番外編 とある姉の憂鬱(前編)
可愛い弟が里を出て、どれくらい経っただろうか。
生意気な黒鳥の戯れで破壊された森や川。
その後始末も落ち着き、ペシュ村の者達に引き継いだ。
そして、ようやく日常に戻れた。……と思っていたのだが。
弟のいない日常など、ミラルドにとって日常でも何でもなかった。
誰も作ってくれない朝食。
そして、つい作りすぎてしまう夕食。
パンくずを小鳥にやることも億劫なほど、食事が楽しくない。しかし、弟と二人で暮らしていた頃も、四六時中一緒にいたわけではない。
むしろ一日の数時間しか一緒にいなかった気さえする。
それなのに、弟がいなくなった生活……。
これはミラルドにとっては非日常であり、退屈を通り越して苦痛にさえ感じるほどであった。
今朝も静かだ。パンケーキを焼く音も、香りもない。
ふと部屋を見渡すと、定期的に送られてくる一族の者からの手紙が目に入った。
「そういえば……手紙が来ないわね……もう四日目。忘れているのかしら」
ミラルドは紙とペンをテーブルに用意したが、宛名を書き、思いとどまる。
「何で私から書かなきゃいけないのよ……カシミルド」
それから数日が経ち、やっとカシミルドから手紙が来た。
そしてその日、ミラルドの日常を大きく揺るがす事態が起きた。
それは、謎の声の主、グリヴェールとの出会いだった。
ミラルドは祠で彼女と出会い、早速カシミルドに手紙の返事を書こうとした。こんな大発見を知れば、きっと弟は飛んで帰ってくるだろう。
家に戻り、紙を用意し羽ペンを握ると、短刀がまた煌めいた。
『誰に手紙を書くのですか?』
「弟に書くのよ。今日の事を知ったら、きっと飛んで帰ってくるわ」
『そうなのですか? ミラルドさんの弟さんはどんな方なのですか?』
「えっと……そうね~。あの子は……」
ミラルドは自身が記した弟の名を見つめ、過去の情景を思い浮かべた。
「あの子は……本当に、手のかかる子だったわ……」
◇◇◇◇
初めて弟と出会ったのは、もちろん彼が生まれた時だ。
生まれたその瞬間は、天使のように可愛いくって……何てことはない。
真っ赤で小さくて、顔も体も縮こまって弱々しく泣いていた。その声は、この世界に生まれたことを喜んでいる……というより哀しんで泣いているのかと思えた。
生まれてすぐ、父さんが弟を抱き抱えたが、それはすぐに私の元へ来た。父さんは生まれた子供より、母のことしか見えていなかったようだ。
弟は、見た目は小さく弱々しかったが、抱いてみるとずっしりと重くて温かくて、その小さな手に触れると、私の指を強く握り返してくれた。
この子は私を必要としているんだ。そう思った。
母さんは弟を抱く私の頭を優しく撫でて、「ミラルド。お姉さんになったね。カシミルドをよろしくね」と笑った。
それが母と話した最期の会話だった。
彼の誕生日は、母親の命日になった。
多分、母は分かっていた。自分の体が出産に耐えられないことを。
弟が生まれる前夜、私に呪術の本と呪印が施された帯を託した。困った時に使うようにと言われていた。
父は母を埋葬すると、これといった説明もないまま里を出ていった。私もまだ四歳だったから、説明の価値もないと思われていたのだと思う。
そして私も生まれたばかりの弟も、母さんの妹夫婦にお世話になることになった。丁度、叔母さんにも女の子が生まれ、弟はその子と一緒に育てられることになった。
後に、その女の子は里の子じゃないって分かったけど、それはずいぶん後のことだった。
黒の一族は瞳も髪も黒いが、弟の瞳は黄色というかキラキラと金色に輝く綺麗な瞳だったから、もう一人の赤ちゃんが桃色の髪や瞳でも、あまり気にならなかった。
二人はいつも一つのベッドでずーっと寝ていた。
ほぼ一日中寝ていた。
でも、寝顔はすんっごく可愛くて、カンナと名付けられた赤ちゃんも、手に触れると私の指を握ってくれて、私はすっかり二人のお姉ちゃん気分だった。
しかし、平和は三ヶ月ほどで終わった。
起きている時間が少しずつ長くなってきた弟に異変が起こり始めた。ベッドから、すぐにいなくなるのだ。
「あぅっ?」と可愛い声がしたかと思うとベッドから消える。
あちこち探しているうちに、さっきまでいなかった筈のベッドかソファーで発見される。まだ寝返りすらうてないのに。
私と叔母さんは毎日カシミルド探しに悩まされつつ、二人の笑顔を見ると、ほっと安堵し悩みなど忘れて過ごしていた。
しかしある時、私はついにカシミルドを見つけたのだ。
ベッドでも、ソファーでもない場所で。
そう。天井の近くに。フワフワと浮かぶカシミルドを……。
「叔母さん! 叔母さーーん!」
「なぁに~。ミラルドちゃ~……きゃーーーー!!!」
宙に浮かぶカシミルドを指差す私を見て、叔母さんもカシミルドに気がつき、絶叫した。
森の奥の祠にいた叔父さんまで大慌てで帰って来て、三人でパニックになったことはよく覚えている。
騒がしい三人を肴に、カシミルドはニコニコと楽しそうに天井を浮遊していた。ちなみにカンナは、そんな事知らぬとばかりに爆睡していた。
私は叔母さん夫婦と知恵を出しあって、カシミルドに紐を付けてみたり重石を付けてみたり色々試したが、それは何の意味もなく、カシミルドと一緒に宙を舞うだけだった。
ある日、叔母さんは悩みに悩んで一言呟いた。
「姉さんだったらどうしたかしら?」
「あ!!!」
私は思い出した。母さんが私に託したものを。
叔母さんは呪術の本に嫌悪感を顕にしたが、母さんの残した帯をカシミルドに使うことには賛成してくれた。
それからというものの、この帯はいつも弟の頭に巻き付けられた。魔力は髪の毛に貯蓄されるから、頭に付ければ一番効くだろうと思ったからだ。
本当は何処でもいいらしい。
これを巻いてからは、カシミルドは飛んだりいなくなったりしなくなったのだが……。それも少しの間だけだった。
ハイハイしながらちょっと浮いていたり、急に樽の水が溢れたり、おっとりした叔母さんを毎日絶叫の日々へ送らせることになってしまった。
そこで、カシミルドが一歳になる日を境に、私はカシミルドと二人で自分達の家で暮らすことにした。
叔母さんも叔父さんも心配したが、実は父とも、一年間だけ預かると約束してらしい。
一年後には帰ってくると言い残していたそうだ。
そして父は帰って来た。母の墓標に花を手向けに。
無精髭を生やし、随分老け込んだように見えた父は、一日だけミラルドとカシミルドと過ごすと、またフラりと出ていってしまった。
父が帰って来て、顔には出さなかったがミラルドは喜んでいた。しかし目が覚めると隣に寝ているのは小さなカシミルドだけ。
ミラルドはすやすやと気持ち良さそうに眠るカシミルドを抱きしめて啜り泣いた。カシミルドを起こさないように、静かに声を殺して泣いた。
それからミラルドはカシミルドと二人で過ごしてきた。
と言っても、叔母さんの家は直ぐ近くだし寝る場所が変わったぐらいだった。
ご飯は叔母さんが作ってくれた物を食べに行っていたし、日中はほとんど叔母さんに魔法を教えてもらったり、叔父さんに付いていき、祠での仕事を教えてもらった。
でも、夜だけは家でカシミルドと二人で過ごした。
それにより、叔母さんが嫌がって読むことが出来なかった呪術の本も毎日読むことができ、家にあった装飾品で魔封具を作ったり、書庫で見つけた他の呪術の本を読み漁ったりすることができた。
元々魔法の素質が高いのだろう。ミラルドは日増しに術の精度を上げ、カシミルドを制御するための魔法を身につけていった。
◇◇◇◇
『凄く面白い弟さんですね~。会ってみたいです』
「私も会いたいわ」
『何処に行ってるんですか?』
「それがね……王都に行くだけの予定だったのに……東の方に寄り道中なのよ…」
『寄り道だなんて、心配ですね。私も実体がないので動けませんし……』
ミラルドは心配そうなグリヴェールの声を聞き、ふと考える。実体? 精霊かと思っていたが、違うのだろうか。
「グリヴェールって……実体があるの?」
『えっ? はい。今は魂だけですけど。体もありますよ』
「へぇ~。体はどうしちゃったの?」
『体は王都の方の山奥の森に封印されています!』
「何でよ。何か悪いこと……するような感じもないけれど……」
『えっと……喧嘩に負けてしまいました。体は休息中です。あの方の怒りも収まった頃だと思いますし、プレシア様が復活したら、体を迎えに行きます』
「うん。色々突っ込みどころが多いわね。何から突っ込めば良いのか分からないけど……グリヴェールは精霊? 魔獣?」
『あー。そこからですよね』
「うん。何っにも知らないからね。私」
『うーん。言っても信じてもらえない気がするので、プレシア様が復活したら、私の事を話しますね。……ところで弟さん。瞳は金色ですよね。でも、もう結界から出ちゃいましたか。……少し目覚めるのが遅かったかもしれませんね』
「……出たらマズイの? カシミルドに危険なの?」
『……大丈夫とは言い切れませんが……あの、桃色の髪の子は何処ですか?』
「カンナ? あの子なら八年前に王都に行ったわよ」
『えっ!? よりによって王都ですか? 力には目覚めましたか?』
「時縛りの事? 多分、本人は自覚無しよ。魔法も使えないと思ってる。実際に四大精霊は操れないみたいだしね……」
『そうですか。カンナ? は元気にしてますか?』
「何も報告もないし、普通に暮らしてると思うわよ。何で? 興味あるの?」
『ふふっ。プレシア様の工作は成功したみたいで良かったです。何故、カンナは里を出たのです?』
「えっ……」
ミラルドは言葉を詰まらせた。
カンナが、そして叔母夫婦が里を出たのは自分のせいだからだ。
「あの子を追い出したのは……私よ。グリヴェール」
『? 何が……あったのですか?』
「八年前……カシミルドの力が暴走したの……カンナとカシミルドが誘拐された時に……」
ミラルドは八年前のあの日の事を、グリヴェールに語り始めた。




