
「フっ……呼び方一つで、小っさい男だな」
「っ! うわっ。ちょっと背が高いからって……まぁいい。早くカシミルドの事を探さなきゃな……」
その時、崖の方から強いカシミルドの魔力を感じた。
「あっ! ほら、何かやらかしたぞっ。急げ」
クロゥはレーゼラを睨み付け、カシミルドの魔力を感じた場所へと駆け抜けていった。
◇◇◇◇
見張り免除組テントの中で、ルミエルは目を覚ました。
「今の魔力は……カシミルド? こんな夜中に……どうしたのかしら?」
ゆっくりと立ち上がり、桃色の薄いネグリジェ姿のまま外へ出る。そしてカシミルドの魔力の波動に引き寄せられるかの様に、崖の方へ足を進めた。
崖の上には獣の死体が二匹、そしてギャラリーが集まっていた。テツとクロゥ。もう一人はレーゼラだ。
「レーゼラ。何がありましたの?」
「あっ。ルミエル……。えっと……獣の群れに襲われまして……」
「へぇー……あ…………れは……」
ルミエルは崖下を覗きこんでその光景に息を飲んだ。
前にも一度見た筈なのに。
間近で見るとこんなにも、彼を想わせるものだとは……。
ルミエルは空へと舞い上がる漆黒の翼に、心を奪われた。




