第四十四話 追われる者
「くそっ……はぁ……はぁ…………あい……つ……」
レオナールは息を荒げながら、暗い森を疾走していた。
背後から森の獣の唸り声が聞こえる。
『ワオーーン』
獣の遠吠えが星の無い空に響いた。
すると、あちこちから別の獣が応答する。そして、レオナールの血の匂いにつられて、四方から獣が這い出して来た。
「畜生……くっ……」
レオナールは身体中疲弊し、ボロボロだった。
どれ程走り続けているのかも分からない。
朝まで逃げれば獣も諦めるだろうか。
しかし足も限界に近く、右腕の感覚は殆どない。骨折した右腕に手を振れると、憎いミシェルの顔と、大切な妹の泣き顔が脳裏を掠めた。
怒りと悔しさと憎しみを胸に燃やしながら、レオナールは森を一心不乱に駆け抜けた。
◇◇
目が覚めた時、レオナールは川の中洲に取り残されていた。
すぐ横にミィシアが頭に着けていたリボンが落ちており、それを視界に捉えると、レオナールは気絶する前の事を思い出し飛び起きた。
「痛っつ……くっそ……」
右腕に激痛が走る。ミシェルにやられたのだ。
レオナールは落ちていた枝を腕に添え、服を裂いて紐状にして、枝を右腕にくくりつけた。
陽は影り、もう夜がやって来る。
レオナールは皆に知らせようと里へ急いだ。
ーーしかし里はもぬけの殻だった。
そうだ。里を移動したんだ。
だが、これはどういう事だ。大地はひび割れ、木々は引き裂かれ、里は見るも無惨な姿をさらしていた。
あの後、ミシェルがやったのかもしれない。
でも、里を襲いに来たなら、ミィシアは里の誰かに助けられているかも知れない。
そう思うと少しだけ心が落ち着いた。
しかしあいつがそうそう獲物を逃がすとは思えない。
ミィシアは拐われたままかもしれない。
ミィシアの安否が分からない今、レオナールはいてもたってもいられず、皆が目指す次の里へと移動しようと、陽が落ちた暗い森の中へ一人飛び出していった。
◇◇
そうして、獣に追われる事となった。
やはり夜に動くべきでは無かった。
自分の未熟さを悔やみながら、森を逃げ回っていると、木々の隙間から小さな灯りが見えた。
あちらは確か、海へ向かう森へ続く崖の筈だ。
崖沿いには人間の作った道があると聞いたことがある。
もしや、人間? しかし、自分の血のせいで辺りの匂いは良く嗅ぎ取れなかった。
小さな灯りは一つ、誰かが焚き火をしているのかもしれない。レオナールは横目でそれを見て、ある考えが浮かんだ。
後ろから迫る獣達を、人間に押し付けてしまおう、と。
人間なんかより、自分の方が足は早い。
それに手足の爪で崖も下れる。
レオナールは進行方向を右にぐるりと変え、小さな灯りへと真っ直ぐに走った。
その灯りを希望の光と思いながら。
◇◇◇◇
カンナの視界に傷だらけの少年が飛び込んでくるのとほぼ同時に、五匹の大型の獣が一斉に森から飛び出して来た。カンナは一瞬身構えるも、少年を抱き止めようと手を開いた。
すると少年と獣の間を断ち切るように、一閃の光が放たれた。風のような光のようなそれに、五匹の獣は体を分断され、血飛沫を辺りに散らしながら地面へと落ちていく。
少年も背中に生暖かい飛沫を感じて後ろを振り返った。そして背後から来る風圧に体を仰け反らせ、カンナの腕の中に勢い良く収まった。
「きゃぁっ……君!? 大丈夫? あっれ? 君……」
「なっ何だよ……今の……」
少年は瞳を泳がせながら怯えた表情で辺りを見回した。
動かなくなった獣と少年の間には、テツが立っていた。
右手に軽く剣を握り、森から現れるであろう獣に対し、殺気を放つ。
この人間が、獣を倒した?
精霊の気配は感じなかったのに……。
テツは顔だけ二人に振り向くと、短い指示を出した。
「早く行きなさい。まだまだ後続がくるぞ。カンナ君。テントへーー」
「は、はい! さぁ。行こう。テントの中なら安全だから」
カンナが少年を抱えたままテントへ行こうとすると、少年は急に暴れだした。
「触るんじゃねーよっ! 放せっ人間!」
「ちょっ……ちょっと君!? 大人しく隠れようよっ」
少年は抵抗するもカンナの手を振りほどけなかった。いくら怪我をしていると言えど、こんな細っこい人間から抜け出せないなんて……少年は一芝居打つことにした。
「いっ痛てててっ……」
「あっごめんっ……大丈……きゃぁっ!」
カンナが一瞬力を緩めた隙に、少年はカンナを突き飛ばし、崖へ向かって駆け出した。
「駄目! そっちは崖……テツさんっ!?」
カンナはテツの方へ振り向き指示を仰ごうとした。
テツの周りには、先程の倍以上の獣が転がっている。
こちらに目を向けながらも飛びかかる獣に剣を走らせ、その身を断つテツ。
剣を扱うとは聞いていたが、こんなに強いとは、カンナは息を飲んだ。剣技というものを初めて目にしたが、これは常人の域を優に脱しているだろう。
テツは一体、どうやってこんな技を身に付けたのだろう。カンナが呆けた様子でテツに目を奪われていると、テツがすかさず指示を出した。
「行けっ。少年を頼むぞっ」
「はっはい!!」
カンナが少年を追いかける姿を見送ると、テツは森に視線を戻した。そして小さく呟いた。
「全く……どこから走って逃げてきたのだ……森中の獣を引き連れて。……あの、ルナールの少年は……」
そして、間髪入れずに森から溢れる獣に、テツは剣を光らせた。




