第四十二話 静かな夜
カシミルド達一行は、夕暮れ前に野営地を決めた。初めての野営とあって、夕食の後、早めに各々のテントで休むことになった。
陽も落ち暗くなると、先程まで騒がしかったテントから音が消え、焚き火がパチパチと燃える音と、風で木々がざわめく音しか聞こえなくなった。
そんな中、レーゼとラルムは焚き火を囲み、見張りの最中である。空は曇り空。星も見えない暗い夜。しかし雨は、降りそうにない静かな夜だ。
ラルムの見張りは一番目。二時間交代で火の番も兼ねて、順番に見張りをする。
この辺りは野生の獣が出るらしく、ラルムはとても緊張していた。ラルムは実践というものをしたことがない。
姉弟喧嘩すら、年が離れていているせいか、したこともない。貴族が通う学園で、演習として攻撃魔法と防御魔法を習った事もあるが、誰も真面目にやっている者もおらず、殆ど魔法基礎の座学の事しか覚えていない。
それに最近魔法を使える者が減少傾向にある。学園の生徒にも、手足の指で数えられる人数しか精霊使いはいなかった。
いや、そもそも人口が減少しているという話も聞いたことがある。
オンディーヌが言っていた精霊の減少と、人口の減少。
何か繋がりがあるのか、全く関係のないことなのか。
謎に思えば思うほど、そのことばかり考えてしまう。
どうしてなのか、知りたくて仕方がない。
そう言えば、オンディーヌとの出来事は実践に入るだろうか。自分は何も出来なかったから、ノーカウントか?
そんな事を考えていると焚き火の向こう側から視線を感じた。
レーゼがラルムを、感情が何も読み取れない顔で見つめていた。オレンジ色の焚き火の明かりで銀色の髪や肌がほんのりと照らされ、いつもの五割まし神々しく見える。
ラルムは王都を出てから、今まで見たこともないレーゼの表情の数々に驚かされていた。ルミエルという手の掛かる妹が一緒だからか、瞳が穏やかで、時折笑顔も見られるのだ。
無口な所は変わりないが、何処と無く違和感があった。
「ラルム。どうかしたか?」
「えっ……と。レーゼさんと二人っきりなんて初めてで……緊張してます」
ラルムは言葉を口にし終わってからハッとした。さっきまで初めての見張りで緊張していた筈なのに。
レーゼに見つめられる内に、頭の中はレーゼ一色になっていた。本人を前に、何と恥ずかしいことを口走ってしまったのか。
レーゼは焚き火に木を足しながら、口元を緩めた。ラルムはその優しい表情に驚くとともに、見とれてしまった。
「ラルム。それはきっと、見張りが初めてだから緊張しているんだ。肩の力を抜いて、周りの音に耳を傾けなさい」
レーゼに言われるがままに、ラルムは瞳を閉じて耳に集中した。焚き火の音、風の音、木々がそよぎ、遠くの方には波の音が微かに聞こえる。
とてものどかで平穏な音色だ。
体からふっと無駄な力が抜けていく。
すると急に強い風が吹いて、森の方へと目を向けた。
木々は鬱蒼と繁り、森の中は闇に包まれている。
その闇のずっと遠くの方から、風に乗って獣の遠吠えが小さく聞こえた。
「レーゼさん!? 今の、聞きました!?」
「大丈夫だ。随分と遠くから聞こえた。しかし……何の合図だろうな……」
レーゼは顎に手を添え首を捻る。
遠吠えは合図。
そんな事を言われると、ラルムは急に怖くなった。
「あっあの!? もし、獣が出たら……どうしましょうか!?」
レーゼは徐に、腰に刺した杖を抜き取った。
そして顔の前で構えた。
「これで……殴る」
「ええっ!?」
真剣な面持ちでレーゼは答えた。
ラルムは慌てて自分の水晶を取り出す。
ラルムは杖は使っていない。
水晶だったら……投げる?
「ラルム。冗談だ……私が光の魔法で、獣を追い払うよ。数にもよるが、ラルムは……テツ様を起こしに行ってくれ」
「は、はい……」
ラルムは肩を落とし、考え込んだ様子で焚き火を見つめた。
レーゼが冗談を言ったことにも驚いたが、自分が伝達役しか出来ないことにも、頭を悩ませた。
そんなラルムに、レーゼは励ますように語りかける。
「そう心配するな。私は視察に何度も同行している。この辺りの獣は、体が大きく群れで行動するから厄介ではあるが、大した事はない」
「そ、そうですか……」
ラルムは先程よりも緊張した様子で小さく頷いた。
大きくて群れで行動する厄介な獣……その言葉を聞いて、自分の体の何倍もの獣達が無数の瞳を光らせながらこちらを睨んでいる……そんな恐ろしい光景をラルムは想像してしまった。
その光景を打ち消すかのように、ラルムは頭を小刻みに振って、水晶を握りしめた。
「レーゼさん。私に、実戦って出来ますかね?」
レーゼは瞳を丸くして、真剣な表情のラルムを見た。
「ラルム……は、本当に変わった子だね。実戦って何がしたいんだ? 獣を狩りたいのか?」
「獣を……狩る?……」
レーゼに言われるまでラルムは気付かなかった。
実戦とは、相手の命を奪うこともあるのだということに。
自分が、何かの命を奪う?
そんな事考えただけで体が震えた。
でも、獣が襲ってくるということは、ラルムのことを捕食対象にしたということになるだろう。
自分に殺意を持ったものに襲われたら……。
ふと、オンディーヌの顔が頭を過った。
いや。オンディーヌに自分は殺意なんて抱かなかった。
でも、獣だったら?
獣だって、ただ生きたいだけなのに……。
でも、だからって自分が餌になりたい訳じゃない。
大分論点がずれてしまった。
ラルムは思考が絡まり頭を抱えた。
「ラルム。そんなに悩むな。君の魔法は、君という人間は、何かを傷つけるために存在するものでは無いんだよ。自分の身さえ守れればいい。まだ新人団員なのだから、君はただ、私の後ろで見ていればいい。そうしたらきっと、自分に何ができるか、何をすべきが……見つけられるよ」
レーゼはそう言うと、涼やかに微笑んだ。
緩やかな風に髪を靡かせ、とても美しい。
「また……笑った……」
「えっ?」
レーゼの驚いた表情を見ると、ラルムは恥ずかしそうに視線を落として、手に持った水晶を撫でながら口を開いた。
「レーゼさん……。王都を出てからよく笑いますね。妹さんが一緒だからですか? 瞳も……前より穏やかで……」
「そっそんな事はない!?」
レーゼは顔を紅くし、恥ずかしそうに髪をかきあげて立ち上がった。ラルムはそんなレーゼを見て、つい思ったことを口に出す。
「レーゼさん……可愛いです……」
「なっ……教官をからかうんじゃない! そろそろ交代の時間だ。カンナを起こしてきてくれ。私はテツ様を起こす」
「はい! 分かりました!」
ラルムは満面の笑みで返事をし、カンナが眠るテントへ駆けて行った。
その後ろ姿を見て、レーゼは深い溜め息をつく。
前より……か。レーゼは一人。自分はレーゼ。
レーゼラは、一度死んだようなモノなのだから……。
「レーゼ殿。交代の時間だ」
振り向くとテツが立っていた。
まだ起こしに行ってもいないのに。
寝られなかったのだろうか……。
「はい。テツ様、少しは寝られましたか?」
「ああ。大丈夫だ」
テツは一度寝て、また夜中に起きられるようだ。
この人は超人だな、とレーゼは心の中で思う。
「では、お願いします」
レーゼはテツと交代し、テツが寝ていたテントへと向かう。
テントではカシミルドとシエルが寝袋に入り、薄明かりの中、仲睦まじくおでこをくっつけて眠っている。
仲が良い印象はなかった組み合わせだが、少しは打ち解けたのだろうか。
レーゼラはカシミルドの隣に寝袋を開き、静かに横になった。
レーゼは男。だから自分は今日は男部屋。
心の中で自分に言い聞かせる。
ルミエルはスピラルと二人で、見張り免除組のテントで寝ている。
レーゼラが遠征に付き添う時は、いつもリュミエが引率する時だけだった。
だから、リュミエ以外と一緒に寝ることなど初めてだった。
ましてや、レーゼル以外の男と寝るなど初めてだ。
耳をすませば、二人分の寝息が聞こえる。
しかしそれは意外と心地よいものであった。
カシミルドの背中から感じる気配は、リュミエが纏うそれと少し似ている。やはり彼は、リュミエがずっと探していた……。
「ふわぁぁ」
レーゼラは大きく欠伸をした。
ああ。夜は苦手だ。光の精霊が少ないから……。
レーゼラは瞳を閉じると深い眠りへと誘われていった。




